スポット012 21世紀に入って以降、日本最高の神社考古学者だった故百嶋 由一郎氏の音声ドキュメ | ひぼろぎ逍遥

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スポット012 21世紀に入って以降、日本最高の神社考古学者だった故百嶋 由一郎氏の音声ドキュメントを聴きませんか?

      20150311

久留米地名研究会 古川 清久

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現在、本ブログはスタートから一年と数カ月を経過し、日量平均200件のアクセスから300件のアクセスへと進みつつあります(瞬間最大1000件超から600件も)。

神社考古学に特化した連携ブログの「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)と併せれば、近々の内に何とか日量平均500件=年間20万件のアクセスも見込めるところまで成長してきたようです。

「ひぼろぎ逍遥」は神社を中心にしながら、地名研究、民俗学を軸に幅広い話題を書いていますが、本当に読んで頂きたいのは、故百嶋由一郎による「神社考古学」を主軸に据えた「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院です。

何故、これほどまでに百嶋説に固執するかと言えば、古代史に関心を寄せ、多少とも自分の頭で考え調べようとしたとしても、その最も鋭い切っ先であった「九州王朝論」自体が、程度の差は在るとしても「古事記」「日本書紀」をもとに古代を解読しているという非常に危うい基礎の上に立っているからです。

久留米地名研究会を六、七人で開始した七、八年前、自身としては谷川健一氏が「久留米地名研究会を創りましょう!」と呼び掛けた際に、地名にはもともと関心を持ってはいた事から、個人的にはそれを逆手にとって、多少とも九州王朝論を拡げられたら良いなあ…と考え参加し、当時は古田武彦先生を担ぐ「古田史学の会」メンバーとして少しずつ「外部注入」を開始することを目論んでいたのです。

ところが、数年を経て偶然にも草部吉見神社を介在し、百嶋神社考古学に接触して以来、学会通説の嘘は以前からおぼろげにも見抜いていたものの、その鮮烈なる内容に驚き、その武器としていた「九州王朝論」一般に於いても、基本的には「古事記」「日本書紀」をベースに議論しているに過ぎない事を思い知らされ、さらに左45度旋回…と舵を切らざる得なくなったのでした。

勿論、僅かながらもいた九州王朝論の理解者達からも離脱することになり、再び孤立と不安に満ちた水路に自ら進出する事になってしまったのでした。

当時、百嶋由一郎氏から受け取ったメッセジは実に劇的でした。

草部吉見の一族は雲南省麗(レイ)江からメコン川を下り黒潮に乗って海南島に入り天草苓(レイ)北から阿蘇へと進出した黎(レイ)族(ビルマ・タイ系少数民族=漢族に敗北した中国大陸の先住民族)であり、それが先住者として高千穂(三田井)阿蘇、人吉球磨一帯を地盤として展開していた高御産巣日神(タカミムスビ)、高皇産霊尊 所謂、百嶋先生言われるところのヘブライ系高木大神系の入婿として政略結婚の後に混血し、全体としての阿蘇族が形成され、日本列島の非常に重要な大族になっていった。

後は簡略化して書きますが、「古事記」神話の95パーセントは嘘である。宗像大社の本当の祭神は大国主命である。天照大御神は卑弥呼である。神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)は天照大御神の弟である。孝安天皇は熊本県玉名市疋野神社の主祭神で九州王朝の臣下。孝昭天皇 (草部吉見)は藤原が挿入したもので、贈)天皇で本物の天皇ではない(九州王朝の臣下)。久留米高良大社の高良玉垂命は第9代開化天皇であり神功皇后と夫婦であった。日向から東征したのは第10代贈)崇神天皇であり本当の天皇ではない(九州王朝の臣下)。大国主命は九州王朝の将軍で出雲の人間ではない。宗像三女神は姉妹ではない。菅原道真公はヤタガラスとナガスネヒコの政略結婚により生まれたアメノホヒの流れを汲んでいる。応神天皇はただの別王。大幡主は天理教の主祭神。神武御巡行はあったが神武東征はなかった。山幸彦は猿田彦。佐田大神は猿田彦ではない。…と切りが無いのですが、このイスラエル・ユダヤ、ヘブライ、アーリア、フェニキアといった禁句が飛び交う話を聴くにつけ、その裏取りに現地に向かうと百嶋先生がおっしゃった痕跡が残されており、今まで分からなかった話もいつしか謎が解けてくることの連続だったのです。

ここまで百嶋神社考古学の影響を受けて来ると、高校二年から宮崎康平の「まぼろしの邪馬台国」から始り、古田武彦の「邪馬台国」はなかった…初期三部作他、あれほど熱心に読んできていた九州王朝論に於いてさえも、百嶋神社考古学には抗えなかったのでした。

古代史を対象としている久留米地名研究会においても背骨とも言うべき「九州王朝論」に基づき研究を進めては来たのですが、個人的には部分的な役割しか果たせない事に気付き、実のところ、百嶋神社考古学を継承するなど及びもつきませんが、例え小規模であっても「神社考古学研究会」を起動し、残された内容を次世代に引き継ぐことの方が、遥かに価値が大きいのではないかとまで思うようになりました。

古田系、非古田系、反古田系を問わず「九州王朝論」に敵対するつもりは一切ありませんし、敬意を払い続けますが(勿論、薄汚い畿内説論者やそれに尾を振る安本一派には侮蔑しかありえませんが)、それでは古代史の解明にはほとんど近づかないことは明らかで、所詮は御釈迦様の手のひらならぬ、藤原不比等の手のひらで嘲られながら踊る孫空悟(ソンゴクウ)に過ぎない様に見えるのです。

まだまだ先ですが、何時の日にか、「草ケ江神代史研究会」ならぬ「神社考古学研究会」を結成しようと踏み出す時が来るのかも知れません。


21世紀に入り日本最高の「神社考古学」の研究者だった故百嶋 由一郎氏の音声ドキュメント
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余りにも貴重なお話であることから、先生の年齢を考えると記録を残しておくほかはないと考え、とりあえず始めた録音でしたが、今となっては替わるもののない研究会メンバーの宝物となっています。

講演中の音声を素人がそのまま記録したもので一部には聴きづらいところもあるのですが、最低でもこれを永く残し、列島民族がどのように形成されたかを今後とも伝えたいと考えています。

勿論、「古事記」「日本書紀」神話とは全く異なるもので、多くの民族が何波にも亘って渡来し、争い、そして融合し、九州を中心とする古代世界が創られていった事が分かってきます。

先生は、二十代の戦中戦後期に神社研究に入られ、以後65年間、人生の大半を費やして、中近東から中国、チベット、朝鮮から東北地方まで神社を調べられ、神社からも神社庁が封殺している極秘の話を回収するなど自己の研究を創り上げてこられました。

中国語も独学で勉強され、北京大学でも聴講されていたようで、漢籍は文句なく読まれていましたし、中国、朝鮮の文献、「記」、「紀」はもとより「先代旧事本紀」など物部系文書にも精通されていました。

「中国国内だけでも300回は飛行機で飛んだ…」と話されていましたので、その現地取材の質と量は想像を絶するものがあります。

全く無名の人ではありましたが、記録を残す事が出来た民俗学者の宮本常一などにも匹敵する知の巨人と言えると思うものです。

この、述べ40時間に上る音声データを長期にわたり保管し、薄汚い利権まみれの行政権力に対して隠す意味でも、協力し研究頂ける方に実費程度でお送りしたいと考えています。

希望される方は直接09062983254までご連絡下さい。24時間いかなる時間帯でもお受けし対応致します。

ただ、惜しむらくは、神社の優秀な宮司の秘密の勉強会に継承されてきた口外出来ない話とか、飛び込みの神社でも「出版は遠慮していますので…」と伝わっている話を探り出し、他言しない事を条件に知った話であることから、節を守り、最後まで本という形では記録を残されませんでした。

その基礎となったのは、十数年前まで活動していた福岡市の「草ケ江神代史研究会」に継承されてきた内容と、それに至る戦後の開放的な時代に一気に表に出て来た神社研究者達の間に伝えられてきた極秘情報であったと思われます。

現在、百嶋先生が残された研究資料は全て福岡県内の某所に保管されています。また、これはまだ公表できませんが、奈良県内の某所にも研究資料の複本が全て保管されている事が分かっています(私達にもどこであるかを告げられないまま亡くなられましたが、先だって幸運にも当方で確認することができました)。現在は、残された紙媒体による資料のデジタル・データ化の作業を行っているところです。

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講演中の百嶋由一郎先生

以下は音声CDのサンプルです。(クリックで拡大表示


CDラベル百嶋由一郎「宇佐神宮とは何か?」
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CDラベル百嶋由一郎「神社研究の古層を探る」
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CDラベル百嶋由一郎「九州王朝前夜」
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真面目に研究しようと思われる方だけにお送りしていますので取扱いにはくれぐれも注意して下さい。

なお、パソコンを前提にMP3方式で収録しているため、ICレコーダー、パソコンを通じてUSB,SDメモリーなどに落として聴くことは可能ですが、通常のCDラジカセでは聴く事ができません。また、ここ七年程度の新しい車ならばカーステレオもMP3に対応していますので聴く事が可能です。



(画像クリックで拡大)
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最後の百嶋神代系譜(部分)



現在、五、六人程度の百嶋神社考古学に関心を寄せるメンバーが、数グループ、つかれたかのように神社を調べて回っています。

古墳調査などと違って神社にはそれなりの神秘性がありますが、今ならば九州にはまだ隠された九州王朝の痕跡、古代を知る手がかりが残されています。

残された神社伝承を回収し記録に留める作業は、月給300万円も貰うようなお偉い先生達(兼務の国博館長など)の嘘話で古代を知ろうとするよりも遥かに重要な作業と思います。

百嶋先生も「九州王朝の事を片鱗も分かっていない人が神社を調べたって何の意味もないし、私もそういう人を相手に話すつもりはない…」言われていましたが、学会通説が造り出した利権構造の上に胡坐をかいた、国史、古代史、神社史の学者の皆さんが話される事は、型通りの話であり真実とは一切無関係です。

少しでも真実に迫ろう、迫りたいと思われる方は、久留米地名研究会、太宰府地名研究会を中心とする神社考古学研究班に接触し、学者の話をうのみにせず自らの頭で考え自らの足を使って調べて下さい。

神社庁の言う話や「古事記」「日本書紀」に通じている事を売りにしたい方は、それはそれで結構です。

真実はその外側にしかありません。

ブログ「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 は、百嶋神社考古学の作業用の研究ノートをブログ化しただけのものであり、誤りがあれば随時修正を加えて行くもので、信じ込まないで自分で研究してください。