動きとして現れるのが神様
車が“車両と燃料だけでは動かない”ように、動かそうとする人々の“意思や行動が何よりも重要”でもあるのだそうです。
“車両を父神(陽や火)”とすると、“燃料は母神(陰や水)”。
そこへ“運転者である人々”(意思や行動)が加わって、“三者が力を合わせて(三位一体)、御縁や運や出来事(現象)として形が現れだすこと”が御利益や功徳。
“御縁や運や出来事(現象)こそ神々様の現われ(動かれた結果)”なのですから、“与えられている環境に感謝を行うこと”こそが“祈りを捧げること”になるのだそうです。
科学と信仰
量子力学には、“人間に観測されない限り、物質の状態は決定されない”というものがあるそうです。
異次元の存在(神々様や仏様)も似たようなもので、“見えないからといって信じなければ、存在をしていても、救いの手が差し伸べられていても、気がつかないのでいないのと同じ”でもあるようです。
救世主は二種類(“内在神”と“神々様のような人々”)
人は神の子、磨けば神様にもなれるような御霊や魂(内在神、キリスト神)を授かっているのだそうです。
今のままではいけないと、気がついた人たちから知らせあうようにして、皆で生き方を改めていって欲しいと、神示にはあります。
(一人一人が地球を救うための救世主)
何事も当たり前だと上に上がっていると(驕っていると)、近くに神々様のような人々がいたとしても、気がつかないことも?
※
“内側の神様には嘘がない”(嘘がつけない)ものでもあるようで、天界にあわせて善(助けあい)で行くのか、幽界にあわせて悪(我よし)で行くのか、“自神で選ぶのが大峠…”ということにもなるようです。
最後の審判ではないけれど、人類の存亡はある
今までよりも、原因に対する結果が、素早く現れるようにも変わっているようです。
その日その時が裁き(気づき)であり、その場で反省をして同じ過ちを繰り返さないように、気をつける必要があるようです。
特に食べ物(毒性)、食べ方(お祓いや感謝)に、気をつける必要があるようです。
(一軒一軒の改めにもなるようです)
地球はこれからいろいろな出来事が起こるみたいなので、小さな出来事であっても毎日、善きことをコツコツと積み重ねておかないと、大きな出来事が起こったときに、大変なことになるかもしれません。
※
今の生活スタイルのまま、地球と人類が共存して行くことは不可能なので、環境と調和した生き方に変わる必要があるようです。
自然界とは神々様そのものでもあるので、環境(神々様)を壊してふんぞり返っていると、大峠は厳しいものになるかもしれません。
(地球を汚したり壊したままにしておくと、生まれ変わっての掃除のやり直しにもなるようです)
あの世はこの世の延長線
亡くなると最初は、生きていた頃と同じように、一緒に暮らしていた人々と同じ空間で暮らすことになるのだそうです。
しかしそれらは一時的なもので、それぞれの魂は、元いた階層のところ(同じような魂の集うところ)へ返ってゆくことになるのだそうです。
死はあっても魂に終わりはないそうなので、家族は出来るだけ仲良くするように心がけるのがよいようです。
(仲良くは無理でも、出来るだけ争わない)
本来は、天国も地獄もなく、似たような魂が似たようなところへ集まるだけの話のようですが、神示では仮に、“協力しあう人々の階層のことを天国”と呼び、“我よしで弱肉強食の階層のことを地獄”と呼んでいるようです。
愛の生き方をしてきた人たちは、愛の魂の集団へ。
修羅の生き方をしてきた人たちは、修羅の魂の集団へ。
天国も地獄も“これと定まったものはない”ので、“信じれば作り出すことになる”ともあります。
この世への煩悩が強い人たちは、まっすぐに霊界へと行くことができずに、幽界(外れた世界)に留まることも多いようです。
幽界の霊が増えることは、世の中を悪くする元になり、世の中が悪くなれば、幽界の霊が更に増えることにもなるようです。
今、地球は負のスパイラルに入っていて、平和で住みよい惑星に戻すためには、供養を行い幽界の霊を減らす必要などもあるようです。
(神示には、“霊になってからの改心は難しい…”とも)
兵役は拒否してもいい
戦争はそのものが外道の悪になるようです。
行きたくない人は、行かないようにしてみることがよいようです。
ましてや、支配や侵略のための戦争なのであれば、単なる犯罪の共犯になることと変わりがありません。
(無抵抗の者を打ち据えることは、命令した者と同じように、打ち据えた者のカルマ)
破壊は悪の憑きもの仕業?
悪には“壊すことは出来ても、作ることは出来ない”とあります。
教会や他宗派に嫌がらせは出来ても、自身の所属している集団を大きくすることは、難しいことでもあるようです。
神示には“人気のない(人々から嫌われている)ところほど、悪のやり方…”などの記述。