お金そのものは不浄ではない | ひふみ神示

ひふみ神示

大峠を小難にして過ごせる方法を、日月神示を元に記述しています。

理(みち)に従ってお金は増やす

お金の世が続いているあいだは、祈ることにより増やせることもあるのだそうです。
正しき生き方をして富を得る。
それが喜びの道。
大神様のマコトの大道とあります。



経営者はカルマを増やしやすい


作ったり販売したり稼いだものが、社会や環境に良い影響を与えるのであれば善い行いにもなるのでしょうが、害のあるようなものを社会に出したり、不条理な解雇や給料の横取り(他の真面目な従業員の労働報酬の搾取)、他社への嫌がらせなど…。

“人々が手にしているようなものを奪ってしまう機会が多い”という意味において、経営者や過剰報酬の管理職などは“借銭を増やしやすい”ものでもあるようです。

 

昔の日本では、“経営者と従業員は家族のような関係にあり、互いに協力しながら困難を克服してゆく…”のが、一般的な労使の関係だったのだそうです。

 

 

 

寄付には浄財を使う

 

神々様は、“理に従って得たお金”を尊ばれるのだそうです。

先方(寄付先)にも、迷惑をかけてしまうこともあるようなので、“不正な手段で得たお金などを寄付に使うようなことは行わない”ことなどが、善いことでもあるようです。

神示には、“神々様に罪を押し付けてきた”ともあるのですが、人々の歴史は“奪ったようなお金などを宗教施設に寄付するようなこともしてきている”ので、それらのことについて“お詫びをするように”との記述もあるようです。

(大地などの汚染も“最終的には海や川の汚染につながる…”のだそうで、“水を汚すことが人々の作り出す罪”でもあるのだそうです)

 

浄財(じょうざい)…

不正な(理から外れた)方法に依らずに、稼いだお金のこと。

 

 

 

撒いた種は刈り取る

理(みち)に背いて作り上げた地位や財産は、返済を済ませておかないと、天界には行けないこともあるようです。

“地には地の規則がある”とあるので、返済の仕方などについては、“法律の規定などに従う”ことにもなるようですが、軽いものであれば、手放したり(捨てたり)神様にお詫びを行えば済むものもあるようです。

(重いものについては、“法律に見合った反省…”などを行っておくことが、天界に生きたいのであれば必要)



お金は生き方を狂わせやすい


お金があれば何でも出来る世の中は、お金に人生を縛られたり、同じ種族(人)として扱われなくなったり、命のやり取りにまで発展するような、“道具として利用するもの”から“道具なのに隷属させられてしまうもの…”へと、ひっくり返ってしまってもいるようです。

死後の世界には持ち越せないものにも関わらず、今は困ってもいないような人々ですら、夢中になってこれを追い求めてもいるようです。
大峠になると、欧米では保険や金融が影響を受けるような記述もあるようです。

(戦争や災害などにより、“株価の乱高下、不良資産や債権の増加、保険料金の値上がり…”などの世の中に?)

 

“恵みを与えてくれる地球、真面目に働く人々、積み重ねた信用…”などに価値があるのであって、“幾らでも増刷の可能な紙幣”に、絶対的な価値や普遍性があるわけではないようです。

(決済通貨の不足により取り引きや貿易などが行えない場合には、物々交換による取り引きや貿易に切り替えてみると、必要なものが手に入れられたり、より公正な取り引きや貿易に近づけることもあるようです)

 

 

 

使われていた品々には愛着がこもる

 

人からいただいたものには、愛着や念などがこもっていることもあるのだそうです。

悪い出来事が増えるようであれば、そういった品々は捨ててみることが善いことでもあるのだそうです。

(頂くのであれば、新しい品々の方が問題は少ない傾向)

お世話になった品物などを捨てる際には、簡単に掃除を済ませたり、労ってあげるようにしてみるとよいのだそうです。

 

・頂く際に注意が必要なもの…

(個人の癖や愛着がこもっていそうなもの)

 

椅子や机、船や車、寝具、人形、食器、服、パワーストーン、など。

(自身が使っているパワーストーンなどは、月の光を当ててあげると浄化されるのだそうです)

 

以前の持ち主が「善い人」(幸運などが特徴)であれば大丈夫なことも多いのかもしれませんが、“どういう由縁の品々なのか分からない”(盗品の可能性の)ときには、受け取らない(頂いたり貰わないようにする)ことが無難なこと(事件に巻き込まれない)でもあるのだそうです。

(貰うときも渡すときも、清潔を心がけるようにしてみると、感染症などが広がるようなことを、防げることもあるのだそうです)

 

 

 

 

 

神示より


地つ巻~第35帖


日本の国はこの方の肉体であるぞ。
国土拝(おろが)めと申してあろうがな、

日本は国が小さいから一握(ひとにぎ)りに握(にぎ)り潰(つぶ)して喰うつもりで攻めて来ているなれど、
この小さい国が、喉(のど)につかえてどうにも苦しくて堪忍(かんにん)してくれと言うように、
とことんの時になったら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子だから、
一人残らずに助けたい(刑罰を軽くしたい、罪を償わせて借銭を減らさせたい)のが この方の願いと申してあろうがな、
今に日本の国の光出るぞ、
その時になって(お金も私有地も存在しない生体認証や本人確認だけが必要な世の中に変わっても)改心できておらぬと 臣民(しんみん)は苦しくて(何一つ出来ないことになって)日本のお土の上におれんようになるのぞ(外国へと逃げていかなければ行けないことになる)、

南の島に埋めてある宝を御用に使う時近づいたぞ。
お土の上り下りある時近づいたぞ。

人の手柄(賃金の搾取、産業スパイ、ゴーストライター、替え玉受験、盗作、権利侵害、乗っ取り、成りすまし、不正な採用や採点や払い下げ)で栄耀(えいよう)している臣民(しんみん)、
もはや借銭済(な)し(指名手配や逮捕、損害賠償)の時となったのぞ、

改心第一ぞ。
世界に変わったことは皆この方の仕組みの節々(ふしぶし)だから、
身魂(みたま)磨いたらわかるから、
早う身魂(みたま)磨いて下されよ。
身魂(みたま)磨くにはまつりしなければならんぞ、
まつりはまつらうこと(神々様に従うこと)ぞと申して説いて聞かすと、
神祭り(神棚の設置、祝い事の行事)はしないでいる臣民(しんみん)おるが、
神祭り元ぞ、
神迎えねばならんぞ、
取り違いと天狗(てんぐ)が一番恐いのだぞ。
千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。

神の規則は恐いぞ、
隠し立てはできんぞ、
何もかも帳面に記(しる)してあるのだぞ、
神の国(日本)に借銭ある臣民(しんみん)はどんな偉い人でも、
それだけに苦しむぞ、

家は家の、国は国の借銭済(な)しが始まっているのぞ、
済ましたら気楽な世になるのぞ、
世界の大晦日(みそか)ぞ、
晦日(みそか)は闇と決まっているであろうがな。
借銭返す時つらいなれど、
返したあとの晴れた気持ち良いであろうが、
昔からの借銭だから、
素直に苦しみ堪(こら)えて神の申すこと、
指すことに従って、
日本は日本のやり方に返してくれよ、

番頭(政治家や大臣)どの、下にいる臣民(しんみん)どの、国々の守護神(軍人や兵隊さん)どの、
外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いてくれよ、
その国その民のやり方伝えてあろうがな、
九十に気つけて用意してくれよ。



磐戸の巻~第18帖

今度の御用は世に落ちて苦労に苦労した臣民(しんみん)でないと中々につとまらんぞ、
神も長らく世に落ちて苦労に苦労重ねていたのだが、
時節到来して、天晴(あっぱ)れ世に出て来たのだぞ、
因縁のミタマ 世に落ちているぞと申してあろうがな、
外国好きの臣民(しんみん)、今に大き息もできんことになるのだぞ、

(“外国への不当な利益の誘導(不要な移転や公金の外国人への融通)”や“虚偽に基づく神国への貶め(嘘の刷り込みや宣伝)”や“外国と連携した違法な工作活動(破壊や暴力や密入国の手引きや国民の許しのない移民政策)…”を働いてきた人々、指名手配や晒し者になる)

覚悟はよいか、
改心次第で(手のひらの返し方次第で)その時からよき方に廻してやるぞ。
改心(謝罪や真実の公表)と申して、人間の前で懺悔(ざんげ)するのは神国のやり方ではないぞ、
人の前で懺悔(ざんげ)するのは神(法や秩序)傷つけることになると心得よ、
神(お上=裁判の場)の御前にこそ懺悔(ざんげ)せよ、

懺悔(ざんげ)の悪きコトに倍した、よきコトタマ宣(の)れよ、
(行った悪事の倍になるような、善き行いと魂に変わること)
コト高くあげよ、
(事実を高い場所に→真実を明らかにするように)
富士晴れるまでコト高くあげてくれよ、
(後ろめたさが消え失せるまで、真実を明るみにするように)
そのコトに神移って、どんな手柄でも立てさせて、
(善い行いに努めるときには、神々様が守護や手助けを行うようにして)
万劫末代(なつだいばんこう) 名の残るようにしてやるぞ。
(神国にお墓を残せるように、または、末の時代まで解決に貢献をした人々として、名前を残せるようになる)

この仕組みわかったら上の臣民(しんみん)、逆立ちしてお詫びに来るなれど、
その時ではもう間に合わんから くどう気つけているのだぞ。
臣民(しんみん)、可愛いから嫌がられても、この方申すのだ。
悪と思うことに善あり、善と思うことも悪多いと知らせてあろうがな、
このことよく心得ておけよ、
悪の世になっているのだから、
マコトの神さえ悪に巻き込まれてござるほど、
知らず知らずに悪になっているのだから、
今度の世の乱れと申すものは、
五度の岩戸閉めだから見当取れん、
臣民(しんみん)にわからんのは無理ないなれど、
それわかってもらわんと結構な御用つとまらんぞ、

時が来たら、我(われ)が我の口で我が白状するようになって来るぞ、
(改心を行わないで悪のままでいると、無自覚に悪い行いを披露してしまう、社会が目覚めたときに正体がばれてしまう、正体がばれても嘘をつき続けなければいけない)

神の臣民(しんみん)恥ずかしくないようにしてくれよ、
臣民(しんみん)恥ずかしいことは、神恥ずかしいのだぞ、
いよいよ善と悪の変わり目であるから、
悪神暴れるから巻き込まれぬように褌(ふんどし)締めて、
この神示(ふで)読んで、
神の心汲(く)み取って御用大切になされよ。


黄金の巻~第72帖

世界の人民皆心せよと申すのぞ
どんなめぐりある金でも
持っておれば良いように思ってござるなれど
めぐりある金はめぐりそのものとわからんか

家の治まらんのは女が出るからぞ
夫立てると果報は女に来るぞ

天界に住む者は一人一人は力弱いが
和すから無敵ぞ
幽界に住む者は一人一人は力強いが
孤立するから弱いのぞ
仲よく和してやれと申す道理わかったか

そなたは何万年の原因から生まれた結果であるぞ
不足申すで無いぞ
 

 

春の巻~第31帖

今の自分の環境がどんなであろうと

それは事実であるぞ
境遇に不足申すなよ

(今の環境は努力の量や自らの選択の結果であり、それ以上でもなければそれ以下でもない)
現在を足場として(出来ることから始めるようにして)境遇を美化し(問題は成長する為に必要な学びや試練であると受け止めるようにして)、善化してすすめ(善くなるように試してみたり考えながら前へと進んでみるように)
そこにこそ神の光(出口や乗り越える知恵)、喜び(感動や感謝)現れるのじゃ
逃げ道つくれば(先送りにしたり何もしなければ)迷いの道に入る(明るい未来は現れない、物事は滞ったまま、状況は悪いまま)ぞ

楽に得たもの、楽に失う

 

楽に得たもの…

苦労せずに手に入れたもの(譲り受けたもの)、素材に妥協したもの(品質の良くないもの)、手を抜いたもの(未完成なもの)、盗んだり騙し取ったもの(不正なもの)、思考や学びが足りないもの(欠陥のあるもの)、必要性のないもの(押し付けられたもの)、上辺だけのもの(心のこもっていないもの)、本人のものでないもの(他人の手柄なもの、搾取)

 

楽に失う…

簡単に捨てられる、大切に扱われない、騙しや詐欺にあう、不健康になる、問題や失敗が起こる、すぐに壊れる、返却や賠償になる、信頼や信用を失う、没収される、



春の巻~第53帖


どうしたらよいのじゃ。
神の言うこと聞くから助けてくれと申す者
たくさん出て来るが、何も難しいこと神は申さん。

現在を足場として一歩ずつ進めば良いのじゃ。
それでは食って行けんと申す者あるが
神はあり余るほど与えてあるでないか。

なぜ手を出さんのじゃ。

与えたもののみが自分のもの(積んだ徳)ぞ。
今の人民、余っても足らんと考えて
貪(むさ)ぼっている(溜め込んでいる)ぞ。

幸福(与える喜び)与えてあるのになぜ手を出さんのじゃ。
曲げて取る(否定して実践しない)のじゃ。
心の目ひらけよ。
ゴモク投げ出せよ。

(ゴモク…不正なもの)
我の強い守護神殿、もう我(が)の世は済んだぞ。
我(が)出すほど苦しくなるのじゃ。


春の巻~第56帖    

行く水にも雲にも咲く花にも神の御心(みこころ)あるぞ
それ見る目ないからわからんのじゃ。
掃除すればわかる。
掃除結構。
拝むは拝まんよりましであるぞ。
しかし拝んでばかりでは病気は治らん。
金は儲からん。
拝むばかりで金儲けできたり
病気治ったりすると思ったら間違いぞ。
理(みち)にいそしめ。
理(みち)行くところ喜びあるぞ。
喜びあるから病気も治るのじゃ。
金も出て来るのじゃ。
お蔭あるのじゃ。
喜び神じゃ。

タテには神と神界と和し
ヨコには人と環境と大和して行くところにこそ
生きの生命いのちのウレシウレシあるのであるぞ。



春の巻~第58帖    

心の洗濯早く致して太(おお)ヒツキ太神様に
特に育ての生みの親さま
九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の
御実体を理解せねば
自分でいくら頑張ってもやり損ないじゃ。
我(われ)が我が(全て実力だ)と思っているなれど
皆この方(大神様)が影からさせているのに気づかんのか。
お詫わびせよと申せば
そんな悪いことした覚えないと申すが
どこまで曇ったのじゃ。

神に捧げるには
自分に与えられたものの中から捧げねばならんぞ。
むさぼり取ったり横取りしたり
自分の物で無いもの
儲けたカス(残り)を神に捧げて威張(いば)っているが
それは捧げ物にならん。
神は受け給わらんぞ。
泥棒のお残り頂戴(ちょうだい)は真っ平じゃ。
自分のもの先ず捧げるから弥栄るのぞ。
お蔭(おかげ)万倍間違いなし。



夏の巻~第1帖    

与えられたもの、そのもの喜ぶようにすれば
楽に行けるよう暮らし向きも
楽し楽しで暮らせるようになっているぞ
あり余るほど与えてあるでないか
生かして使えよ

生活になぜアクセクするのじゃ
与えてあるもの殺すから(使わないから)
自分も死の苦しみするのじゃ
有限でなければモノは顕(あら)われないぞ

(使わなければ道端の石ころと似たようなもの)
モノに顕わすと有限となるのじゃ
(使うことにより価値や意味が現われる)

すべてに感謝せよと申してあろうが
すべてのものにそれ相当の意義あるぞ

全体的には喜びせねばならん
愛をもって接しなければならん
信(大切に扱う、誠実さ、感謝?)をおかねばならん

じゃと申して局部局部に於いては
それぞれその時に応じて処理せねばならん
只(ただ)その場合はゆとりもって処理せよ
綱長くしておかねばならん
(不正なものを捨てるにしても、再資源化や環境への影響など、よくよく考えてみることは必要に)



秋の巻~第5帖

臍(へそ)の緒はつながっているのであるから、
一段奥の臍へ臍へと進んで行けば、
そこに新しき広い世界、大きく開けるのであるぞ。
自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。
無我でないぞ。

わかったか。
海の底にはキン(“金や銀、レアメタル、ダイヤモンド…”などの鉱物資源、石油や石炭や天然ガス、沈没船の輸送物、有用な薬などを産生する細菌)はいくらでもあるぞ。

幽界と霊線つなぐと自己愛となり、
天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。

喜びも二つあるぞ。三つあるぞ。
(自身の幸せ、相手の幸せ、全体の幸せ)

大歓喜は一つなれど、
次の段階では二つとなるのであるぞ。


月光の巻~第23帖     

他の宗教に走ってはならんと言う宗教もそれだけのもの
わからんと申してもあまりであるぞ
同じ所(宇宙)に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり
現実界もあり、過去も未来も中今(今のこの地球上)にあるのぞ
同じ部屋に他(異次元)の神や仏を祀ってはならんと申す
一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのじゃ
病気が治ったり運が開けたり
奇跡が起こったりするのみを
おかげと思ってはならん
もちっと大きい心、深い愛と真の世界を拝めよ
とけ入れよ

浄化が第一

金が好きなら金を拝んでも良いのじゃ
区別と順序さえ心得ておれば
何様を拝んでもよいぞ
金を拝めば金が流れて来るぞ
金を拝み得ぬイコヂさが
そなたを乏しくしたのじゃ
赤貧は自慢にならん
無神論も自慢にならん
清貧は負け惜しみ
清富になれよと申してあろうが
清富こそ弥栄(いやさか)えの道、神の道
大ゝ◯〃◯+◯大神のマコトの大道ぞ