1996年のF1開幕戦。(実質)F1史上初のデヴュー戦でのポール・トゥ・ウィン達成か?という走りを見せたのは、ジャック・ヴィルヌーヴだった。達成されれば快挙には違いない(結果はマシントラブルによる2位)。
ただ、今一つピンとこなかったのは、ヴィルヌーヴが前年度のCARTチャンピオンだったのに加え、乗っていたのがナンバーワンチームのウィリアムズ・ルノーだったからだ。
いわば、最高のお膳立てが出来てのデヴュー戦。上回るべき相手は、チームメイトのデイモン・ヒルだけ。ヴィルヌーヴにとって勝算は十分にあったのだ。その辺は、93年にマイケル・アンドレッティと置かれていた環境が全く違っていた。
別にヴィルヌーヴを貶めるわけではないし、アンドレッティに比べれば、F1への準能力が格段に高かったのは間違いないと思う。
さて、こんな例を出したのは、デヴュー戦で勝つのがいかに難しいか、よほど条件が揃わなければあり得ないということを書きたかったから。
その後、ヴィルヌーヴに近い条件でデヴュー出来たのは、“秘蔵っ子”として満を持してマクラーレンからデヴューしたハミルトンくらいだろう。
<Formula One - 1961 French Grand Prix>
ハミルトンの場合、チームメイトにアロンソと、フェラーリのライコネンという強敵を向こうに回してチャンピオン目前まで行ったのだから、さらに上を行く。
話を戻そう。正真正銘のデヴュー戦ウインは、F1の歴史で2人しかいない。一人は、初代チャンピオンで、開幕戦イギリスGPのウィナーであるジュゼッペ・ファリーナ(ポール・トゥ・ウィン)。そしてもう一人が、ジャンカルロ・バゲッティ(1961年、第4戦フランスGP)。
ファリーナはF1開幕戦だから除外すると、ジャンカルロ・バゲッティが唯一となる。
バゲッティは、フェラーリからのデヴューとは言え、ワークスではなく、プライベーターからの参戦。予選12位から、ダン・ガーニーを退けての勝利は快挙の一言に尽きる。
ただ、バゲッティの活躍はここまで。その後5戦のイギリス、第7戦イタリアGPでともにリタイア。慾62年にワークスのフェラーリに移籍するも、4位、5位が1回づつで、チームを放出され、それ以降は、一度も入賞さえ出来ず、最後の3年は、地元イタリアGPのみのスポット参戦。
67年を以って姿を消してしまう。
デヴューウインで全ての運を使いきってしまったバゲッティ。ガーニーが、その後もF1や、NASCAR、ル・マンで活躍を続けたのと対照的だ。