19日、午前8時10分発の新幹線『のぞみ号』で大阪へ向かった。

こんな早い時間の新幹線に乗ることなど滅多にないのだが、

土曜日とあって、やはり名古屋までは満席状態だった。


当日は午後1時から、大阪ミナミのム―ブオンアリーナでトークショ―があり、

私がイベントの司会・進行役を務めることになっていた。


サムライTVの人気プログラム『Versus』の公開収録である。

今年7月から『J:COM』でサムライTVがオンエアされるようになったことを受けて、

抽選によりJ:COM視聴者が会場に招待されている。


つまり、J:COMとサムライTVが共催する形での視聴者感謝イベントといった趣。

そこで、対談も豪華な顔合わせが用意された。

1983年6月、維新軍を結成し、のちにジャパンプロレスでも同志として活躍した

長州力vsアニマル浜口の公開収録トークショ―である。


金沢克彦オフィシャルブログ「プロレス留年生 ときめいたら不整脈!?」Powered by Ameba



私が午前11時半に会場に到着した際、

たまたま浜口さんと一緒になった。

すでに、私の作った大まかな台本は先方に渡っているので、

細かい打ち合わせは必要ないかと思っていたが、

「あとで、ちょっと打ち合わせしましょう」と浜口さん。


しばらく待っていたのだが、浜口さんがなかなか控室から出てこない。

扉の前に立つと、浜口さんの大声が響いてきた。

例の浜口道場訓を般若心経のごとく唱えて、

その後、早くも「気合だー!」を連呼。

静かになったところを見計らって、ドアをノックして開けてみたところ、

なんと浜口さんはトレーニングウェアに着替えて、ゴムチューブを引っ張っていた。


「金沢さん、もう少し待ってください!

今日は浜口平吾ではなく、アニマル浜口で行ったほうがいいんですよね?

じゃあ、これから試合ですよ」


やっぱり、浜さんは本物である。

引退したって、心はプロレスラーだし、アニマル浜口なのだ。

その後、浜さんはちゃんと歯磨きもしている。

まさに、リングへ向かうレスラーの身支度だった。


向かいあって打ち合わせに入ると、浜さんはニコやかだった。


「ボクは本当に運がいい男なんです。

頸椎をやってしまって40歳で引退した。

でも、リキちゃんに出会ったおかげで、アマレス……

今はレスリングと言いますけど、その大切を改めて知った。

レスリングの基礎がしっかり出来ていないとプロレスラーはダメなんです。

ボクは指導者として、小原をはじめ、小島、境(KAI)、最近では内藤と

多くの選手をプロレス界に送ることができたから。

金沢さん、内藤はどうですか?」


「内藤は素晴らしいですよ!

いま浜口さんが言われたように、レスリングがしっかりしています。

この間、棚橋とタイトルマッチをやったんですけど、前半のレスリング勝負で、

もうピタピタっとグラウンドでも付いていくし」


「ああ、そこなんですよ!

内藤は運動神経がいいから華麗なところばかり見られがちだけど。

ボクは棚橋選手とのタイトルマッチは見てないんだけど、

その前のG1の2試合(棚橋戦、中邑戦)は見てね、凄く嬉しかった。

いいレスリングしてるなあって」


愛娘の浜口京子選手は、12月23日に、全日本選手権(天皇杯)を控えている。

今後の闘いは、すべてロンドン五輪出場権の懸かった大切な大会。

そこでナーバスになっているはずなのに、

プロレスの話をするときの浜さんは昔となにも変わっていない。


「リキちゃんと初めて会ったのは、偶然にも向島のお寿司屋さんでしたね。

夢のオールスター戦(1979年8・26日本武道館)でタッグを組む前です。

プライベートでは初対面だったけど、ボクは知ってましたから。

白いタイツに白いシューズが格好いいなあって。

レスリングが強くて、動きが速くて、力が強くて、重心が低い。

ボクは初対面なのに、酔っ払ったときのいつもの癖で、

リキちゃんの肩をバンバン叩いて話しかけてね。

あとでリキちゃんは、この人とはもう二度と飲みたくないと思ったらしい(笑)」


「浜口さん、そういう楽しい話は本番にとっておいてください(笑)。

ところで、お客さんのために最後の締めで『気合だー!』をお願いできますか?」


「ハイ、やりましょう! こんな大雨のなか来てくれた人に感謝をこめてね」


こんな感じで、浜口さんと気分よく30分ほど話し込んでいたところ、

スタッフから長州が到着したという連絡が入った。

しかも、オマケの伝言付き。

おそろしく、不機嫌だという。


その状況をスタッフとマネージャーさんから聞いて、すぐに理解できた。

新大阪駅からタクシ―に乗車したものの、

運転手がム―ブオンアリーナの位置が分からず、グルグルと回ってしまった。

結局、アリーナ入口に車を付けられないために、

大雨の中、商店街の入り口付近で降ろされた。


しかも、タクシーで向かっている途中に、

イベントの司会が私だということを初めて聞かされた。

もう、長州の嫌いもの、その条件がすべてそろった感じか(苦笑)。

対談相手が浜口さんでなければ、大変なことになったかもしれない…。


いくらまるくなったとはいえ、長州のせっかちな性格は変わらない。

特に嫌いなことは、人に待たされることと、タクシーでの渋滞や道に迷うこと。

もう一つ、そこに付け加えるなら、取材者が金沢克彦であることだ。


昔のイメージでものを見ている人にとっては、

長州力にもっとも近いマスコミ人が私であって、

長州=GKと結び付ける人は多い。


ところが、この4~5年はまったく違う。

確かに、25年も取材してきた私がマスコミの中では、

もっとも長州の心情を理解でき得る人間だと思う。


ただし、裏を返して言うなら、長州にとって金沢の存在はストレスそのもの。

1980年代は日本マット界を代表するスーパースター。

さらに1990年代、業界の盟主であった新日本プロレスを

現場監督としてリードしてきた長州。


その後の、時代の変遷、旗揚げしたWJの失敗……

一時プロレス界に絶望しながらも、業界で何かを見せつけようと、

ギリギリの気持ちでリングに上がり続ける長州。

37年に及ぶプロレス人生、その過去を振り返ることを長州は嫌う。


過去の栄光に関しても、それを語ることはストレスでしかない。

だから、長州をもっとも取材してきた私の存在そのものが、

長州にとってストレスとなるのだ。


だからと言って、私には気後れも動揺もない。

私が長州とマンツーマンで会話するわけではないし、

あくまで私は進行係であり、長州と浜口さんの対談であるからだ。


ましてや、テレビカメラが回っているし、招待客も50人近く詰めかけている。

観客のため、視聴者のためのトークイベントなのだ。


しかし、甘かったというか、長州力もまた長州力そのものだった。

私がテーマを投げかけると、浜さんを通り越して、私に語りかけてくる。

語りかけるというより、感情を言葉にしてぶつけてくる。


いくら長州でもカメラが回っているとき、

また観客がいる前であれば、今までなら少しは気遣いを見せてきた。

普段は「金沢」と呼び捨てでも、「金沢クン」とクン付けにすることが多い。

しかし、この日は「金沢」、「オマエ」を連呼し、

単独インタビューのときとまったく変わらない。


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この収録中の写真を見ただけで、なんとなくカタイ空気が伝わってくるだろう。

本来、『Versus』の収録において、私はカメラの後ろ側にいる存在。

つまり、黒子(くろこ)役である。

テーマを振ったり、話が煮詰まってきたら、話題を変えてもらったり、

そういう役目をこなしている。


放送では、私の進行の声はカットされて編集されるから、

普通はちゃんと対談番組として見事に成立している。

当日も、そのつもりだったが、そうはいかなかった。


私が話題を投げかけると、長州は浜さんを通り越して私に向かってくる。


「維新軍からジャパンプロを結成し、新日本から全日本へ。

そのとき、新日本と全日本の違いをどう感じましたか?」


こう言うと、長州は苦笑いを浮かべた。


「金沢、そんな話は今までオマエに何十回としてきただろ!?

今さら何を……これが質問するのがオマエじゃなかったら、

オレの答え方も変わってくるんだよ。

オレには、ここに金沢が司会者としていることが一番不思議だな」


答えはシュートである。

私は観客と視聴者に向けて、テーマを振っている。

その回答にしても誌面で読むのと、実際に生の声で聞くのとは大きく違う。

しかも同志であった浜さんと語ることに意味があるわけだ。


しかし、真っ直ぐに長州は私に対してくる。

ある意味、これも長州力なのだ。

観客はどう反応すべきか戸惑っているように感じた。

ただ、それでも意味はあったと思う。


ファンサービスを念頭から外した、ナマの長州力を見ることなど、

滅多にない機会だと思うのだ。


「リングは怖いところだよ。

だから笑いが出たらおしまいなんだ。

ましてや、オレはそういう現場(事故)を見てきてる。

オマエたちが写真をパチパチ撮るような現場をね」


「オレは今まで、プロレスをやってきて相手と勝負してきたことはないんだよ。

常に、お客と勝負してきた。

それだけはずっと変わらない」


「浜さんと一緒のときは特にそうだったけど、

興行での3時間~4時間の集中力というのは誰にも負けないと思ってるね。

だから、終わったあとに浜さんと飲むビールは最高に美味かった」


「オレからすると、今のプロレスはどの団体もみんな同じに見えてしまう。

そりゃあ、みんな一生懸命がんばっているんだろうけど…

見ていて怖い部分もあるよね。

だから何度か言ったようにオープンキッチンで、みんな好きなものを選べる。

昔は、暖簾の向こうからサッと料理が出てきた。

そこにインパクトがあったし、サプライズがあった。

外すことだってあったけどね」


「そう、(過去に言ったように)『PRIDE』は出来事だよ。

だから、どんな形になろうとプロレスは絶対残るんだよ」


こういった調子で、11年前に聞いた『PRIDE』ブームに釘をさす

”出来事”発言に関しても触れていた。

そこだけは「オレの目に狂いはなかったろ!」とでも言いたげに見えた。


また、浜口さんが引退を決めた理由を口にしたとき、

心なしか長州の目が潤んでいたようにも感じた。


「試合でブレーンバスターを食ったときに頸椎を負傷してね、

頭は意識があるのに、右半身が全部痺れて動かない。

ああ、オレは死ぬのかって思ったんですよね。

それが引退の原因になったんですけど…」


そのときばかりは、終始憮然としていた長州が大きく頷いた。


「浜さんが辞めるとなったときは、引きとめるとかそういう問題じゃなくて、

不安感が一番だったよね。

初めて不安感があっって、オレはアニマル浜口に支えられてきたんだなって」


さて、長州は来年の1・8後楽園ホール大会で橋本大地と一騎打ちで相まみえる。

因縁深い橋本真也の忘れ形見、大地と初めて肌を合わせるのだ。


「チンタはねえ、インパクトあったよね。

あの橋本チンタ…橋本真也のインパクトは最高だった。

確かにその息子なんだけど、オレに特別なものはないですよ。

将来有望な若手選手と闘うと、そこはいつもの気持ちですよ」


不機嫌さを隠すこともなく、時には熱い言葉、長州語録も飛び出した。

一方の浜さんは、恩人の長州力を称え続け、感謝の言葉を何度も口にした。


最後に、約束通り、観客も総立ちで、「気合だ!!」の10連発。

それを照れながらも楽しげに見守る長州の姿も印象的。


まさしく、波乱万丈の70分収録。

果たして、どのような番組に仕上がっているのか、

私も興味津々だ。


熱血と気合のアニマル浜口。

ストレスの中で、未だリングに何かを求め続けている長州力。


その微妙な空気感と、あの時代が少しでも伝わってくれたなら、

珍しく”超早起き”した私も本望である。


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 ◎放送日

 サムライTV『サムライスペシャルVersus♯56 長州力vsアニマル浜口』

 12月12日(月)、23:00~24:00、他。


   ぜひ、ご覧ください!