2011年3月11日、14時46分、宮城沖で地震発生。M9.0.この日は短大の卒業式だった。午前中は卒業式に出席し、午後2時ごろ家に戻った。しばらくして4時ごろにテレビをつけたら宮城県仙台空港に津波が押し寄せてくる場面が映っていた。信じられない。17年前仙台から宮崎に来るとき最後に飛びだったのがこの仙台空港。それから宮城、岩手、福島の沿岸地域に押し寄せてくる津波の映像。流される家・車・船。何もかも飲み込んでしまう圧倒的な力にぼう然とする。恐ろしい光景が次々と報道されていた。

さらに恐ろしいことに東京電力の福島原発が爆発したと報道。煙りがあがる。これは世界各国が地球的危機というほど重大ニュースだった。後で原子炉本体の爆発ではなく原子炉を覆う建屋に溜まった水素が爆発したことがわかったが、1、3、4号機の建屋がめちゃめちゃに壊れ、放射能が漏れ出したことが放映され、世界を驚かせた。

今日は4月3日。大震災発生からもう3週間が経った。当日から今まで震災と原発関連のニュースに夢中だった。被災地域は広く、被災規模も大変大きい。被害の全容は未だ分かっていない。朝日新聞によれば3月29日現在、死亡1万1千人、行方不明1万8千人、避難17万5千人となっている。経済的被害は数兆円といわれるが、これからもっともっと増えていくと思う。

私は宮崎に来る前7年間仙台に住んでいたので、震災の被害を受けた知り合いも多い。その中にはなくなった方もいる。仙台市から岩沼市の海沿いに引越してきたが、家ごと流された。電話や年賀状で、遊びに行く、そのうち会おうと、いつも言っていたのに、もう会えなくなってしまった。さようならなど絶対に言わない。

地球市民ー平和・環境・教育ー -東日本大震災被害状況(朝日新聞20110330)
朝日新聞2011.3.30

(この画像の右に震災で亡くなった方の名前、年齢、住所が書かれている)