2月18日の午後7時35分、JR福島駅東口の地下道を歩いていたら、小柄な男に声をかけられた。
「あの~、スイマセン。お金を恵んでいただけないでしょうか。食べ物を買うお金がないんです。200円でいいので、お願いします」
伸び放題の口ひげは、白くなっていた。茶色のダウンコートを着込み、頭には灰色のニット帽。両手に持った布製のバッグは、荷物でパンパンに膨れ上がっていた。その姿からホームレスであることは容易に想像がついた。

サイフの中を見ると、ちょうど100円玉が2つ入っていた。1000円だと負担感があるが、200円なら大したことはない。相手はホームレスである。この場面で素通りすると、後味が悪い。夢に出てきそうだ。これも何かの縁なので、200円を提供することにした。
男は「ありがとうございます」と言って、何度も頭を下げた。たった200円でこれだけ感謝されれば、悪い気はしない。

それにしても、男はなぜ、ホームレスになったのか。これまで、どんな人生を歩んで来たのか。気になったので、話を聞いてみた。
「除染作業員をやっていたんですが、会社が解散しまして…。社長が亡くなったんです。68歳でした。私はそれまで、社長が経営していた店に住んでいました。店の建物の一角にある四畳半の部屋です。店と言っても、小売りではありません。カラオケがある飲み屋です。そこが宿舎になっていたんです。場所は福島市内です。そこから飯舘村の現場に通っていたんですが、会社の解散で仕事も寝泊まりするところも失いました」
除染作業員の失職・ホームレス化は、今後、福島で続発する問題だ。住宅地の除染は8割ほど終了したので、数年前に比べると、人手不足感が薄らいでいる。必然的に能力(体力)が低いと見られがちな高齢者は、仕事の枠から弾き出される。年齢的な問題で別の仕事に就くのも難しい。持ち家がある人はそれでも居場所があるが、そうでない人も多い。ギャンブルや酒に金を使いまくり、貯蓄のないというタイプも珍しくない。そういう現実があるので、元除染作業員の高齢者はホームレス化しやすいのだ。

話を戻す。男の口調は抑揚があり、福島の平板アクセントではなかった。もともとはどこに住んでいたのか。詳しい話を聞いてみたいと思った。ただ、200円を渡しただけで立ち入った話を聞くのは失礼なので、500円をプラスした。計700円。福島の平均的な時給だから、1時間ぐらいは話を聞いてもいいだろう。男はこちらの狙いを察知したのか、嫌がる素振りも見せずにスラスラと質問に答えてくれた。

男の名前は山田佐喜男(仮名)。64歳。61歳まで名古屋に住み、鉄工所で働いていた。しかし、高齢になった社長が会社を畳んだため、無職になった。ハローワークに通ったが、年齢が障害になった。いくらトヨタ自動車のお膝元でも、60歳を越えると、就職は難しい。そこで、年齢制限の緩い除染の仕事に就くため、福島に来たのだ。
「名古屋では独り暮らしをしていました。両親とも亡くなりました。兄弟もいません。私ぐらいの年代だと、たいがい3人ぐらいはいるんですけどね。借家で生活していたので、無職になると、家賃が払えなくなる。そのままではホームレスになるので、思い切って除染の仕事をやることにしたんです。当時の所持金は30万円。福島に来たのは2013年4月21日です。なぜ、日にちを正確に覚えているか? 季節外れの大雪が降ったからです。あれは驚きました。名古屋では、あんな大雪は見たことがありません。福島に来たその日に競馬場に行きました。せっかく福島に来たので、どんな感じなのか見てみたいと思ったんです。ただ、大雪で福島のレースは中止になりました。他の競馬場のレースは開催されていたので、とりあえず馬券を買うことはできました。結果ですか? まあ、遊びですから…(笑)」
福島に来た山田は、ビジネスホテルを生活の拠点にした。一泊4700円。全財産30万円の男にとっては、負担感があった。だから、早く除染の仕事を見つけて、作業員の宿舎に入ろうと思った。毎日のようにハローワークに通ったが、現実は厳しかった。61という年齢より、運転免許証のないことがネックになった。

「除染作業員募集!」の求人票やチラシ・広告を見ると、必ずと言っていいほど「要運転免許」と書いてある。作業員はそれだけクルマの運転をする機会が多いのだろう…と思うかもしれないが、実際はそうではない。1つの作業班に5~6人いたとして、うち1~2人は運転免許を持っていないことが多い。
では、なぜ運転免許証が必要なのか。身分を証明するものだからである。求人に応募して来た人が知り合いなら、運転免許証がなくても、どこの誰か分かる。知人の紹介というパターンもある。初対面でも、運転免許証で住所と生年月日(年齢)が確認できれば、何となく安心できる。しかし、運転免許証がないと、履歴書に書いてある名前や住所さえ本当かどうか分からない。それでなくても、福島では除染作業員の事件が問題になっている。暴力団が入り込んでいるという話も流れている。だから、本人確認の手段として、運転免許証が必要なのだ。
「昔は持っていたんですよ。でも、あるとき、更新するのを忘れて、失効してしまいました。それが今になって響いているんです。名古屋にいるときは、免許証がなくても、さほど支障はなかったんですが…」

山田はそれでも、ビジネスホテルとハローワークの間を往復した。半月もたったころだろうか、ハローワークの前で見知らぬ男に声をかけられた。
「毎日ように顔を出してるね? 仕事を探しているの? だったら、除染の仕事をやらない」
男の名前は飯島常夫(仮名)。福島市内で除染の会社を経営しているという。運転免許証がなくてもOK。宿も提供するという。山田にとっては、最高の条件だった。断る理由がないので、山田は飯島の会社で働くことを即決した。
「あとで分かったことですが、社長(飯島)はこれでした」
山田はそう言いながら、右手の人差し指でほっぺたを切るような仕草をした。暴力団という意味だ。
「さすがに現役ではありませんでしたけどね。いい人でしたよ。給料もきちんと払ってくれました。会社には私を含めて13人の作業員がいました。会社と言っても、事務所は社長の自宅でしたけど(笑)。私以外の12人は地元の人で、自宅から通っていました。宿舎で寝泊まりしていたのは私だけです。宿舎は(前述した)四畳半の部屋でした。居心地は悪くありませんでした。ただ、社長が大きな声でカラオケを歌っているときは、部屋まで聞こえてきました。そこそこ上手かったので、うるさいとは感じませんでしたが…」
飯島の会社は、福島市飯坂町、川俣町中心部、飯舘村の計3カ所に現場を持っていた。このため、作業員13人も3つに分割された。山田は、同僚3人と飯舘村の現場に通った。(つづく)

【写真】山田佐喜男の後ろ姿。「写真を撮ってもいいですか?」と聞いたら、あっさりOKが出た。さすがに顔写真は撮らなかった