アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』 | 文学どうでしょう

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武器よさらば(上) (光文社古典新訳文庫 Aヘ 1-1)/アーネスト ヘミングウェイ

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武器よさらば(下) (光文社古典新訳文庫 Aヘ 1-2)/アーネスト ヘミングウェイ

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アーネスト・ヘミングウェイ(金原瑞人訳)『武器よさらば』(上下、光文社古典新訳文庫)を読みました。

ヘミングウェイなんて。ぼくはずっとそう思ってきました。それは面白いとか面白くないとか以前の問題で、たとえばクリスマスのチキンを想像してみてください。あれの骨だけがある感じなんです。印象としては。

ぼくにとってのチキンのおいしさは、そのお肉の部分なのに、骨だけあってもしょうがないよと。

つまりストーリーである”お肉の部分”に魅力がなく、それは何故かと言うと、登場人物の感情が抜け落ちている感じがするからなんです。

ぼくら読者が一緒に感じるべき喜怒哀楽というか、悩みや苦しみが伝わってこないんですね。

どこか空っぽの人間がその状況にいるだけの物語で、たとえばぼくの好きなユゴーの『レ・ミゼラブル』やデュマの『モンテ・クリスト伯』のように、一緒に笑って、一緒に泣ける物語とは対極にあると言っていいと思います。

ところが、それこそがまさにいいところだということが、読み終わると分かります。

特にこの物語のラストの一文にヘミングウェイの凄みが現れているんですが、それはなんてことのない文章なんです。そこだけ読んでもなにも描かれていません。

引用してもいいんですが、さすがに最後の一文ですし、物語を読まないとそのよさが全く伝わらないのでやめておきます。

気になる方はぜひ実際に読んでみてくださいね。最後だけ読んでも分からないので、全部読む必要はありますけども。上下巻ですが、わりとすっと読めます。読みやすいことは読みやすい小説ですよ。

ヘミングウェイはよく文体の作家と言われます。ストーリーでもなく、テーマでもなく、文体。

すべてをそぎ落としたようなその簡素な文体の魅力というのは、残念ながら翻訳ではかなり失われてしまっていて、素晴らしさは正直あまり伝わってきません。

いずれ原文で読んでみたい作家の一人ではありますけども、それはまあともかく、翻訳を通してでも分かることもあります。

たとえば『武器よさらば』は単純に言えば戦場におけるラブ・ストーリーなんですが、その男と女の性行為はほとんど全く描かれていません。

性行為自体はあるはずなんです。普通は仄めかしがありますよね。映画で言うなら、抱き合う2人にカメラが寄っていって、フェードアウトみたいなシーンです。

もちろんそういった仄めかしの要素もないことはないんですが、印象としては、それが全くばっさりカットされている感じです。

性行為前後のムードというか、雰囲気すらも全くばっさり切られているような。甘ったるい感じや、エロティシズムが排除された物語なんです。

「解説」にも引いてありましたが、ヘミングウェイが自身の文体について語っているように、表に出ている氷山はわずかで、多くは水面下にあるということが読み取れるかというと、それはそうでもないと思うんですね。

水面下というか、その省略された文体や文章の奥になにかを読み取るべき物語ではないだろうと。

ドストエフスキーの小説など、いわゆる「形而上の問題」を読者に突きつける小説があります。

「形而上の問題」とは神はいるのかいないのか、人はなんのために生きるのか、など観念的なテーマのことだと考えてください。そうした問いを読者に投げかける小説もあります。

あるいは信頼できない語り手の手法のように、語りの裏側に隠された真相を読み取って楽しむ小説もあります。

こうした「形而上の問題」や信頼できない語り手の小説では、水面下を探ることになんらかの意味なり、面白みがありますが、ヘミングウェイの小説はそれとは決定的に違います。

探るべきもの、読み取るべきものがそこには全くなく、その「ない」ということ自体が、この小説の最も面白い部分だろうと思うんです。

骨のような印象の小説。とことん無駄を排した文体。本来あるべきなにかが決定的に「ない」小説。

それでいて描かれているのはラブ・ストーリーです。舞台は戦場。どうですか、興味がわいてきませんか。それが一体どんな小説なのか。

簡素な文体なだけに難解さはなく、すらすら読めます。興味を持った方はぜひ読んでみてください。

作品のあらすじ


舞台は第一次世界対戦の真っ只中のイタリア。イタリア軍とオーストリア軍が国境付近で戦っています。

主人公はフレデリック・ヘンリーというアメリカ人で、自分で志願してイタリア軍に参加しているんです。兵士ではなく、傷ついた兵士を運ぶのを指揮しています。

物語はフレデリック・ヘンリーの1人称である〈おれ〉で書かれていきます。1人の視点で描かれているので、物語はとても読みやすいです。

戦争が舞台ですが、その形式だと目の前の戦いをより肌で感じやすいわけです。その一方で、全体的にどちらが勝っているかや、具体的な戦況のようなものは分かりません。

ミクロな視点はあるけれど、マクロな視点はないわけです。

〈おれ〉がなにを考えて、イタリア軍に志願したのかは分かりません。それでも周りとうまくやっていて、医者でルームメイトのようなリナルディと冗談を言い合ったり、みんなで神父さんをからかったりしています。軍隊での愉快な暮らし。

リナルディが、かわいい看護師に会いに行こうというので、一緒に出かけていき、そこで出会ったのが、キャサリン・バークリというイギリス人の看護師です。

正式な資格を持つ看護師ではなくて、幼馴染の婚約者が兵隊になった時に志願して、急ごしらえの看護師になったんです。ところがその婚約者は亡くなってしまいました。

戦場で出会った〈おれ〉とキャサリン。普通は恋愛には発展しません。なぜなら、兵隊の多くは故郷に恋人や奥さんを残してきていて、しかもリナルディもそうですが、売春宿みたいなところで遊ぶのを楽しみにしているわけです。

火遊びみたいのはあっても、本気で人間関係を構築していくようなことはしません。〈おれ〉もこんな風に考えています。

ひとつわかっていたのは、おれはキャサリン・バークリを愛してなんかいないということだった。そんな気はない。これはゲームだ。ブリッジみたいなものだ。カードのかわりに、言葉をやりとりするゲーム。ブリッジと同じで、金か何かを賭けているつもりになるのが大切だ。何を賭けているかはだれにもわからない。おれは、それでいい。(上、54ページ)


〈おれ〉は上っ面の恋愛ゲームだけを楽しみ、キャサリンは亡くなった恋人のことを〈おれ〉と重ね合わせています。多分この段階では肉体関係はないんだろうと思います。

ある時、〈おれ〉は戦場で足を負傷してしまい、少し離れた病院に担ぎ込まれます。そこにキャサリンが看護師としてやってきます。

そこで再会した2人にどんな感情の変化があったかは分かりませんが、急に恋に落ちます。まさに突然の出来事。

ベッドで寝ている〈おれ〉の元に夜こっそりやって来るキャサリン。キャサリンの髪の毛のヘアピンを取る場面がとても印象的です。

戦場で恋に落ちた2人。果たして2人にのしかかる運命とは? 熱く燃える恋の行方はいかに!?

とまあそんなお話です。ラブ・ストーリーに障害はつきもので、ライバルの男なり女なりがいる3角関係や身分の違いなど、愛しあう2人を引き裂こうとする力があるから面白いわけです。ところが『武器よさらば』にはほとんど障害はありません。

もちろん戦場ということはありますけども、ではその戦場であること、あるいは戦争が2人の運命を左右するかというと、必ずしもそうとばかりも言えないんです。

描かれているのは、ごくごく普通の楽しいことであり、平和な暮らしでも起こりうる悲しいことだったりします。

最後に〈おれ〉のキャラクターについて少し触れます。

読者は〈おれ〉の目を通してすべての世界を見ることになるわけです。この〈おれ〉はよく言えばクールですが、どこか虚無的なところもあります。

キャサリンに対する恋愛感情はたしかに感じられますが、やはりその根底には一抹の冷静さがあるような気もします。より正確に言うと、劇的に事態が変化しても動じないようなところがあるということです。

物語の中で、〈おれ〉がこんな風に考えるところが強く印象に残っています。少し長いですが、引用しておきます。

 かつて野営していたとき、たき火に丸太をくべたことがあった。丸太には蟻がびっしりたかっていた。丸太が燃え始めると、蟻が表面に出てきて、まん中の燃えているほうにやってくる。それから端のほうに逃げていく。そして端がいっぱいになると、火のなかに落ちていく。火から逃れていく蟻が、焼けてつぶれたような体で必死に走っていった。しかしほとんどは、燃えているほうにいってから、端のほうに逃げて戻り、その熱くないところに固まっているうちに、火のなかに落ちていった。いまでもよく覚えているのだが、そのときこう思った。これが世界の終わりだ。そして自分が救世主になって、丸太をたき火のなかからつまみあげ、蟻たちが地面にもどれるような場所に放り投げてやることもできる素晴らしいチャンスだ。だがおれは何もせず、ブリキのコップに入った水をその丸太にかけただけだった。そして空になったコップにウィスキーをついで、水で割った。おれが燃える丸太にそそいだコップの水は蒸気になって蟻を苦しめただけだろう。(下、282ページ)


この〈おれ〉の考え方から、いくつかの要素が読み取れます。まず事態に直面した時になんの行動も起こさないこと。それから起こした行動は決して事態の改善にならず、無駄な結果で終わったこと。

そしてなによりこの蟻たちが、戦場での人間、あるいは〈おれ〉自身が生きている世界全体を表しているだろうこと。

みなさんもこの小説を読みながら、〈おれ〉が一体どんな考えをもった、どんなキャラクターなのかを考えてみると面白いかもしれません。舞台は戦場ですが、ラブ・ストーリーですし、それほど読みづらくもない小説なので、ぜひ読んでみてくださいね。

おすすめの関連作品


リンクとして、映画を1本と小説を1冊紹介します。

まずは映画から。本当は『武器よさらば』の映画化作品を観ていればよかったんですが、残念ながらまだ観ていないので、他の戦争映画を紹介しますね。『地上より永遠に』です。

地上より永遠に [DVD]/バート・ランカスター,モンゴメリー・クリフト,フランク・シナトラ

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日本軍が敵なので微妙と言えば微妙ですけども、バート・ランカスターとデボラ・カーの砂浜でのキスシーンが有名な映画です。話の核は全く違いますが、『パール・ハーバー』の原型とも言えるような作品です。

戦争映画は数多くありますが、戦場での恋愛を描いたものってそれほど多くはない気がするんですよ。一番多いパターンは、故郷に恋人をおいて戦争に行くというやつですね。

『地上より永遠に』は戦場での恋、それも熱烈な恋というので、すごく印象に残っています。まっ、不倫の恋ですけどね。

続いては小説。これが結構困りまして、上の方でも書きましたが、恋愛小説の多くが障害があるものなんですよ。

3角関係だったり、身分の違いだったり、2人を引き裂こうとする力が働いてこそ面白い物語になるわけです。

愛し合う男女がいて、なんの障害もない物語。それを思いつくのに苦労しました。我ながらわりといいチョイスだと思いますが、リチャード・ブローティガンの『愛のゆくえ』はどうでしょう。

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)/リチャード ブローティガン

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作者が本を置きにくるという、不思議な図書館で出会った男女の物語です。結末や2人が望んだ方向性も全く異なりますが、『武器よさらば』とシンクロする部分もあります。

文章が印象的な小説ですし、出てくる彼女のキャラクターがよいので、機会があればぜひ読んでみてくださいな。