日本のアンビエントミュージックはどのようにして新しいオーディエンスと出会ったのか | CAHIER DE CHOCOLAT

日本のアンビエントミュージックはどのようにして新しいオーディエンスと出会ったのか

[ORIGINAL]
Another Green World: How Japanese ambient music found a new audience
BY LEWIS GORDON, JAN 14 2018
http://www.factmag.com/2018/01/14/japanese-ambient-hiroshi-yoshimora-midori-takada/



アナザー・Green・ワールド:日本のアンビエントミュージックはどのようにして新しいオーディエンスと出会ったのか

Photograph by: Norio Sato

ここ数年で、吉村弘の『Green』や高田みどりの『Through The Looking Glass』など、これまであまり知られていなかった日本のアンビエントのクラッシックスの人気が高まっている。Lewis Gordonがその現象について調査し、新たに寄せている関心の波について知るために、アメリカ、英国、日本のレコードコレクターや販売している人たちに話を聞いた。

2018年の今、私たちがアンビエント、あるいは、ニューエイジミュージックとして認識しているもの。それらを静かに制作していたアーティストたちが1980年代の日本にいた。笑いのネタにされるような、大量生産されたクジラの鳴き声と打ち寄せる波やゆるい民族楽器を使用したヒーリングミュージックのレコードからは考えを切り離してほしい。吉村弘、高田みどり、芦川聡、そして、彼らの仲間たちは、完璧なまでの落ち着きがあり、ミニマルで、画期的なもの――今や幅広い評価を得ているレコードを作り出していた。Yellow Magic Orchestraの坂本龍一や細野晴臣のようなアーティストたちは日本の外で一定の成功を収めたが、これらのアーティストたちはそうではなかった。80年代、90年代には彼らの作品の熱心な愛好家が少数いたものの、その後はほとんどいなかった。前例のない日本の経済成長を背景に、その当時の日本の音楽は急増する富から利益を得ていた。しかし、その一方で、その影響には疑問や反感を持って集まる者もいた。



こういった比較的知られていないアーティストたちに今、変化が起こっている。Palto Flatsからリイシューされた高田みどりの1983年のアルバム『Through The Looking Glass』は、リイシュー前にすでにYouTubeで何百万回もの再生回数となっていた。コレクターのための珍品から、アルゴリズム時代のクラッシックの新発見へと変化したのである。Light in the Atticは現在、日本の音楽のアーカイブシリーズを制作しており、それには80年代のニューエイジやアンビエントのアンソロジーが含まれている。高い評価を得たRoot Strataのmixシリーズを通して、日本のアンビエントミュージックをオーディエンスに広げることに大きく貢献したVisible CloaksのSpencer Doranがキュレーションを行なっている。今、DoranはRoot StrataのMaxwell August Croyと組んで、彼らのレーベルEmpire of Signsで、吉村弘の作品をセレクト、リイシューするために動いている。そのセレクトには吉村のファーストアルバム『Music For Nine Post Cards』も含まれる。

1986年にAir Recordsからリリースされた、吉村のランドマーク的作品であるビートレスのアルバム『Green』は、日本のアンビエントミュージックにおいても、その最近の復活においても、中心的存在である。高田の『Through The Looking Glass』同様に、『Green』もCDバージョンがYouTubeにアップされたおかげで人気の復活につながった。高速で変化する東京の喧騒の中で作られたレコードにもかかわらず、そのクリーンな静けさは、当時、都市の屋外のサウンドスケープの多くを占めていたであろう重機や空気圧で動くドリル、ガンガン鳴り響く金属工事の騒音からの小休止を提供している。日本盤のアートワーク――美しく撮影された観葉植物のサコバサボテン――は『Green』のサウンドの清らかさを届ける。それだけに、ますますこのアルバムが長い間人々に知られていなかったことが理解できないのである。『Green』の落ち着きは、Tokyo Fluxus(*前衛芸術集団)や独創的な即興グループ、タージ・マハル旅行団としての吉村の初期の作品とは大きく異なっているが、それらの屋外でのパフォーマンスを好む傾向は、吉村ののちのソロ作品のサウンドのテーマと通じる部分もある。



『Green』などのこの時代のレコードを少しずつ再発見し始めたのは、Chee Shimizuのような人たちである。約10年前、日本の不況のあおりを受けて、Shimizuは主な収入源だったグラフィックデザインの仕事を失った。自分自身のDJセットのためにもなり、同時に、収入を得る助けにもなるレコード探しをしながら、彼は妻のアドバイスでオンラインレコードショップOrganic Musicを始めることにした。「その当時、僕がDJセットの中でニューエイジやアンビエントをプレイし始めた時は、誰も興味を持ってくれませんでした。でも、6~7年で状況が変わりました」Shimizuはそうメールに書いている。「ヨーロッパにいる中の良い友だちにもこの手の音楽に興味のある人が何人かいて、こういう種類のものを世の中に紹介する手伝いをしてくれました」 この手のレコードへの興味や関心を盛り上がったのは、アムステルダムのレコードショップRed Right RecoredsとレーベルMusic From Memoryのおかげであるところが大きいとShimizuは言う。

大阪のレコードショップRare Grooveのオーナー佐藤憲男は、人々の興味が広がるより前に、Music From MemoryのJamie Tillerから直接依頼を受けていたという。「そのあと、ヨーロッパのDJやコレクターたちが日本のニューエイジやアンビエントミュージックのウォントリストを僕のところへ送ってきてくれるようになったんですけど、僕も知らないレコードがすごくたくさんありました。彼らは素晴らしい日本のレコードを僕に教えてくれました」 Organic MusicでのShimizuの元同僚で、今はレコードショップOndasのオーナーであるDubbyも、6~7年ほど前の日本のアンビエントミュージック熱の高まりについて、似たような経験をしている。



Spencer Doranは、Shimizu Chee、佐藤憲男、Dubbyのような日本にいる人たちを頼りに、そういったレコードを見つけてアメリカへ送ってもらっていた。彼が最初に聴いた吉村のレコードは『Air』だった。化粧品メーカーの資生堂のために作られたアルバムである。レコードは香水が吹きつけられ、袋に密封されていた。資生堂の香水のひとつのエッセンスをとらえるために作られた音楽だった。「それは何年もの間、1ドルのレコードが入っている箱の常連だったんだよ」とDoranは言う。「驚いたね。誰も聴いたことがない、少なくともアメリカでは誰も聴いたことがない、こんな人がいたなんて。だから、僕はすぐ友だちに言ったんだ。『この人のレコードを見かけたら、とにかく全部買って、僕に譲ってくれ』って」 その年のうちに『Green』、『Surround』、『Music For Nine Post Cards』がDoranの元に送られてきた。80年代の吉村の独創的なアウトプットの最も重要な部分を構成するレコードたちだ。

70年代中期以降のBrian Enoのビートレスの作品は、欧米のオーディエンスにとってのはっきりとした基準であるが、これら日本人アーティストたちの作品は、それとは決定的に異なっている。吉村は、自身の音楽を“環境音楽”とし、“アンビエント”の日本独自の解釈ではあるが、新しいコンテクストを構築するものだとしていた。Enoが『Music For Airport』で架空の環境のためのアンビエントミュージックを作り出したが、吉村と彼と同時期に活動したアーティストたちは、特定の実在する場所のための音楽を作り出していた。

吉村の1986年のアルバム『Surround』はミサワホーム株式会社のために、企業用として作られた。ミサワホームのモデルハウスで流すためのものだ。また、彼のファーストアルバム――『Music For Nine Post Cards』――は、原美術館に提供するために作曲されている。そのCDのライナーノーツで吉村は「ここでこのアルバムが流れたら、どんなふうに聞こえるんだろう?」と思いを巡らせている。悲劇的な運命の展開によって、彼が作曲した最後の作品となってしまったのは、また別の施設、神奈川県立近代美術館のためのもの(*『FOUR POST CARDS』)だった。2003年に彼がガンで亡くなる前だ。Enoと同じく、吉村のアプローチのルーツはErik Satieの“家具の音楽”のコンセプトにある。Enoは『Discreet Music』でそのフランス人作曲家を直接参考にしているが、柴野さつきの1983年のレコード『Erik Satie (France 1866-1925)』は確実に日本とのつながりを作った作品だろう。



柴野のレコードも、吉村のファーストアルバムも、芦川聡によって創設されたレーベルSound ProcessからリリースされたWave Notation(波の記譜法)シリーズの作品である。もともとは『Music For Nine Post Cards』をリリースするために作られたレーベルだったが、その事業はサウンドデザイン・コンサルティング会社へと急速に成長していった。1982年、ひんやりと美しい静寂をたたえたレコード、芦川のアルバム『Still Way』がリリースされた。芦川自身によって書かれたそのライナーノーツは、彼と吉村の環境音楽についての声明のようにも読める。カナダの音環境保護論社Murray Schaferのことばを引用したのち、芦川はこのように書いている。:「雰囲気作りをするはずのBGM でさえ過剰のように思える。視覚的なデザインが大変よく施されている空間でも、音のデザインはまったくされていないのが現状だ。建築やインテリア、そして食料や大気などのような日常生活に欠かせない要素と同じレベルで、音・音楽を考えなおしてみる必要があるだろう」 Sound Processは、続けてEnoのコラボレーターでピアニストのHarold Buddに関する本を出版し、急成長する欧米のアンビエントミュージックと日本のアンビエントミュージックのつながりをさらに強いものとしていく。

これらのレコードは特定の空間のために作られたものだが、それらはまた深く場所を思い起こさせるものでもあり、そこでEnoの作品との一致が再び起こる。Arena(*BBC)のドキュメンタリー番組のアンビエントのパイオニアたちの特集で、柴野は「音楽の一節で場所を思える時、気温や光や色といったようなものがあると感じられる時、それは私にとってリアルになるんです」と語っている。 豊かな植物としっとりとした湿度に満ちた『Green』はまさにこの感覚を思わせる。佐藤憲男は「これらのトラックはシンプルです。クリアなシンセサイザーと美しいメロディがあるだけ。でも、素晴らしいイメージを届けてくれます」と言う。また、そのほかにもEnoの影響が見られるものがある。イノヤマランドの1983年のレコード『ダイジンダン・ポジドン』は『Music For Airports』や『The Plateaux Of Mirror』に似た、地図のようなカバーアートで、サウンドは浮遊感のあるシンセサイザーとかきならされるギターが牧歌的なイメージを思い浮かばせるという点で、Enoの1975年のアルバム『Another Green World』と共通している。



これら多くの日本のレコードは、その要素への強い共感はにじみでているが、性質はヨーロッパのものとはかなり違っている。吉村の『Music For Nine Post Cards』は“cloud(雲)”のようなトラックで、空気の可能性へとふみ込んでいる。キーボードとフェンダー・ローズで録音されており、吉村は優しくかすかにきらめくシンセサイザーの上に、繊細なメロディを織り上げている。彼の作品の中で定期的に取り上げられるもうひとつのテーマは水で、特に『Pier』、『Loft』、『Surround』といったアルバムで最もそれがはっきりとわかる。そのアウトプットを通して、こういった要素主義を探求していたのは彼だけではなかった。細野晴臣は、メタリックな音色で満ちたレコード『マーキュリック・ダンス ~躍動の踊り』を1985年にリリースした。吉村と同じように、細野もひとつの要素に思いを巡らせるだけで満足していない。『マーキュリック・ダンス ~躍動の踊り』では、金属は水に移行し、最後、風と空気によってしめくくられる。作曲家でパーカッショニストのYas-Kazは、1985年に『縄文頌』をリリースした。日本の民族音楽が強調されているが、要素の相互作用で満ちているアルバムのひとつだ。

Allen Wooton(aka Deadboy)にとって、最も感動的なことは、吉村が『Green』の制作にYAMAHA DX7を使用しているにもかかわらず、このアルバムが自然の世界を思い起こさせることである。DX7はそのサウンドが人工的であると通常は認識されている。「DX7はまったく自然の音の楽器ではない。とてもデジタルだ。その楽器で自然から出たように聞こえるものを作るという彼のやり方に驚くよ」と彼は言う。「自然界について学んだ人が、その美学を複製することに成功した、そんなふうに聞こえるんだ」 Doranとは違って、Wootonはニューエイジとアンビエントミュージックにスポットライトを当てることに特化した影響力のあるブログ“Sound Of the Dawn”を通じて、3年ほど前に『Green』に出会ったばかりだ。『Green』を見つけたことでアンビエントミュージックへの興味が高まり、Deadboyとして制作するクラブに影響を受けた曲ではなく、静かな曲だけをかける日曜日の朝のイベントNew Atlantisを始めることへとWootonをかり立てた。



Wootonが『Green』についての話で述べている自然主義は、80年代中期から後期にかけての“信じられないほどの”不動産バブルへの反応として、ある程度はその時代のそのほかのレコードと同じように成長したものだといえる。国中で急速な発達と都市化が起こったが、成長する金融サービスの中心地にある東京は特に多くのにわか景気を経験した。NECスーパータワーや東京都庁のようなアイコン的建造物が次々と首都圏に登場した。その時代に建てられた高層ビルのひとつ、スパイラルは下着メーカーのワコールが依頼したものだったが、主に公共の場として設計されたアートスペースであり、吉村にとっては、もうひとつの企業後援の例だった。「当時の日本の音楽のひとつの流れに、都会からの逃避のようなものがあった」とDoranは言う。「日本の文化は自然界と強いつながりを持っているけれど、それは現代の生活の中で失われてしまっているんだ。東京はとてもストレスが多くて、きゅうくつで、威圧的な都市。その状況から、少し離れる必要がある。それが、当時こういった音楽がたくさん存在していた理由だと思う。――現代の生活には必要なものだったんだね」

日本では開発ブームに対抗した環境保護主義が人気になっていったが、そういったことへの関心の高まりに政府は賛成のようだった。1960年代の産業汚染危機と1970年代の2度のオイルショックを受けて、日本政府はこれらの問題に正面から取り組まなければならなくなっていた。うまくいくかどうかに関しては議論の余地があったにもかかわらず、1971年には環境庁が発足した。その後、1972年に自然環境保護法が制定され、日本の自然環境の健全な状態の促進が行なわれた。そして、80年代のコンクリートとモルタルとは対照的な、吉村の『Green』が自由な自然主義の作品として登場する。それは、聴く森林浴――健康のため、森の中で行なう短時間の散歩――のようなものだと考えられたのかもしれない。森林浴とは、1982年に日本の林野庁の官僚主導で生まれた構想である。『Green』はこの森林浴だけでなく、それ以前からあった環境主義にも調和しており、楽園論にも近いものを提唱している。ほこりの舞う現代東京を超越するユートピア的理念でさえあるかもしれない。



「『Green』には、間違いなくとても未来的な感覚がある」とDoranは言う。「どんな音楽であるべきかということに関しての、ほとんど理想のバージョンみたいだ。それは、正確さと同時に優雅さがあるから、可能になっているんだ」 Wootonにとって、このアルバムは、想像していた日本の姿を説得力を持って呼び起こしてくれるものだ。「とてもシンプルで、重要なことだよ。――いらないものは何もないんだ。竹林なんて僕は一度も見たことがないけれど、こんなふうなんだろうなと想像しているものを思い起こさせられる」 この話から、『Green』というレコードがなぜ今とても多くのリスナーの心に響いているのかが少しわかるかもしれない。完璧にオーガニックな静けさをくれる『Green』にYouTubeで出会い、夢中になってしまうのだ。都市開発は止まることなく続き、私たちと自然との距離はさらに開いていく。しかし、『Green』は根底にある衝動と共鳴し、汚れのない自然の中に包み込んでくれる。

欧米のオーディエンスは日本のアンビエントミュージックに執着しているのではないか、異国風なものに対する幻想を抱いているのではないか、といった疑念が常につきまとうかもしれない。Wootonは、『Green』は彼を「とても平穏な状態」にしてくれたのだと言い、また、Doranは「この純粋で美しいメロディとの交流は続いている。それはとてもピュアなものだ」と言う。しかしこれらは、日本からの多くのレコードを聴いていると、実際、幻想ではないのだろうと思える。Dubbyは、少なくとも彼の耳には、そして、彼の理解では、『Green』は日本の生活のある特別な側面に向けられているのだという。「伝統文化は僕にとってはものすごくたいせつなものなんだ。特に、わびさびの考えや美の概念は」 非永続性と無常の美学に焦点をしぼった意見である。吉村は“cloudman(雲の人)”だ――彼の作品は環境の中で雲のように浮かんでいる――という人もいるが、彼は過ぎ去っていくものの美しさをただとらえただけなのではないだろうか。「彼の音楽は環境の一部だ」とDubbyはしめくくっている。それを最も的確に言い表しているのは佐藤憲男かもしれない。彼は、「『Green』は僕に癒しと平穏と無限の可能性を与えてくれました」と言った。





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リンク先英文のものもあります。(* )は補足です。






この記事の作業をしながら貼ってある音楽を聴いていたら、みょうにしっくり気持ち良くて、YouTubeで出会って夢中になる人の気持ちがわかりました。エリック・サティはロンバケのサントラにも入っている“ジムノペディ 第1番”など、知っている曲もありますが、“家具の音楽”というコンセプトは初めて知りました。なんとも絶妙に良い名前。あと、『Air』はホワイトヴァイナルで、パッケージとかも豪華で、当時の企業がこういうことろにたっぷり予算をかけることができていたんだなあというのがよくわかります。持っていたんですけど(たまたまうちにあっただけです)、昨年、音楽を作っている方にもらってもらいました。その方々が作る音楽が好きなので、私が持っているよりもその人に喜んでもらって、聴いてもらって、良いアウトプットにつながれば、そのほうが私も嬉しいし、レコードも幸せなんじゃないかなあと思って。




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