国進氏の不倫・でき婚の噂は本当だった? | ちゃぬの裏韓国日記

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カルト統一教会と世界支配層との関係をあばく
(統一教会=世界平和統一家庭連合)

■現役信者のgildong氏が『国進氏は不倫していた』と自身のブログで明らかにした

以前、過去に韓国在住信者が国進氏と再婚相手の朴知鋭夫人は「不倫・でき婚」だったと某掲示板でコメントしていた方がいました。

『Re: 國進様の再祝福の原理的意味 - 韓国に住む者です。
2010/07/15 (Thu) 09:21:43
 こんにちは。北上さんてとても純粋でまじめに信仰生活をされているから受け止められないんですね。わかります。私も日本にいた時は「お父様~。」の世界にはまっていましたから、、日本は本当にみんな純粋です。私は、韓国に20年住んでいますが北上さんも韓国に住んでみて韓国人とつきあって見てください。イメージはすぐにくずれます。キャンパスの学生達はよく知っていますがキャンパス内で国進くんはチエさんを追いかけてせまったんですよ~。はじめはチエさん乗り気じゃなかったんですが、真の子女(シックにとっては雲の上の人)にせまらせてチエさん落ちちゃったんです。二世の娘を精誠を尽くしてミスコリアに育てたのに妻子のある国進さんの子供を妊娠したと知って仰天したにはチエさんのお母さん。だって妾になるんですもん。怒り爆発で国進さんにせまり、お父様もどうするんだと聞いたら国進さんがあっけらかんと前妻と別れてチエさんと結婚すると答えたそうです。事実ですよ。摂理もなにもありません。摂理は後からできるのです。シックがやめると献身者は食べていけませんから、、、献金もへるし、、、 』

http://kitagamitetsu.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=3157521
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そしてこの証言を裏付けるように、現役信者gildong氏はブログでこのように述べています。

『祝福を受けた妻がいながら、別の女性との間に子供ができ、祝福を壊しておきながら、TVのインタビューで先妻が不妊であったとウソの言い訳をすることが、お父様の指示だとでも言うのでしょうか。姦通罪が親告罪でなければ、彼は今頃その罪に問われているでしょう。それがお父様の願いでしょうか。』
(gildongのブログ2012年7月23日記事「マインドセットの恐怖」より)
http://ameblo.jp/gildong/entry-11309486756.html
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やはり噂は本当だったのですね。
祝福子女の長男の孝進氏も妻の暴露で不倫が明るみにでました。

多分、韓国の真の子女と接触可能なある一部の信者の間では、この「国進氏が知鋭さんと不倫していた」ことは常識なのでしょう。
現役信者が「真の家庭と統一教会」に不利になる内容をわざわざ公表する必要もないでしょうから、嘘ではなさそうです。

しかし教会側は信者の大量脱会を恐れてこの不倫の事実を隠蔽したようです。
事実、教会側は『国進氏の第一子は聖婚式前に関係を持ってできた「でき婚」ではないか』のが記事が週刊文春9月8号(㈱文藝春秋発行)に掲載され、信者に動揺が起こるのを恐れ、清平のHPから国進氏の聖婚式の記事を削除し隠蔽工作を図ったのです。

実際、このHP記事削除の隠蔽工作は私自身リアルタイムで目撃した内容でした。
本当に「証拠隠滅のため」に記事を削除したのですから驚きです。
私は、そのとき統一教会は都合が教会に都合が悪い内容は、過去にもこのような隠蔽工作を謀り、信者への情報操作を行っていたのだと確信した瞬間でもありました。
(参照:四男文国進氏のでき婚疑惑の検証
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(1)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(2)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(3)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(4)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(5)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(6)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(7)
文國進・朴知鋭夫妻の第一子は聖婚前に妊娠されたのですか?(8)
結婚に悩むある女性の記録(朴知鋭夫人のブログから)
聖婚式2004年9月26日は証明されたが統一教会の反論文の訂正はあるのか
国進氏が「子供ができないことが離婚の原因」なら、権進氏と善進さんはどうなるの?
最高機密を暴露された教会は大慌て、連日にわたり文藝春秋に動員指示の抗議行動
文国進・朴知鋭夫妻の聖婚式の写真
写真でみる文国進夫妻の約婚から聖婚式まで


不倫・でき婚の事実があったからこそ、文教祖は国進氏の再祝福の約婚当時にこのようなみ言葉を語ったのだと今ならつながります。
文教祖の国進氏へのみ言葉は次のようです。
(参照:文国進氏の再婚(文教祖の言い訳)(1)
文国進氏の再婚(文教祖の言い訳)(2)

<妻より美女と一晩過ごしたいと思っても罪ではない>
統一教会の教えに妻以外との性関係はおろか、心で姦淫することも、恋愛感情を抱くことも許されてはいないが、国進氏の再婚にはこのように文教祖は語っています。

『「姦夫」は、サタン世界で、いちばんの愛の怨讐です。(中略)どろぼうです。事務所に行って美人の秘書がいれば、男性というものは、“あの女性をわたしが奪いたい。”と考えますか、考えませんか? 想像することができますか、できませんか?(「しません。」)
 なぜ「しません。」と言って笑うのですか? 「しません!」としっかりと言えば、先生が「わあ!」とびっくりするのではないですか? 先生が「おっ、史(史光基)先生!」と言うのです。そのようなことを考えませんか?(「はい。」)
 目がないのですね。目がありますか、ありませんか? (「あります。」)自分が結婚した相対、妻よりも美しければ、“一度、取り替えて、一晩でも過ごそう。”と考えてみたことはありませんか? 率直でなければなりません。率直は正義に通じます。(「あります。」)
 考えたそうです。うそです。(笑い)皆、そうでしょう? わたしが尋ねるので、考えたことがないという人は手を挙げてみてください。全員そのような者たちです。
 お母様がちょっと気分が悪くても、しかたがありません。わたしは離婚もしたことがあるのです。そうではないですか? 本当にそのようにして離婚したのなら、妻からあいそを尽かされてもしかたのないことです。本当はそのようなことはしていないのに離婚したので、かわいそうな男であるということだけは理解しなければなりません。
 ですから、同情し、慰労してあげなければならない内容があるということを知る日には、解放の天国の王子王女の特権的盾を持てる人になることができると思うのです。分かりますか?
 それでは、男性として生まれて、“美人を激しく愛したい。”と思う心がなければならないということが総論なので、天使長もエバを愛し、愛をいとおしく思ったのです。それが罪ではありません。
 自分の夫婦の水準、基準を越えて、主人の位置にあるものを、主人が決まっている人(エバ)を強奪したから問題になったのです。婚約した美女がいてそのようにすれば、それを許すことができず、それにプロポーズして問題を引き起こせば、社会の規範によって追い出されるのが法則になっているのです。
 長成的な基準において、結婚して、もし今まで心の中で慕い、愛する人がいたとすれば、“その女性がわたしの相対になっていればよかったのに。”と思うことが罪になりますか? 考えは罪ではありません。
 考えは、東の考え、西の考え、南の考え、北の考えがあり、東西南北の美の存在は、四方がすべて見つめているのです。わたしだけがそのように思うのではありません。その階級が高くても低くても、考えることは同じです。
 “あのような美人がお母さんになれば、わたしたちのお父さんが美女を迎えてお母さんになれば、どれほどよいだろうか?”と考えるのは罪ではありません。
 “わたしの義理のお姉さんになればどれほどよいだろうか? わたしは美女を迎えることができなかったが、わたしの義理のお姉さんがいちばんの美女で、お兄さんが喜ぶのを見て、そのお兄さんを愛して尊敬できればよい。”と思うのは善なることです。

 婚約して結婚する前は、世界の美女の看板(写真)をポケットに、自分の足に、胸に、後頭部に、好きなように、つけて歩いても罪ではありません。信哲、分かりますか? 分からなくてもかまいません。信福、分かりますか?
 しかし一度、決定した後は、それをすべてはがさなければなりません。皆さんは知っているでしょう? はがしてしまわなければなりません。自分が一人で片思いしていたものをすべてはがしてしまい、その時からは、行くべき道が決定的であるということです。
 決定的なものは一つだけであって、二つはありません。二つを持ったまま決定する人は、狂った人なのです。そうではないですか?
 愛の相対を一度に二人決定するのは狂った人です。ぼけているのです。そのようなことを知っているでしょう?

 ですから、神様が願われる万物を造られたとき、絶対信仰、絶対愛、絶対服従するというすべての根本原則、公式は、神様にも変わりなく同じであったのです。ですから、万物も、人間が喜ぶことができる相対的存在として、主体と対象になって授け受けしながら、愛の関係を持つようになっているので、万有の存在はペア・システムになっているのです。アーメン!(「アーメン。」)拍手!(拍手)』

(第四十二回「真の万物の日」記念礼拝の御言2004年6月18日韓国麗水市 清海ガーデン)

妻がいるのに美人と一晩過ごす(性関係)と考えてもいい????
しかし、このようなみ言葉は後にも先にもこのときだけです。
その後はまた、恋愛禁止の締め付けのみ言葉に戻っています。
これは国進氏が不倫していた当時、その事実を知っている信者に向けて話されたものだと考えられます。

「妻より美人と過ごしたいな~」と考えることは統一教会ではご法度とされています。不倫(フリーセックス・姦淫)はどう信者に教えられているか、み言葉からみてみます。

サタンの四大武器は、たばこ(気体)、酒(液体)、麻薬(固体)、そして、不倫の愛です。』
(「祝福家庭と理想天国」より)

だから、離婚というのはすべてを破壊するのです。神様の子女完成圏崩壊、神様の家庭による兄弟完成圏崩壊、夫婦心情圏崩壊、父母心情圏崩壊、このような、天下のどこにも歓迎できないような崩壊の王者は地獄へ行くしかありません。離婚というのは誰がつくりましたか。サタンです。サタンが一番喜ぶものです。それは喧嘩から始まりますか、離婚から始まりますか。(「喧嘩です。」)喧嘩の主体はサタンです。喧嘩が始まると、ああサタンが万歳を始めているなと考えればよいのです。女性の口は早い。サタンのラッパが吹き出していると考えよというのです。』
(第十一回愛勝日のみ言葉 1994年1月2日 漢南洞公館)


不倫はサタンの行為だとしているのが統一教会です。
しかし文教祖をはじめ不倫をしているメシア家庭(真の家庭)は何人もいます。
もはやこの「メシア家庭の不倫」ひとつとっても統一教会は信者を騙していることになります。

『人間が堕落する時、愛ゆえに堕落したので、この性器が最も怖いのです。宗教では、姦淫することを最も恐ろしい罪として扱っています。ですから、アメリカのフリーセックスは悪魔の地獄膨脹主義ですか、天国膨脹主義ですか。地獄です。地上地獄であり、天上地獄です。これは、すべて滅亡するのです。
(「人間の生と霊魂の世界」より 1994年7月24日のみ言葉)

み言葉で不倫行為は「地上地獄、天上地獄」を作るとしています。
そうすると天的四位基台を完成した真の家庭の不倫行為は、未完成期のアダムとエバの堕落に比べ物にならないほど罪が重く、もはやサタンすら敵視(怨讐視)する行為であり、復帰の可能性も立たれることになるのです。
統一教会的に言うと「再堕落」です。

再堕落についてのみ言葉・・・

『他の罪は何でも許す。しかしその原理をわかって犯している時には許しがない。それはアダムよりも悪い、サタンよりも悪い。何故か。サタンが蘇生、長成のその過程で、未完成過程におきまして堕落した。完成の心情世界を教えられている君たちにおきまして犯したらサタン以上の地獄に行く。これは永遠に。だからサタンも笑う。サタンも。「ああ、私は長成期で神の心情を犯したけれど、君は完成期で神の心情を犯したんだから私より悪い」。サタンまで讒訴する。わかりますか? だから自分の純情なるこの心情は、本当に貴い。』
(名古屋教会和動会での御言 1965年2月1日 名古屋教会)

歴史上初めて誕生した神の直系の家庭(原理がわかっているもの)が「不倫(再堕落)」したら、サタンが讒訴すると文教祖も言っているではないですか。

しかし、四男の国進氏が「妻は嫌いなので妻と別れて、好きな美人と結婚したい」と言っても罪ではないというのでしょうか。統一教会の原則からは外れているわけです。

文教祖は2008年12月24日のみ言葉でこのように述べたそうです。

『国進が自分勝手に生きようとぞんざいにしてはならない。
お前はともかく、お前が産んだ息子娘はどうするつもりなのか?...
純潔を守らなければならない。
顕進は純潔である。』


国進氏の「不倫の末の離婚」は文教祖も承知の上だったようです。

統一教会は「自分の生殖器は唯一、配偶者のもの」であったはずですが・・・・・。
信者や世間には徹底させようとしますが、メシア家庭内ではそうではなかったようです。

その器官(生殖器)を完全に定着させなければなりません。ですから、唯一私にあるのは何ですか? 男性には妻一人しかいません。財産とか何とかすべて捨てるとしても、これは取り換えることができません。ただ一つの宝物です。それを研究しなければなりません。一等美人の女性を連れてきて、服を脱いでその生殖器が触れても、動じてはなりません。そうした訓練まで経なければなりません。でなければ、神様の愛する息子・娘を任せることができないのです。先生はそうした過程を経たので、誰であれ皆、すべて任されているのです。だからといって自由に生きません。数千名の美人たちが服を脱いだ中で、最高の美人の前に裸の私を投げ入れたとして、生殖器が触れたならば動じますか?動じたらいけません。そのような否定の過程を経なければなりません。
(第十回「七・一節」敬礼式後のみ言葉 2000年7月1日 漢南国際研修院)

四男の国進氏は美人には勝てなかったようです。妻への貞操より、美人の誘惑(不倫・姦淫)を選択しました。

国進氏のテレビインタビューの内容でこのように述べています。

テレビ朝鮮2012年3月15日放送「時事トーク 文国進統一グループ会長」より
http://news.tv.chosun.com/site/data/html_dir/2012/03/15/2012031502741.html?newsmain_tvonly
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(17:30ごろから)
司会「夫人はミスコリア出身ですよね?」

国進「ええ」

司会「『クォンチョンニョ(拳銃女)』と奥さんが(世間では)呼ばれていますが、『クォンチョンニョ(拳銃女)』の妻のお陰で経営に得を得ましたか?」
  
国進「ええ、そのとおりです(笑)」

司会「どんな風に得を得ましたか? 奥さんは(国進氏経営の拳銃会社の)広告モデルに出ていますよね」

国進「私の妻は美女です。とても美人です。」

司会「それが経営の助けになりますか?」

国進「ええ」

司会「どのように経営の助けになりますか?」

国進「全ての人は美しい女性を見るのが好きなんです。」

司会「そうなんですか?」

国進「ええ、男性ももちろんですが、女性も同じですよ。女性たちはハンサムな男性を見るよりきれいな女性をみるのがもっと好きなんですよ。」

司会「ああ、だから会長も今私を見ておられるのですね(笑)」

国進「…ええ(苦笑)」
(※画面でもわかるように司会者の女性はそれほど美人ではなく、国進氏も返答に困っているようです。国進氏もやはりほかの男性同様、美人が好きなようです)
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統一教会でいうところの「一般世間の堕落人間である男性」は、気になる女性の基準の第一位は「美人か。スタイルはいいか。若いか。」ですが、国進氏も同じようです。

神に直接主管されている「天的四位基台」を完成した真の家庭も、堕落人間となんら変わりがなく教義無視なのですから、信者は教義に縛られることはないのではないのでしょうか。
同じように無視してもいいということになりますが・・・・。


[89회] 문국진, 통일그룹 '재정악화' 닥친 원인은?(文国進、統一グループ「財政悪化」の原因は?)
(韓国のチャンネルAでのインタビュー動画)
http://tv.ichannela.com/culture/sisatalk/interview/3/0400000004/20120502/45938323/1
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司会「夫人はミスコリア出身ですか?」

国進「ええ」

司会「(子供をたくさん生んでくれた)奥さんに生涯感謝しなければ・・・」

国進「もちろんです」

国進「(今の妻は)今もとても愛しています」

国進「ええ私は(今の)妻をとても愛しています。私はとてもラッキーでした」


司会「もしかして他の女性を愛したことありますか?」

国進「結婚は二回しました」

司会「もしかして他の女性を愛したことありますでしょ。ハーバード大学時代とか・・・」

国進「結婚は二回しました」

司会「ああ、二回結婚されたんですか?!(今の奥さんは)二回目の・・・」

国進「最初の妻は子供が生めませんでした。」

司会「子供が生めなくて・・・愛していたけど(子供ができなくて別れた)?」

国進「最初の妻・・・最初の結婚は簡単ではありませんでした(愛せなかった)」
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結婚する時はその男性がハンサムだといって喜んでいたのに、その男性が一週間後に事故に遭って体が不自由になった時、離婚しようとするのは真の愛ではありません。それは偽りの愛です。真の愛は絶対的であり、不変であり、永遠なのです。』
(「真の愛」第三章 愛と結婚より)

見合い(祝福)した妻が、好きになれなかったと美人の妻に乗り換えるのは、「偽りの愛」だと文教祖は言っていますが・・・・・。

結婚は私のためにではなくて、相手のためにするという信条をもたなければなりません。結婚を、立派な人、きれいな人としたいというのは間違った考えです。人間は他のために生きなければならないという原則を知ったなら、結婚も相手のためにするという考えをもたなければなりません。いくらみすぼらしい人でも、美人よりももっと愛そうという信念をもつのが原則的な結婚観です。人間として生まれて相手を神様のように愛し、人類のように愛し、この世界の誰よりももっと愛することができるという考えに立たなければ、天の国に復帰することはできません。一人の男性として一人の女性を愛することを知らなければ、神様と人類を愛することはできません。』
(「真の愛」第三章 愛と結婚より)

真の家庭が堕落人間よりために生きる存在だと思っている信者ってまだいるのでしょうか??