【法戦】宿命転換,功徳 アホや(爆) | なんでも雑記

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日本は何かのきっかけで、ガラッと変わることがありました。
明治維新がそうでした、戦後の復興の速さと経済成長も。

いずれも選挙とは全く関係がありません。

創価学会員は、選挙活動を「法戦」と呼び、活動の盛り上がりで「歴史を作る」と、教えられたとおりに恥ずかしげもなく発言します。

選挙で政権が交代したとしても、劇的に世の中がガラリと変わった試しがない。

60年代安保闘争という世の中が政治にもっとも関心を寄せた時代であっても、何も変わりませんでした。当時の選挙でも同じく何も劇的に変わった様子はありませんでした。

選挙で「宿命転換をかけて戦う」というおバカな学会員もいます。

本来の政治の原理・原則は「生活」とは関係がない、ということを学会員さんは知らないでしょう。

民主的な活動で政治家は決定しますが、実は「生活」にはそれほど影響しません。

政治は基本的に国民の大多数の生活とは無関係なところで動いているという現状は見逃せません。

試しに、公明党が実現したマニフェストで国民の大多数を劇的に変えたものは何でしょうか?

おそらく、一部の国民だけであって、国民の大多数が満足のいく答えは出ないでしょう。

創価学会・公明党のプロバガンダとか、マスコミも含めて多くの人が、政治にものすごい役割があると思い過ぎだと思います。

別にアナーキズムを訴えるつもりはありません。

しかし、政治と生活は彼らが言うほど密接でもありません。

元来、日本は小さな政府を実現させた国です。

江戸時代、徳川の管理職は社会全体の1%にすぎません。それでも当時の世の中が治まったのは自治が進んでいたからです。

現代も同じようなところがあります。

政府が生活を管理しているわけではありません。
あらゆる分野が市場化し、国民の生活とは直接関係がないところで政治が動いています。

日本の場合、これで何とかなってきたという話ならわかります。

それは、政治とは別に、世間のシステムがきちんと作用していたから、という見方のほうが妥当でしょう。

ですから、創価学会が理想を掲げて、会員を馬車馬のように働かせたとしても、どれほど頑張っても政治はおろか、歴史なんて作れないわけです。

学会員の言う宿命転換,功徳ってあまりにお粗末。


ある人の場合。
公共料金の支払いも滞ってるほどお金に困ってた壮年部。
選挙終わって、パチンコ屋に行った。
(普通、行くか?そんな金あったら払うもの払えよ!)
5000円で2万勝ち、公共料金支払った。

『選挙の功徳』だそうですバクショ