韓日友好の碑 池田創価学会 | なんでも雑記

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1999年5月、「韓日友好の碑」は韓日往来の玄関、糸島市の福岡研修道場に犬作の提案で建立されました。
池田犬作の歪曲された歴史観、反日思想が読み取れる碑文です。

・「安らけき朝の光に 貴国を想う」「師恩の国」「不撓(不屈)の国」「悲劇の祖国に」 → 池田氏の母国(朝鮮半島)

・「東海の小嶋へ」 → 日本

・「小国の倨傲(きょごう) 大恩人の貴国を荒らし」 → 日本が調子に乗り、大恩人の韓国を荒らし(韓国併合)

・「韓日新時代へ」「韓日友好の」 → どんだけ持ち上げてんだか(。´-д-)・・・日本人なら日韓となるでしょう。

要約すると、「韓国を侵略した小国日本は韓日友好という名の謝罪と賠償を新しく千年することを誓う」と言うことでしょう。
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池田犬作から韓国仏教会代表メンバーに対し、語られた内容。

「韓国は日本にとって、『文化大恩』の『兄の国』である。『師匠の国』なのである。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに、私は永遠に貴国に罪滅ぼしをしてゆく決心である」
(2000年5月22日付聖教新聞)
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6世紀半ばの欽明天皇の時代に、百済から仏教が伝来

これは仏教公伝と呼ばれ、大和朝廷と百済の、国家間に正式に仏教が伝わったことをいうのですが、実際はそれ以前に、民間交流の中で仏教信仰が伝えられ、私的な信仰は既に行われていたとされています。

日本に伝えられた仏教は、仏教受容派の蘇我氏が、反仏教派の物部氏との争いに勝ったことにより、蘇我氏が自らの私邸に仏教寺院を建立するなどし、さらには聖徳太子が法華経を宣揚し、法華経の訳書である「法華義疏」を著すなど、飛鳥時代から奈良・天平時代にかけて仏教は大いに興隆し、日本人の精神文化の基礎となったのです。

一方、朝鮮半島では、高麗王朝で仏教は大いに興隆を極めたのですが、李氏朝鮮時代になると、儒教が国教となったため、仏教は徹底的に弾圧され、仏教信仰は衰退していきました。

日本では、徹底的な廃仏はなく、天皇や公家、武士階級から一般民衆に至るまで、仏教信仰が盛んになることで、日本人には慈悲の心が生まれました。


朝鮮半島では、君臣の秩序を重んじる朱子学の影響により、支配者階級は秩序の維持を重視する一方、日本のような慈悲の心は生まれず、支配者と民衆の隷属関係が固定化され、日韓併合まで、そういう社会構造が温存されてました。

http://www.j-cast.com/m/2013/12/29193040.html

在日の創価学会員が日韓国交後に韓国に里帰りし、日蓮正宗の教えを流布しました。

その他に韓国にある日本の宗教は、在日が流布したのです。