呪法を用いて権力者を守った平安時代の英雄
~陰陽道によって鬼神を操り、闇の世界を支配した稀代の陰陽師~
「陰陽道によって、式神という鬼神を自在に操り、魔を祓い、呪術で闇を支配する稀代の陰陽師」
これが安倍晴明だ。
晴明は、平安時代中期、10世紀に活躍した宮廷陰陽師だった。記録では、延喜21年(921年)に大膳大夫安倍益材(だいぜんのだいぶあべのますき)の子として生まれた。その後、当時陰陽道の大家だった賀茂忠行(かものただゆき)・保徳(やすのり)に師事し、後に天文博士、大膳大夫、左京大夫、播磨守などを歴任。寛弘2年(1005年)に85歳で亡くなったとされている。
後世のさまざまな書物に登場し、そのなかで超人的な活躍をする晴明だが、その実像を伝える資料は決して多くない。安倍晴明は、史実より伝説のなかで多く語り伝えられる存在なのだ。
晴明の伝説のなかでもっとも有名なのが、「晴明の母は化生(けしょう)の人だった」というものだろう。
和泉の国の信太(しのだ)国に住む狐が遊女に化けて旅をしていたとき、晴明の父に助けられた。
狐は父の妻になり、生まれた子が晴明だというのだ。
昔から狐は霊力を持った動物としてあがめられていた。そのため、特殊な力を持つ晴明の母は、霊力を持った狐であったという伝説が生まれたのだろう。
晴明は、賀茂忠行を師として幼いころから陰陽道を学んだ。そのころの晴明の非凡さを表すものとして『今昔物語集』に、
「ある夜、晴明が忠行の供をして出かけたとき、鬼がこちらに向かって歩いてくるのに気づいた。晴明は、牛車のなかで寝ていた忠行を起こし、術で身を隠したので、一行は難を逃れることができた」
という逸話が記されている。
この一件以来、忠行は晴明に陰陽道の全てを教えたという。事実、晴明は土御門(つちみかど)陰陽道の開祖となり、それまで賀茂家が独占していた陰陽道は、賀茂家が暦道、安倍(土御門)家が天文道と、二流に分かれて受け継がれることになる。
陰陽師としての晴明の活躍については、薩摩国の陰陽師・道満との術比べに勝ったという伝説のほか、パトロンだった藤原道長を狙う陰陽師の呪法を式神を使って破った、占いで瓜のなかにいる毒蛇を見破った・・・など、さまざまな伝説が残っている。
では実在の晴明はどんな人物だったのだろうか。
記録によると、一条天皇や藤原道長のために数々の呪法を行ったとされており、天皇や権力者を守る呪的ボディガードとしての名声は、生前からかなり高かったと考えられる。
しかし、超人的な力を持つ陰陽師として崇拝されるようになるのは、没後しばらくたってからのことだ。
実は安倍家に関係する陰陽師たちが、開祖・晴明を神格化するために数多くの伝説を生み出した。そのため、「稀代の陰陽師・安倍晴明」として崇拝されるようになったというのが事実のようだ。