(抄録1200文字)マンションから飛び降りた私が語る、精神科医への感謝 | さわとんのブ〜ログ。今。

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5年半のうつ病、マンション最上階からの飛び降り、大腸全摘出、、、その後カウンセラーとして起業し、気づけば早10年。。「ありがトン(サンマーク出版)」、「人生をやめたいと思ったとき読む本(東洋経済新報社)」等の著者さわとん(澤登和夫)が、今、思うこと。今。

7月21日、日本うつ病学会総会で精神科医療従事者の方々向けに少し講演させて頂くことになり、

 

http://www.c-linkage.co.jp/mdct2017/

「事前に抄録を送って下さい」と言われ、抄録って何?と思ったんだけど、調べたら講演の要点をまとめたものと。
   
「え〜、講演の要点なんて話してみないとわからない〜」
って思ったんだけどそうもいかないので、書いてみました。
   
こんな感じで今日提出しました。
堅苦しい言葉、久々に使ったなぁ。
ご参考まで。

 

 
【マンションから飛び降りた私が語る、精神科医への感謝】

  
 2005年8月某日、私はマンションの最上階から飛び降りた。
  
 偶然か必然か、足の骨折だけですんで今ここにいる。その1年後、今度は体もむしばまれ潰瘍性大腸炎、そして大腸全摘出。手術の後は過呼吸も止まらず、まさに心身どん底だった。しかしそれから半年後に心身ともに解放され、5年半のうつ病生活にもピリオドを打った(飛び降りたときの気持ち、元気になった過程等知りたい方は、拙著「人生をやめたいと思ったとき読む本(東洋経済新報社)」ご覧頂きたい)。
 
 その半年後にカウンセラーとして起業し、もうすぐ10年が経つ。10年のうち6年間は「うつ専門カウンセラー」として活動したが、今は、「一番重要なのは、自分との関係性」、というところに行き着き、いかに素のままの自分を肯定できるか、というところに軸足をおいて、カウンセリングや全国での講演活動、居場所活動などを行っている。
 
 私は当事者としての5年半、カウンセラーとしてうつ病の患者さんに関わってきた経験を含め、「感謝」を軸にお伝えしたい。そこから、今後の精神科医療に求められることも感じて頂ければ幸いである。
 
 当時サラリーマンで責任ある立場にいた私にとって、精神科医との時間というのは、多くの場合至福の時間だった。なぜなら、今の気持ちや辛いことをそのまま話せるからである。うつのことは同僚にも話せなかったし、当時の妻にも心配かけたくないとあまり話せなかった。唯一、精神科医だけが本音を話せる存在だった。
 
 「精神疾患を抱え病院に通う多くの患者にとって、精神科医だけが辛さや本音を話せる人」
 ここはとっても大きなポイントだと感じる。患者が精神科医に求めることは、もちろん自分の病気を何とかしてほしいことであり、そのために精神科医も投薬や環境調整、心理療法などを医師によって駆使しながらできることをして頂いている。ただその前に、「患者にとって精神科医は大事な話し相手」である、ということをさらに認識して頂くことが大事ではないか。精神保健分野でのサポートは私がうつ病だった十数年前より進化しているが、やはり多くの患者にとって精神科医の比重は大きい。忙しくて時間がないのは患者もわかっているので、例えば診療10分のうち患者の目を見て話す時間を1分でも多くするなど、それだけでも全然違うはずだ。
 
 私が10年経っても忘れられない精神科医の対応がある。それは、私が潰瘍性大腸炎の手術間際にその手術のために総合病院に転院したとき。結局数時間で再転院することになったのだが、その前にその病院の精神科医と約30分話した。私の話をしっかりうなずきなら聞いてくれて、受け止めてくれた。そして診察を終えるとなんと、大きな病院の出入り口まで一緒に来てくれて、転院先に車で行くのを手を振って見送ってくれたのである。その医師のことは名前も覚えていないが、その恩は決して忘れない。今でも大きな生きる力になっている。
 
 精神科医は生きる力を与えてくれる大事な大事な存在である。これまで関わって頂いた精神科医に、心から感謝したい。