「おしん」 | 果報は寝て待て・・・・・

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30年前の NHK連続テレビ小説「おしん」297話全部見終わりました

15分×297話なので 74時間15分 (◎_◎;)

結局一ヵ月半がかりでした(-^〇^-) 仕事しながらですからね~
ヾ( ´ー`)ノ でもこの間 頭の中は「おしん」だらけでした(^Q^)

一世風靡したドラマなので 30年前放送当時 σ(^^)も世間が大騒ぎしてるのは知っていましたが 全く興味がなくて(だいたいドラマはあまり見なかった)一話も見たことはありませんでした

今回全話まとめて見れて大変ラッキ~でした
 v( ̄ー ̄)v
  
 

「おしん」については色々語られているんでしょうが σ(ё_ё)が思うところの「おしん」のすごいところは 海外での反響です

湾岸戦争当時 日本はもちろんアメリカ側に付きましたが イラクは「それでも おしんの国 日本はいい国だ」と言ったとか・・・・・w(゚o゚)w
また少女時代を演じた小林綾子や 母親役の泉ピン子がイスラム圏の国へ行けばいまだに 国賓級のもてなしを受けるとか・・・(おしんに厳しかった父親役の伊東四郎はどうなんでしょうか??^^)
これってすごいことじゃありませんか??

アジア(北朝鮮、韓国を除く)やイスラム圏での「おしん」の人気は驚きです
(ノ゚ο゚)ノ オォ~

以下は ネットで拾った記事です
http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY200807100124.html

【 『おしん』は放送中から海外でも評判となり、各国から引き合いが相次いだ。1984(昭和59)年秋のシンガポールに始まり、これまで世界64の国と地域(2008年5月現在)で放送され、「日本といえばおしん」と連想されるほどの反響を巻き起こした。 

 シンガポールが『おしん』を、海外で初めて放送したきっかけは、駐日シンガポール大使の黄金輝(ウイ・キムウイ)氏が、おしんの大ファンだったことによる。日本での放送当時、日本在住の外国人の間にも"おしんブーム"が起こり、毎日、欠かさず見るという人が数多くいたが、ウイ氏もその1人だった。大使の任期を終えたウイ氏は、シンガポール放送協会の経営委員長に就任することになり、NHKに「私は『おしん』の大ファンである。是非シンガポールで放送したいので提供してほしい」と申し入れた。

 シンガポールで放送が始まると、視聴率は80%に達する大ヒット。これが呼び水となって、タイ、オーストラリア、アメリカ、中国などでも放送された。

 海外での放送は、日本語版や英語版に自国語の字幕スーパーを入れたり、自国語で吹き替えたりした。

 各国での反響は、日本国内に勝るとも劣らないものだった。


●中国では、日本で放送された翌年、1985年3月から中国語の吹き替えで放送され、北京での視聴率は75.9%を記録した。中国語で『おしん』は、『阿信』(アーシン)と表記された(中国語の「阿」が日本語の「お」に相当し、「信」の方は当て字)。主な反響は、「あの日本人たちが現在の経済大国の底力であったことがわかり納得できた」「中国と日本に共通した伝統的な倫理観が根ざしている。だから我々は何の抵抗もなくこのドラマを受け入れることができた」というものだった。

 

●ベルギーでは、修道院の尼僧が『おしん』を見るために、お祈りの時間を変更した。

●タイでは、当時、日本の経済進出に対する批判記事が毎日のように新聞に掲載されていたが、『おしん』の放送が始まってしばらくすると少なくなった。

●エジプトでは、生まれた子どもに『おしん』と名付けるひとたちがいた。

●カナダやイランでは、『おしん』のために現金や米が放送局に届いた。

●モンゴルでは、放送時間に道路から人の姿が消えた。

 『おしん』は、日本にも貧困の時代があったことを知らせ、発展途上国の人々を勇気付ける効果も示したのだった。】

【日本での放送終了から7年たった1991年2月、東京経団連国際会議場で、おしんを放送した世界各国の関係者が集まり、国際シンポジウム「世界はおしんをどう見たか」(主催:NHKインターナショナル)が開催された。パネリストとして参加した原作・脚本の橋田寿賀子さんは「日本を支えた人たちを書きたかったという気持ちが皆さんに伝わったことは、非常にうれしゅうございます」と発言。
  それに対し、中国社会科学院の李徳純氏は「あなたたち日本人だけの『おしん』ではない。私たち、中国人、タイ人、インドネシア人、ヨーロッパ人、全世界の『おしん』です。日本のみなさんは独占してはいけません。おしんという人物のイメージ、特にその民族精神、これを私は、全世界の共有する尊い財産だと思います」と語った。
  日本のある1人の女性の生涯を丹念に描くことで、逆に、『おしん』は世界共通語となったことを、李徳純氏の言葉は雄弁に語っている。】

【『おしん』は日本国外、とりわけアジア圏で人気が高く、『おしん』を観て日本や日本女性に好意的な印象を抱いたという人々も数多い。少女時代を演じた小林綾子が放送された国を訪れると、今でも「オシン!」、泉ピン子は「オシンマザー!」と呼ばれ、様々な歓待を受けるという。一方、西欧諸国などで放送された時、国によってはあまり人気が出なかった。
当時の中曽根首相と親密な関係にあったアメリカ大統領、ロナルド・レーガンが1983年に来日した際に国会で「日本にはおしんの精神がある」と日本人を『おしん』に喩え、称賛している。
中華人民共和国では非常に人気があり、初回放送から20年以上経った2007年でも、湖南テレビにて、『阿信』(アーシン)として再放送されている(「阿」は古来の中国語で幼名につけられる接頭語で、日本語の「お」に相当。「信」の方は宛字)。
香港では、1985年に無綫電視で『亞信的故事』(アッソンデクースィー)として放送された。広東語のオリジナル主題歌「信」をジュディ・オングが歌い、香港を含む東南アジアの広東語圏全域で大ヒットしている。また香港を中心に展開している食品ディスカウント・ストアチェーンに「759阿信屋」というのまで存在する、
台湾では、1994年に中視で中国同様『阿信』として放送された。オープニング曲「永遠相信」はジュディ・オングが、エンディング曲『感恩的心』は欧陽菲菲が歌い、どちらも大ヒットした。なお、エンディング曲「感恩的心」は、中視の放送休止時間中のフィラーとしても使用されている。2008年3月25日20時から再放送(なお、再放送版、フィラーではエンディング曲の歌手がロジャー・ヤンとなっている)。
モンゴルでも人気を呼んでおり、2012年11月場所で第70代横綱となったモンゴル人力士・日馬富士公平はTBS系列のバラエティ番組「ぴったんこカン・カン」で泉ピン子と原作者橋田壽賀子と共演した際、とても感動したと好評のコメントを残した[11]。
ベトナムでは、『おしん』がメイドや家政婦を指す代名詞になっている。
エジプトのカイロでは、『おしん』放映時間に停電が発生、放送を観られないことに怒った視聴者が電力会社やテレビ局に大挙押し掛け、投石や放火等の暴動を起こすという事件があった。その後、政府が該当話の再放送を約束する声明を出し、事態はようやく収束した。
アフガニスタンやイランではペルシャ語吹き替えにて放送されたが、イラン国営テレビでの放映が最高視聴率90%超を記録する爆発的人気となり、長きに亘り『Oshin(ウーシン)』は日本を表す代名詞となった。なおイスラム教国では、男女が自然に触れ合う場面などが放映時に削除されたため、逆に「オリジナルにはわいせつシーンがある」との憶測を呼んだことがある。
1989年1月28日、ムハンマドの娘ファーティマの誕生日兼婦人デーであるこの日には「イスラム女性の象徴はだれか」という質問形式のラジオ番組が放送されたが、ある女性が質問に『おしん』と回答しその後の受け答えでファーティマを古い女性だと形容した。ホメイニ師が責任者の処罰を要求した結果、件のラジオ局の責任者4人に対し反イスラム的であるとして科刑、解雇という判決が下されるが、当のホメイニ師が恩赦として判決を撤回させている[12]。
ジャマイカでは、おしんブームが到来し、男女に限らず、名前に「オシン」をつけるのが流行した。
小林綾子が在学していた立命館大学の学生・卒業生などが外国人に対して、学校を説明する際「『おしん』の卒業した大学」と説明することも少なくない。
湾岸戦争後、荒廃したイラクに対する復興支援の一環として、日本政府はアニメ「キャプテン翼」と「おしん」の全放映権(VTR)を無償提供した。これはイラクの放送局および国民から、水道などのインフラ復興提供と同等ないしはそれ以上に熱狂をもって感謝されることとなった。】