越後佐梨川金山沢奥壁ビクトリアフェース単独登攀 | 降っても晴れても

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山に登ったり走ったり、東へ西へ・・・

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最近、古い記録がなつかしくなって引っ張り出してみました。

【1984年5月26~27日】の記録 会報より

駒ノ湯(4:35)~第五スラブ取付(7:30)~ビクトリアフェース取付(8:00)~ビクトリアフェースの頭(11:50~12:25)~郡界尾根(13:45)~駒ノ小屋(16:40)

 一人で上越線の夜を過ごすのも慣れてしまった。ましてや日々の仕事に追われ自分の精神を山に対して追い込むということが危うくなり、そんな自分の意志の希薄な行為に疑問を持つこともしばしばあった。

 夏へのイントロダクションにいきなりこの壁を選んだ。デブリに埋まった林道を歩いたり赤岩スラブの連続的なブロック雪崩に脅かされたりしても、私にしては珍しく強気で、あとは時間の問題だとさえ思っていた。

 第五スラブには本谷から続く雪渓が100m残っていて、その先端から第五スラブに移った。傾斜は見た目より緩く、快適なスラブを200m余り登るとビクトリアフェース基部のバンドに着いた。記録によると人工になるらしいがフリーで行けそうである。ビレーをとって安定した20mのフリーでハングの弱点を越えていく。ビレー点のボルトは腐っていて、リングが指で折れてしまった。ユマーリングして次のピッチからはビレーなしで登る。傾斜は意外なほど緩く、草付とスラブが交互にでてくる。四ピッチ目にあたる逆層のスラブが悪く、A0を1回使う。カンテを左へトラバースし、垂直のフェースに取り付く。ここは5-で、何度もためらったがノーザイルで登り、行き詰った所にクロモリを1本打ちこんでアブミを使ってその場をしのぐ。ボルト2本のビレー点でセルフを取るまでは真に必死であった。

 上部は完全な垂直で、頼りなげなボルト・ハーケンが点々と続いている。ザイルをつけて何本か打ち足しながら登る。ユマーリングすると半分は空中に出るような感じである。再びノーザイルでハング下を左へトラバースする。最後のフェースの下で考え込んでしまった。ホールドは丸いグリップホールドでスタンスは外傾しているものばかり。2回トライするが2回ともクライムダウンで戻る。思案の末、ザックを置いてもう一度トライする。ザイルは引きずったままである。今度はうまくいった。非常に渋いフリクションクライミングだった。7mほどで傾斜は緩くなり、上部にはボルトラダーもあるがその右を快適なフリーで登り、太いブッシュをつかむ。最後のユマーリングをしてさらに20mも登るとビクトリアフェースの頭、四スラと五スラを見渡せるピナクルであった。少しずつではあったが喜びが湧いてきた。

 ゆっくり休んだ後、奥壁中で最も不快な上部のブッシュ帯に突入した。傾斜はきつく、ほとんど腕力たよりにブッシュにぶら下がるようにして参った。郡界尾根へぬけ、またしばらくヤブをこいでオツルミズ沢の上部へ降り立つと、青い空と広い雪渓が視野の限りをつくし言葉もない。Tシャツ一枚になって辿る登攀のフィナーレは格別である。やがて陽が傾く頃には雪渓の長さと運動靴の冷たさに参ってしまい、駒ノ小屋の毛布にくるまって神秘的な山上の夜を過ごしたのである。