おはようございますだわ

 

 

ダイコーの撤退 他ブログ引用

 

フィッシング事業撤退

のお知らせ

 

 

 弊社は、昭和26年の大分豊後高田工場設立以来63年間に亘り

フィッシング業界において事業を展開して参りました。
これも偏に皆様のご愛顧、お力添えの賜物と深く感謝申し上げます。

 近年、釣具市場における競争が激化する中で、弊社におきましては、

商品力向上とコスト削減により、競争力強化に取り組んで参りましたが、

業績の長期低迷を脱し切れない状況にあります。

 このような状況から、弊社は誠に遺憾ながらフィッシング事業を

継続することは困難と判断し、平成26年11月25日に開催した

取締役会において、フィッシング事業からの撤退を決定致しました。

 
長期低迷?いつ頃からだろう? 
2002年メジャクラ創設位からかな?

 

 

今更ジローですが

 

さてダイコーの歩み↓
 

 

竹材業参入とルーとの出会い

 

19511月に大丸興業株式会社が、すだれ等の輸出用竹材の加工生産業を営んでいた

日本チクレン株式会社を買収し、大丸興業高田工場・貿易部竹材課を発足する。

 

1954年にアメリカで釣り具の販売を行っているチルダー社のルー・チルドレが来日し、

福岡の釣具店を介して高田作業所の所長であった安井英雄と出会う。

そこでルーと安井は意気投合し、チルダー社への輸出用竹製釣竿の

製作を開始することとなった。チルダーの要求を満たすべく霧島山麓の試験林の購入し、

京都大学や九州大学の研究者の協力を得て試作を重ね、

1957年にチルダー社向けの釣竿が完成し本格的に輸出を開始した。

 

スピードスティック

時代の流れとともに釣竿の素材は竹からガラス繊維へと移行していった。そんな折、

ルーからガラス繊維製の釣竿の製造の依頼を受ける。しかし、ダイコーは当時

ガラス繊維製の釣竿の製造設備を有していなかったため、天龍の塩澤美芳に

釣竿の製造を依頼した。そこで完成したのがスピードスティックである。

グリップにも厳しい要求があり、富士工業と共同開発で専用のグリップも開発した。

そして、1971年に販売が開始される。

1973年にはガラス繊維製の釣竿の製造設備をアメリカから導入し、

スピードスティックの自社製造を始める。

 

国内販売とルーとの決別

 

1975年に「ダイコー」ブランドで日本国内販売を開始する。翌年にはカーボン繊維製の

釣竿の製造販売も開始する。当時はスピードスティックの他にヘラ竿の晴釣、

鮎友竿の清流、渓流竿の仙郷、磯竿(底物、上物)、トローリング竿、胴付竿、

投げ竿など釣竿全般の製造を行っていた。1983年以降はスピードスティックコブラや

ボロン石鯛ボロンなどを使用した釣竿の製造も開始するなど業績も好調であった

。しかし、チルダー社が釣竿の製造を全面的に韓国へ移行してしまったため、

国内販売のみとなり、業績は悪化していった

 

ダイコー株式会社設立

1992年、ブラックバス用の釣竿「フォーミュラースティック」、

磯上物竿「フルフィールド A-one」が発売される。

これらは後のダイコーの基礎となる竿となった。

1993年にフィッシング事業部を独立させダイコー株式会社と

和歌山ダイコー株式会社を設立する。

また、ブラックバス用の釣竿「アームズスティック」、

磯竿(上物・底物)「プレシオ」をリリースし、好評を得た。

 

ダイコー株式会社清算

1997年に磯上物竿のプロフィールドロイヤル磯、1999年にバスロッドの

カリスマスティック、2000年にシーバスロッドのデスペラードを発売するなど

高価格帯商品も増加してきた。更に2001年よりルアーロッドにRodsプロジェクトという

新たなブランドが立ち上がり、コブレッティやアルテサーノなどの

高級釣竿が販売されるようになった。

2002年にダイコー株式会社の役員であった森津義夫とルアーロッド全般の

ロッドプランナーであった広瀬達樹、グリップ・広告・ウェブデザインを

担当していた川上哲が独立し、メジャークラフトを立ち上げる。

翌年の2003年にダイコー株式会社及び和歌山ダイコー株式会社が清算。

ダイコーブランドは大丸興業が引き続き取り扱うこととなり、

大分工場の製造設備等の資産はロッドコム株式会社が引き継ぐこととなった。

 

てことは 2003年以降?は自社製造してない?

 

てか 製造設備を手放したのだから 作れる訳ね~べよ
 

ほぼほぼロッドコムに委託か?

 
物によってはヤマガにも委託してたか?
 
ロッドによっては委託先が違うとか?
 

 

ダイコーの元役員が立ち上げたメジャークラフト。流行を掴んで

それっぽい竿をいち早くリリースして、安価でそこそこ使えるエントリーモデルの

地位を確立した。まさに昔のダイコーのポジションである。雑誌をめくれば、

どのルアー雑誌でもその雑誌の内容にあったロッドの広告が載ってて

非常に目にも止まりやすいし、Youtubeの公式チャンネルで自社製品の

特徴をわかりやすく解説していて非常に親切

 
↑これが最も きつかったか

 

 

 

再始動

前述のとおり製造設備を手放したことから、製造はすべて委託することとなった。

メインはロッドコムへの委託であるが、山鹿釣具など近隣の提携工場へ

委託することもあった。

ルアーロッドに関してはロッドプランナーが退社したことから後任に

松本太郎がロッドプランナーとなった。バスロッドのバロウズやシーバスロッドの

フェルザスレガーロなどを手掛けるが、それまでのダイコーロッドと調子が異なるため

賛否両論があった。

2009年にはソルトルアーロッドの高級ブランド「タイドマーク」を始動する。

また、落とし込み釣りなどの大型青物釣りが流行となったため、

2012年には数年ぶりに沖釣り竿がリリースされた。

 

海外生産へシフト

日本国内生産にこだわっていたが、原材料費や人件費の高騰、

さらにメジャークラフトや大手メーカーの低価格な海外産の釣竿に

押されたため、2010年に「ダイコーブルーレーベル」を立ち上げ、

低価格帯のルアー竿の製造を中国で行うこととした。

また、ダイコーフィッシングタックルギャラリーを開設した。

 

釣り具事業撤退

2013年にルアーロッドのロッドプランナーの松本太郎が退社し

株式会社アピアへ移籍した。

その後はルアー竿のラインナップを一新し、「ドグール」、「イノセント」、「ノクターン」

などを発売し、また、磯竿のロイヤルシリーズも一新するなど巻き返しを図るが、

ヒットするに至らず、20141124日に釣り具事業から撤退することとなった。

 

従業員が会社を抜け 会社を立ち上げられ 業績悪化の為 製造設備等の資産を

 

売却し製造はすべて委託(ロッドコム・ヤマガ)

 

更に日本国内生産にこだわっていたが、原材料費や人件費の高騰の為

 

価格帯のルアー竿の製造を中国で行うこととした。(ダイコーブルーレーベル)

 

これが失敗の最後のとどめでしょうね?

 
色々 もがいたのでしょうけど?
 
下町ロケットの帝国重工
のようですね。
 

ダイコーの会社は釣竿だけではないですからね!

 

現在のヤマガブランクスのように残ってくれてれば ですね

 

 ではでは