こんにちは!今回も当ブログをご覧になって頂きありがとうございます。皆さん、大黒屋光太夫という名前をご存知ですか??日本史の教科書で出てきた記憶はありますが、実は彼は三重県津市出身で、私の田舎の近くなんですね。先日光太夫ゆかりのエカテリーナ宮殿を訪問しましたので紹介させていただきます。

(PENTAX K-3Ⅲ、HD16-85/3.5-5.6の39mm、ISO200、f5.6、1/400、AWB、鮮やか)

エカテリーナ宮殿は、サンクトペテルブルクから25kmほどのツァールスコエ・セローに1717年にエカテリーナ1世が最初に建設しました。その後娘の女帝エリザヴェータが大幅に改築し、1756年にロココ建築の今の姿になっています。ブルーの柔らかい色と、やたら横に広いのが特徴です。

(PENTAX K-3Ⅲ、HD16-85/3.5-5.6の16mm、ISO1600、f5、1/160、AWB、鮮やか)

当時帝政ロシア帝国は、とにかく皇帝は神様で、すべての富は皇帝と周辺の人々に分配される有様。皇帝は絶対的な権力を持ち、この人に謁見するなんで一般庶民は不可能でした。そんな人に光太夫は1791年6月に直接会って、日本に帰してくれと懇願したのです。上の写真は彼が当時の女帝エカテリーナⅡ世に会って話をした部屋です。

(PENTAX K-3Ⅲ、HD16-85/3.5-5.6の16mm、ISO1600、f8、1/30、AWB、鮮やか)

どんな感じで席が設けられていたのか、井上靖さん「オロシャ国酔夢譚」によると正面の御座所に玉座があり、その周りに50~60名の次女がいて、また部屋の両脇には3、400人のお役人が並んでいたそうです。そんな中で40歳の光太夫が62歳のエカテリーナⅡ世に対峙したわけです。

(PENTAX K-3Ⅲ、HD16-85/3.5-5.6の60mm、ISO1600、f5.6、1/15、AWB、鮮やか)

エカテリーナ宮殿は、第二次世界大戦で大きく破壊されました。今は当時の姿に近く復元されています。当時は日本の陶器、伊万里焼が大人気で、エカテリーナ宮殿内のいたるところに古伊万里の皿、壺が飾られています。光太夫も見たのでしょうか?

(PENTAX K-3Ⅲ、HD16-85/3.5-5.6の28mm、ISO1600、f5.6、1/250、AWB、鮮やか)

エカテリーナ宮殿の部屋の中は、金箔がふんだんに使われ、金ぴかな装飾に埋め尽くされています。当時は電灯はないので、蝋燭だったと思いますが、今まで見たことがなかった金ぴかの装飾に対して、40歳の光太夫はどう感じたのでしょうか?オフシーズンで、見学者が比較的少ない宮殿内で、じっくり時間をかけて光太夫に思いを馳せました。