優美だが引き継がれなかった艦名「霓」「速鳥」「白妙」 | 艦艇・船舶つれづれ

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旧帝国海軍および海上自衛隊の艦艇、海上保安庁の船艇、主に戦前の民間船舶を中心としたブログです。
「海軍艦艇つれづれ」からタイトルを変更しました。

今回は、世界の艦船増刊第34集「日本駆逐艦史」をめくってみました。帝国海軍の駆逐艦は他国にはない優美な艦名を持っていますね。この中で、残念ながら二代目に引き継がれることがなかった艦名について紹介してみましょう。

 

 

まずは、「第二期拡張計画」で建造された駆逐艦を取り上げます。日清戦争後にロシアとの関係が悪化していく中で計画された明治29年度の「第一期拡張計画」では、戦艦「敷島」、一等巡洋艦「八雲」「吾妻」などが建造されていますが、これに合わせて建造された駆逐艦が「東雲(初代)」型4隻と「雷(初代)」型4隻の計8隻です。

さらに翌30年度の「第二期拡張計画」では、戦艦「朝日」「初瀬」「三笠」、一等巡洋艦「浅間」「常磐」「出雲」「磐手」を建造し、対ロシア戦に向けた「六六艦隊」を実現することになります。この計画で建造された駆逐艦が「東雲(初代)」型2隻、「雷(初代)」型2隻の4隻で、さらに明治33年度計画で次「暁(初代)」型、「白雲(初代)」型、「春雨(初代)」型と建造が進められます。

 

この中で、「雷」型6番艦「霓(にじ)」を取り上げます。ニジは普段は「虹」の字を使いますが、この船には「霓」が使われています。

調べてみたところ、はっきりと見える「虹」に対して、その外側に薄く見える副虹に「霓」の字を当てるそうで、伝承としては、「虹」が雄の蛇又は竜であるのに対し、「霓」は雌であるとされるそうです。若干影が薄そうですが。

 

「霓」は明治32年1月に英国ヤーロー社で起工され、翌33年1月に竣工、当初は水雷艇(駆逐艇)。に類別されます。

 

【要目:新造時の「雷」】

 常備排水量:345トン、垂線間長67.2m、幅:6.3m、平均吃水:1.5m

 機関:直立4気筒三連成レシプロ蒸気機関×2、

 主缶:ヤーロー式水管缶(石炭専焼)×4、推進軸:2軸

 出力:6,000馬力、速力:31ノット、乗員数:60名

 兵装:8cm単装砲×1、57mm単装砲×5、45cm魚雷発射管×2

 ※出典:世界の艦船「日本駆逐艦史」増刊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P8

 

「雷」型水雷艇(駆逐艇)「漣(初代)」(出典:Wikipedia)

(不明 - 日本駆逐艦史より, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4433896による)

 

「霓」は横須賀に回航され、明治33年5月26日に到着します。同年6月22日には類別の規定変更により軍艦(駆逐艦)に類別されます。

早速、明治33年に発生した北清事変(義和団の乱)に参加しますが、7月29日に清国山東省南東岬沖で濃霧のため座礁し、8月3日に沈没します。座礁・遭難の原因は艦位置の誤認であったようです。明治34年4月に除籍され、竣工から8か月で沈没するという短命な艦でした。

 

 

次は、明治33年度計画で建造された、「春雨(初代)」型駆逐艦の3番艦「速鳥(はやとり)」です。

「速鳥」とは、鷹のようにすばしこく飛ぶ鳥のことで、上代に兵庫・明石で造った早船を「速鳥」と命名した、との伝説があり、その後の遣唐使が使用した船などにも船名として用いられたそうです。

「速鳥」は、横須賀海軍工廠で明治35年4月に起工され、翌36年8月に竣工し駆逐艦に類別されます。

 

【要目:新造時の「春雨」】

 常備排水量:375トン、垂線間長69.2m、幅:6.6m、平均吃水:1.8m

 機関:直立4気筒三連成レシプロ蒸気機関×2、主缶:艦本式水管缶(石炭専焼)×4、推進軸:2軸

 出力:6,000馬力、速力:29ノット、乗員数:62名

 兵装:8cm単装砲×2、57mm単装砲×4、45cm魚雷発射管×2

 ※出典:世界の艦船「日本駆逐艦史」増刊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P20

 

駆逐艦「速鳥」

(出典:「写真日本海軍全艦艇史(下巻)」福井静夫、KKベストセラーズ、1994年12月、P513)

 

「春雨(初代)」型駆逐艦「村雨(初代)」(出典:Wikipedia)

(不明 - 日本駆逐艦史より, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4610142による)

 

「速鳥」は竣工翌年である明治37年に勃発した日露戦争に参戦し、旅順港閉塞作戦中の明治37年9月3日に小平島南方で触雷し沈没してしまいます。明治38年6月1日、帝国海軍は喪失を公表し月15日に除籍されます。こちらも竣工後13ヵ月という短命な艦でした。

 

 

もう1隻取り上げます。日露戦争開戦直後の明治37年3月、帝国海軍は駆逐艦25隻の建造を決定し早速取り掛かります。これが駆逐艦「神風(初代)」型で、日露戦争の終戦に間に合ったのは2隻のみでしたが、最終的に全艦が完成しています。この「神風(初代)」の22番艦が「白妙(しろたえ)」です。

 

「白妙」とは、歌語「白妙の雪」の白妙で、元来は樫の木の皮の繊維で織った白色の布を指し、雪の意味ではありません。万葉時代には喪服を表わす語として使用されていることもあり、あまり良い意味ではありませんね。また、気象等に関する言葉を駆逐艦の艦名として採用されている中で、「白妙」は少し意味が異なっているようです。

 

「白妙」は、三菱長崎造船所で明治明治38年5月に起工され、日露戦争終結後の翌39年11月に竣工し駆逐艦に類別されます。大正2年8月には類別の規定変更により三等駆逐艦に類別されます。

 

【要目:新造時の「神風」】

 常備排水量:381トン、垂線間長69.2m、幅:6.6m、平均吃水:1.8m

 機関:直立4気筒三連成レシプロ蒸気機関×2、主缶:艦本式水管缶(石炭専焼)×4、推進軸:2軸

 出力:6,000馬力、速力:29ノット、乗員数:62名

 兵装:8cm単装砲×2、短8cm単装砲×4、45cm魚雷発射管×2

 ※出典:世界の艦船「日本駆逐艦史」増刊第34集、No.453、1992年7月、海人社、P20

 

三等駆逐艦「白妙」

(出典:「写真日本海軍全艦艇史(下巻)」福井静夫、KKベストセラーズ、1994年12月、P519)


大正3年に勃発した第一次世界大戦では、ドイツ帝国の東アジアの拠点である青島における戦いに参加し、大正3年8月31日に膠州湾外の霊山島沖で座礁、9月4日に沈没してしまいます。10月29日には除籍されました。

 

 

帝国海軍では、戦没した艦艇や事故等により喪失した艦艇の名前は次代に継がないようにされていました。今回取り上げた3隻も座礁により喪失した艦のため、大東亜戦争期の駆逐艦等に二代目の襲名はありませんでした。

戦後になると、海上保安庁の発足当時に旧帝国海軍から引き継いだ6m内火艇のうち1隻に「にじ(CL-75)」を襲名した巡視艇があります。同じく旧帝国海軍の20トン交通船兼曳船を引き継いだ巡視艇「しらたえ(CL-72)」、そして昭和44年11月に村上造船所で竣工した「規格17メートル型」の巡視艇「あさしも(CL-302)」型に「しらたえ(CL-313)」があります。

 

また「速鳥」には海上自衛隊に2代目が存在します。掃海艇「はやとり(MS-15)」で、旧帝国海軍第駆潜特務艇「第一号」型の一隻である駆潜特務艇「二百十四号」の後進です。

駆潜特務艇「第二百十四号」は、香川県高松市の四国船渠工業所で船体を建造のうえ、呉海軍工廠で武装等を装備し昭和19年12月に竣工します。

 

【要目(新造時:第一号)】

 基準排水量:130トン、全長29.20m、水線幅:5.65m、公試状態吃水:1.97m

 機関:中速400馬力ディーゼル機関×1、推進軸:1軸

 出力:400馬力、速力:11.0ノット、乗員数:32名

 兵装:7.7mm単装機銃×1、爆雷投下軌条×2、爆雷×22、吊下式水中聴音機×1、

     軽便式水中探信儀×1

 ※出典:世界の艦船「日本海軍護衛艦艇史」増刊第45集、No.507、1996年2月、海人社、P125

 

駆潜特務艇「第1号型」(艇名不明)(出典:Wikipedia)

(不明 - Japanese magazine "Ships of the world - Escort vessels of the Imperial Japanese Navy", p126., パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6558051による)

 

竣工後の駆潜特務艇「第二百十四号」は下関防備隊に編入され、関門海峡の掃海作業に当たります。

昭和20年3月30日には触雷により船体が損傷し、8月9日まで修理を受けたのち戦を迎えます。

戦後は海軍省の後身である第二復員局所管のもと引き続き掃海業務に当たり、昭和23年5月に海上保安庁が発足すると「ちよづる」型の掃海船24隻のうちの1隻「はやとり(MS-15)」として承継され、引き続き掃海業務に当たります。

さらに、昭和27年6月に保安警備隊(海上自衛隊の前身)が創設されると、「ちよづる」型掃海船のうち23隻は移管され、「はやとり(MS-15)」も移管されます。昭和29年7月には掃海艇「はやとり(MSI-699)」と類別が変更されます。

 

【要目(継承時:ちよづる)】

 基準排水量:130トン、全長29.0m、最大幅:5.5m、吃水:2.0m

 機関:中速400馬力ディーゼル機関×1、推進軸:1軸

 出力:400馬力、速力:11ノット、乗員数:24名

 兵装:掃海具一式

 ※出典:世界の艦船「海上自衛隊全艦艇史」増刊第66集、No.630、2004年8月、海人社、P41

 

掃海艇「はやとり(MSI-699)」

(出典:「丸スペシャル・機雷艦艇1」No.72、1983年2月、潮書房、P41)

 

「はやとり」は、「ちよづる」型では「はつたか(MSI-696)」「ひよどり(MSI-700)」とともに最も長く使用され、昭和40年3月の除籍されました。

 

「霓(にじ)」「速鳥(はやとり)」「白妙(しろたえ・しらたえ)」…それぞれ響きやイメージとしては優美な感じがします。しかし、大東亜戦争期の艦艇には名称が引き継がれず、明治後期から大正初期にかけて短期間存在したマイナーな艦名となってしまいました。

それでも、一度は海上保安庁で採用されたこともあるので、今後も船艇の名として引き継がれて欲しいですね。