今から50年程前、奈良の飛鳥の幼稚園に通っていました。集団帰宅の途中でしたが、友人が教室に帽子を忘れたのを取りに付き合いました。
取り終えて、列に戻ろうと走りましたが、列はかなり先の信号を渡っている所でした。
この経路のまま皆の後を追うと信号待ちとなって皆を待たせると思い、皆に追いつくために斜め横断をしてショートカットをしてしまいました。
そこで、車に跳ねられてしまいました。
ぶつかる前は記憶がありませんが、後からの目撃によるとかなり跳ばされたようで、即死かと思われたようですし、小さな身体が車体の下に巻き込まれなかったのも偶然の必然なのだと思うのです。
今でもはっきり覚えているのは、トランクから毛布を出して僕を抱きくるむ女性を見ていたこと。
則ち、幽体離脱していたのだと思います。
また、後部座席で毛布に包まれた僕に「大丈夫?大丈夫?」としきりに声をかけているのを横で見ていたこと。
手術の最中に、光の中の人影がゆらゆら揺れていて、メスや鉗子等の金属音がカシャカシャと聞こえ、頭に圧力がかかる感じを覚えています。
また、跳ねられた直後か、移送中か手術中かどのタイミングか分かりませんが、辺りが一面グレーな世界で1人でいると、その世界の足元はスモークが焚かれた雲のような煙がたなびいているのですが、音もなくどこからか髭の長い杖を持った老人とその傍に老婆が着物を着て現れて、手で追い返す仕草をするのです。
不思議に、その老人達を見ても恐怖を
感じる事はありませんでした。
そして最後に覚えているのは、病室でベッドに横たわる僕を主治医の先生と画板を持った看護師さん、担任の先生と園長先生と母の5人が覗きこんでいる所を天井から見ていたのでした。
この体験から、身体と魂は別ものだと理解していますし、命は神様から頂いて我々は生かされていること、使命を持ってこの世に産まれて来たことを理解するようになりました。
この人生で起きる事は、偶然はなく、必然でしかありません。
1人1人は産まれてくる時に神様と約束をして産まれて来ます。
その約束を果たさない限り、命を無駄には出来ませんし、その約束を果たす修行が必要なのです。
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