「慰霊の日」に政治を持ち込むな 脱原発は冷静に議論すべきだ | 未来への希望

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この建物に入るといつも、おのずから粛然とする。広島平和記念資料館を訪ねるのは被爆から50年を迎えた平成7(1995)年8月以来、16年ぶりである。

展示方法は変わったようだが、原爆の悲惨を伝える品々は同じものが並んでいる。原爆が投下された8時15分で止まった腕時計や、中身が黒こげになったアルミの弁当箱、人影が映し出されたビルの壁などは、よく知られた歴史の物証だ。


16年前といえば、阪神大震災が起きた年である。今年は東日本大震災が襲った。被災地の惨状を見て「あの日の広島を思い出した」という声を聞いた。


だが、決定的に異なるのは、原爆は人為的な惨禍であり、爆風と熱線が襲い、おびただしい放射線が生き残った人々を苦しめたことだ。アメのようにねじ曲がっ た鉄骨や、溶けてくっつきあったガラスの瓶などは、ほかではありえない。そして、被爆直後の人々の姿は直視できないほどむごたらしい。


今年の平和記念式典は、原爆よりも原発に注目が集まった。海外からの取材メディアが昨年より3カ国多い13カ国を数えたのも、東日本大震災による東電福島第1原発の事故があったためだろう。


菅直人首相は式典のあいさつで、「原発に依存しない社会を目指す」と語ったが、参列した歴代首相が原発に触れたのは初めてだ。


松井一実広島市長も平和宣言で「核と人類は共存できない、との思いから脱原発を主張する人々がいる」として、国にエネルギー政策の見直しを求めた。


だが、原爆と原発は違う。加えて言えば、できてしまったものは、できなかった昔に戻れない。


人類は科学の進歩によって核エネルギーを手にした。ひとつは、地球をも滅ぼしかねない兵器として。もうひとつは、制御しながら発電に利用するエネルギー源としてだ。


日本は唯一の被爆国として、世界に核兵器廃絶を訴え続けてきたが、いまだ実現しない。かねて超大国の核のバランスが戦争の抑止力として働いたのは否定でき ない事実である。さらに、新たに核の開発に手を染める国がある。核兵器を消し去ることは難しい。封じ込めるしかないのだ。


原発は、福島の事故で不安が広がったが、わが国にとって大切なエネルギー源であり、その技術は貴重な資産である。再生可能な自然エネルギーに代替できるまで、安全性を高めながら活用するのがベターだ。そのために英知を結集する必要がある。


「脱原発」は冷静に、時間をかけて議論しなければならない課題である。広島からメッセージを発するのは早い。まして菅首相が政権維持のために政治利用してはいけない。


まだ明けやらぬ平和記念公園で、車いすで供養塔に手を合わせる女性がいた。被爆者の平均年齢は77歳を超えた。66年がたつが、「あの日」はなお忘れがたい記憶である。


8月6日は、こうした人たちの慰霊の日であるべきだ


(論説委員・鹿間孝一 )産経新聞