センコウガール 完全版

 

「2019年に発売された中で最高のマンガを一つ挙げよ」

と言われたら悩んでしまうが、筆頭候補に『センコウガール』を挙げることは間違いないだろう。
少なくとも、最も推したいマンガであることは疑いようがない。

『スメルズライクグリーンスピリット』を読んだその時から私の肉体・魂・精神は永井三郎さんへの敬慕をとめどなく溢れさせ続けている。『センコウガール』を読み終わった時、その想いは更に遥かなる高みへと昇華した。あまりにも良すぎたため、レビューを書こうと思っても「こんな言葉では全然形容し切れてない!」と作ったばかりの茶碗を叩き割る陶芸家のような気持ちになり数ヶ月書けなかったほどだ。

 

『スメルズライクグリーンスピリット』はSIDE AとSIDE Bの全2巻。こちらもまとめて読んでみて頂きたい。

永井三郎さんの作品には、「これは自分の物語だ」と思えるような心の傷を抱えたキャラクターが頻出する。理不尽な環境や運命に傷つけられてしまった少年少女たちが、痛みを曝け出し、苦しみ、叫び、涙し、葛藤しながら懸命に藻掻くように生きる姿はどこまでも胸を焙り焦がす。

人は誰といようとどんな契約を取り交わしていようと、根本的は孤独な存在だ。されど、マンガを含めて優れた物語というものは時に人の孤独と痛みに寄り添い和らげてくれる。自分にしか解るまいと思っていた苦しみと同質の悩みを持ち葛藤しながら生きるキャラクターに出会った時、人はそこに自己を投影したり深い共感を得たりする。そして、その存在は人生を歩む際に心の杖となってくれる。

そこまで思い詰めていない人が触れた場合でも「世の中にはこういうことで悩み苦しんでいる人がいるんだな」と可視化されることで、自身がまったく体験したことがないことであっても他者の痛みへの理解と想像力が育まれ、心と精神の成長を促してくれる。物語やエンターテインメントは、衣食住などに比べれば必ずしも人間が生きていくのに必要ではないとされている。しかし、渇いた体に滲み込む水が必要なように、渇いた心や魂を潤して生命の焔を賦活させてくれる力がある。『センコウガール』も正にそんな力を有する優れた作品だ。

『センコウガール』は、2015年に雑誌ヒバナで「デストロイ新連載」というパワフルなコピーを提げて連載が始まった。




しかし残念ながらヒバナ自体が休刊になってしまった。その後、裏サンデー・マンガワンでの掲載を経てまんが王国というサイトでのみ全巻が配信されていた。それが2019年になり、4月26日に遂に他の各電子書店でも配信が開始された。そしてこの度、2020年1月10日に1,2巻同時発売、明日2月12日には3,4巻が発売され紙の単行本で完全版として全4巻での発売となった。これを機に、全力でお薦めしたい。


本作では不登校になっていた主人公の民子とその周囲のクラスメイト数名を中心に、ひとりの女生徒の死を巡って不穏な展開が続く。高まる緊迫感、謎が謎を呼ぶ展開に真相はどこにあるのか、彼女たちはどうなってしまうのかと読むほどに引き込まれる。純粋にサスペンス的な面白さも一級品だ。あまり内容に言及しすぎると楽しみを減じてしまうのでもどかしいところもあるが、この衝撃は一読に如かず。ぜひとも実際に体験してみて頂きたい。

そして、物語を彩る端正な絵が純粋に魅力的だ。本作ではヒロイン・民子の美しさが一つ物語を構成する軸になっている。それが画的にも十分な説得力を持たされている。しかもただ単に美しいだけではなく、喜怒哀楽すべての表情の振れ幅が大きく、特にある回の扉絵などはぞっとするほど美しくも鬼気迫るものを感じさせられる。後半でキーとなる人物の一人である曜子もまた美しく描かれており、民子と並んだショットは非常に画になるのだが、彼女が美しいことにもまた意味が付与されている。美しさというものは人類が普遍的に求めるものだ。

『センコウガール』は様々な方向に感情を大きく揺り動かしてくるところに類稀なる魅力がある。前述した通り、少女たちの葛藤こそが本作の真髄だ。容姿の悩み、夢の挫折、外部的要因による排斥、家族関係など、青春の輝かしい面の裏側にある闇に囚われた少女たち。それぞれが死にたいほど悩み半ば自棄になりながら、心の奥底では生きることを希求している。一人一人のバックボーンが丁寧に描写されていく中で、言動を好きにはなれなくとも悩む理由は理解はできていく。そこには強靭なリアルさがあり、胸に迫る。人によっては強く共感を覚えるだろう。噂話をするクラスメイトたちや主婦たちの無責任さがまたそのリアルさを補強している。物語で読んでいると嫌悪感を催すが、人間は無意識的にこういった立場に立ってしまいがちであることにも自覚的であるべきだと釘を刺されているようにも感じられる。

期待をすることを諦めていた対象と改めて対話を深めることによって自らが抱えていた問題が大きく氷解していくシーンはとりわけ感動的だ。現実でも、こうした相互の歩み寄りによって解決する問題やシーンは存在するだろうと考えられる。一方で、どれだけ対話をしたところで理解し合うことは不可能であろうと思わされる対象も存在する。こういった相手とは物理的に距離を取り、社会のシステムがもたらしてくれる盾に縋るしかないのが現実だろう。修復できる関係が多数を占める中で、決して修復できない関係、しかも内心無理だと解っていてもそれを求めずにはいられない、それにより一層絶望感を浮き彫りにさせられる構造がそこにはある。

しかしながら、そんな中ですらも笑って輝きを放つことができるのもまた人間なのだと『センコウガール』は示してくれる。それこそが本作の最大の美点だと言ってもいい。過酷な運命、過酷な世界の中で傷つきながらも前を向いて強く気高く生きる姿に圧倒的に魂を揺さぶられる。それは第三者から見ていると解り難いが、容易く行われていることではなく、決死の覚悟が必要な営為であると神視点から見ている読者には深く実感できる。果てしない困難の上に成り立つものだからこそ、余計に畏敬や尊さといった感情を覚えずにはいられない。

『センコウガール』の「センコウ」には様々な意味を宛てがうことができるだろう。

「先行」
先に行くこと。先に行われること。

「先後」
時や順序の、さきとあと。さきとあとの順序にほとんど差がないこと。また、順序が逆になること。

「鮮好」
はっきりしていて美しいこと。
主人公・民子の生き方の形容としてこちらも相応しい。

「跣行」
裸足で行くこと。
これも民子に相応しい。

「潜考」
心を鎮めて深く考えること。
そんな印象的なシーンもあった。
 

「潜行」
水中をもぐって進むこと。隠れて動き回ること。
そうせざるを得ないこともあった。


「閃光」
瞬間的に明るくきらめく光。
しかし、何と言っても一番はこの意味だろう。

私は「閃光」というと、最近リバイバルで話題となった『ダイの大冒険』のポップの以下の名台詞を思い出さずにはいられない。

「一瞬…!!だけど閃光のように!!まぶしく燃えて生き抜いてやるっ!!それが俺たち人間の生き方だっ!!」 

そう、閃光とは一瞬の燃焼の際に生じる刹那の輝き。素より、大いなる宇宙の長大なる歴史の流れからみれば、人間一人の命など本当に僅かなものである。しかし、そんな儚い生命から生れ出づる玉響の閃光の世界を覆わんばかりの烈しく美しき煌きがこの物語には綴られている。

 

私はこの至高の人間讃歌に込められた魂の大熱と高貴さを、奇跡のように眩い青春の軌跡を、一人でも多くの人と共有し語り合えることを切に願って止まない。


余談だが『スメルズライクグリーンスピリット』はNirvanaの『Smells Like Teen Spirit』が元になっていると思われる。そしてこの『センコウガール』もまたモチーフになっている曲があると考えられる。東京事変の『閃光少女』だ。敢えてここでは詳細は書かないが、読後に『閃光少女』の歌詞を読みMVを観るとストーリーに重なる部分があまりに多く感じ入ってしまう。ぜひ、読んだ際には併せて聴いてみて頂きたい。

 

 

 

また、1月発売の話題の名作『マイ・ブロークン・マリコ』と相通ずる点も非常に多いので、『マイ・ブロークン・マリコ』が好きな方には『センコウガール』を読んで欲しいし、『センコウガール』が好きな方にも『マイ・ブロークン・マリコ』を読んで欲しい。