見て見ぬふりをしない。 | 戸田和幸オフィシャルブログ「KAZUYUKI TODA」Powered by Ameba

見て見ぬふりをしない。

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僕は高校時代に報告書に書いてあるような経験をした。

今でも昨日の出来事のように思い出す。

高校2年、練習試合の日だった。

上手くプレーが出来なかった、でもふざけていた訳ではなかった。

上手くなりたくてレギュラーになりたくて毎日悩んで悩んで必死に練習をしていた時期だった。

遅刻をした訳でもなく、文句を言った訳でもなく、タバコを吸った訳でもなく。

ただプレーが上手く出来なかっただけだった。

その日は多くの保護者が観に来ていたが、その中に珍しく父親の姿があった。

望むようなプレーを見せない僕に苛立ったのだろう、試合後監督は他の保護者の方達もいる場所で僕の父親に向かってこう言った。

「オタクの息子、頭おかしいんじゃないの?」

父親は苦笑いをしていた、それだけだった。

「父さんごめんなさい」

僕はそう心の中で謝罪をし、この人だけは絶対に許さないと心に誓った。

僕はただ一所懸命、サッカーが好きでプロになりたくて一所懸命にプレーをしていただけだった。

練習試合の時に足首を捻ってしまった時がある。

酷く捻ってしまい満足に歩く事も出来ない状態だった僕に、ある保護者が「駅まで送って行くよ」と声をかけてくれた。

その時、随分離れた場所にいた監督からこっちに来いと言われた。

痛む足を引きずりながら監督の元へ歩いて行った僕に対し監督は「何を話していたんだ?」と聞いた。

僕は「駅まで送っていくよ」と言ってもらいましたと答えた。

「ふざけるな、歩いて帰れ」

その瞬間にスイッチが入った僕は「分かりました」と答え、パンパンに腫れた足にサンダルを履き、歯を食い縛ってバス停まで歩き電車に乗り自転車を漕いで帰宅した。

結果、ゾウの足のように腫れに腫れた足首が治るまでにどれだけの時間が必要だったか。

今でも思う。

何故あんな事を言われたのかと。

何故父親はあんな屈辱を味合わされたのだろうと。

僕はプロ選手になりたくてただ必死に練習をしていただけだ。

理不尽が人を強くすると言う人がいる。

馬鹿な事を言うんじゃないよと。

行き過ぎだったかもしれないが体罰や暴言も相手の成長を願ったあくまでも指導の一環だったと言う人がいる。

そんなものは指導ではない。

指導なはずがない。

自分だけでなく多くの部員が同じような経験をした。

人格を否定され、家族の前で馬鹿にされ、プレーが上手く出来ないからとゴールポストにヘディングをさせられた。


あんな経験があったから僕はプロ選手になれたのだろうか。

理不尽を乗り越えたから強くなれたのだろうか。

そもそも理不尽とは一体何なのか。

道理に合わない事を経験させたり、恥ずかしい思いをさせないと人は強く逞しくなれないというのだろうか。


僕は何が何でもプロ選手になりたかった、だからどんなに苦しくても夢の為に頑張った。

応援してくれる両親の為にも何が何でもプロになりたかった。

両親は全て知っていたはずだ。

でも息子が歯を食い縛って頑張っている姿を見て応援する事しか出来ないと監督に対してアクションを起こす事はなかった。

僕がもし父親の立場だったら、どうするだろう。

あの時父親は一体どんな気持ちで苦笑いをしてくれたのだろう。

あの時心で怒り泣きながらも顔では笑ってごまかしてくれた父親には死ぬまで頭が上がらない。

高校時代にサッカー選手としてその後の人生を左右する重要な要素を与えてもらったのは間違いないが、だからといって上に書き記したような出来事があったからこそプロになれたなんて思った事はない。


  形は違うがプロでも1シーズン、こんな経験をした。

「お前の全てが気に入らない。何もかもが酷過ぎて使い物にならない。絶対に試合に使う事はないからこのクラブから出て行け」

キャンプでも全く試合に出られなかった後、帰る直前の出来事だった。

クラブの要職に就く人に「自分に何か問題があったのなら教えて欲しい」と聞き、回答が得られなかった後には「何とか状況を変えたいので間に入って下さい」とお願いをしても「これは二人の問題だから私には何も出来ません」と応えてはもらえなかった。

その監督とは3度目の仕事だったが、2度目の時点で関係が難しくなっていた。

そして自分の加入が決まった後に監督の就任が決まった。

クラブの要職に就いていた方は過去2度の仕事を知る人だった。

だから自分と監督のどちらが正しいとか間違っているという事ではなく。

たった1度で良いから、実際の把握と関係改善の為に手を貸してもらいたかった。

「見て見ぬふり」の辛さを知った。

35近くなりある程度様々な事についての理解や耐性が出来ていたものの、この一年は苦しかった。
途中ひと月体調を崩して休んでしまったが、それでも自分を育ててくれた土地への恩返しをと最後までそのチームに残った。

離れて暮らす妻は全てを知っていたが、僕が決めた事だからと最後までサポートしてくれた。

自分が以上に辛い思いをさせてしまった妻には、これからの人生の中で償っていこうと思う。

高校時代も含めたこれらの出来事は今でも時折思い出すし、おそらく忘れる事はないだろう。

そして自分は選手に対しては何があっても同じような事はしてはならないと思い続けて生きている。

スポーツの世界だから一般社会に存在するルールが相応しいか分からないと言う人もいる。

その人達に問いたい。

暴言を吐かれたり暴力を振るわれないと選手の力量やメンタルは上達しないのかと。

一体いつの時代の話をしているのかと。  

下の【  】内の文章は湘南ベルマーレの筆頭株主である三栄建築設計が発表した声明に書かれている一文です。

【「プロスポーツ」という独特の厳しい世界の中で、すべての責任が監督にあるということはなく、一部行き過ぎた行為はあったにせよ、指導者のパワハラの線引きは非常に難しいものと認識しており、スポーツ界全体で、明確なルール作りが急務であると考えております。】

またチーム及び曺監督は既に、長い時間の中で反省していることも踏まえ、さらに皆さまから愛されるプロサッカーチームとして改善し、再び指揮を執っていただくことを当社は期待しております。】
と明確に立場を表明しています。  

この声明分の中に被害者に対する言葉は、何処にも存在していません。

下の報告書を読んで下さい。


4人の弁護士、外部の人間による調査チームが作成した調査報告書に書かれている物を読んでから是非もう一度メインスポンサーの声明文を読み直して下さい。

要約され公表された調査報告書の中に記されている様々な事象は、決して「一部行き過ぎた行為」ではなく「パワハラ  の線引きは非常に難しい」と書くような問題でもない。

これらは立場の違いを利用した明確なハラスメント行為です。

そして調査報告には【不法行為(民法709条)及び暴行罪(刑法208条)となり得る不適切な行為である】と記されています。

この報告書が出された後、リーグは元々発表されてもいなかった5試合の出場停止を既に終えたとして全てをクラブに丸投げしました。

クラブとスポンサーは、被害に遭われた方達への言葉もそこそこに元の体制へ戻る事を希望していると公式の声明で発表しました。

何かがおかしくはないでしょうか。

本当にこれで良いのでしょうか。

皆さん自身や、皆さんが大切にしている人が同じような立場に置かれたとしてどんな気持ちになるでしょうか。

ただひたすら耐え、勇気を振り絞って告発した方達の存在は何処にいったのでしょうか。

被害者より加害者の事を慮り、復帰を望む声明が出て来るのは何故なんでしょうか。

皆さんが好きなサッカーが、皆さんが憧れスタジアムに足を運び声を上げて応援するチームの中に。

声も上げられずただひたすら不条理な扱いに耐え続け、精神を病み崩れていった人達がいると知った時にどんな気持ちになるのでしょうか。

調査報告書には「フロント幹部の対応について」という項目があり、そこでは会長・社長・スポーツダイレクターの対応について触れている。

そこでは「練習に参加出来なくなった選手や出勤出来なくなったスタッフが複数存在したことにつき相当程度認識し得たと考えるのが合理的かつ自然」という記述があり「スタッフ及び選手に対する前記認定事実の大半について認識し又は容易に認識し得たと認められる」とも記されている。

また「スポーツダイレクターから社長・会長への報告・連絡・相談も殆どなされなかったと認められる」

更にスポーツダイレクターについては「言動には問題があること及び自身が言動を改めさせるべき立場にあることを認識しつつも、チームの好成績や選手のパフォーマンス向上等に繋がる例もあった事などから言動を改めさせることを必要十分にはなし得なかったと認められる」と記されている。

つまりは見て見ぬふりをしてしまったのだ。


Jリーグが公表した報告書を読むだけで胸が痛くて痛くて仕方がありません。

勇気を振り絞って告発した人達は今どんな気持ちでいるだろう。

自分とは関係ない、他人だから関係ないでは駄目だ。

駄目なものは駄目だ。

結果を残す人だから一部の人達が犠牲になるのは
仕方ないと見て見ぬ振りをし精神を病み崩れていった人達に手を差し伸べる事をせず、指導者に対しても是正を求めるアクションも起こさず事実を隠蔽してきた人達がいる。
 
どうしてアクションを起こせなかったのだろう。

それもまた指導の一環だという間違った考えがあったからなのだろうか。


被害に遭われた方達。
 
僕の友人もその中にいます。

とても心配だったので思わず連絡をしてしまったのですが、そこで僕もある程度の事は知りました。  

その後調査報告書・声明・会見の内容を読んでこのブログを書いています。

当然ながら生活が懸かっている以上、簡単にはクラブを離れる決断も出来ずとにかく歯を食い縛って耐える事しか出来なかったんだと思う。

クラブに対する忠誠心もあったでしょう。

それでももう無理だと、アクションを起こしたのではないでしょうか。

本当に辛かったと思う。

考えただけで涙が出そうになる。

駄目なものは駄目だ。

見て見ぬ振りをするのはよそう。


報告書、声明、会見。

これら全てに目を通して、自分の頭で考え心で感じる事。

体罰や暴言、パワーハラスメントはまだまだこの国のスポーツにへばり付いている。

何とかしなくては。

サッカー・スポーツの未来は我々一人一人のアクションに懸かっている。