パチンコの歴史について調べてみましたよ!
パチンコは日本の文化だったらしい。
もともとヨーロッパから、パチンコの原型になるものが入ってきたらしいんだけどね。それを日本式に改良したのがパチンコかな?
縁日などで質素に遊んでいたものが、それが今はどうしてこうなってしまったのか・・・
ヤクザが介入しだしてからおかしくなっていったみたですね。
ウィキペディア
正村竹一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%9D%91%E7%AB%B9%E4%B8%80
人種差別をせず、「(正村の)パチンコ台が欲しい」と云えば、日本人・外国人分け隔てなく販売した。
正村ゲージの特許を取らなかった理由として、”当時は特許料が要らないほど儲かっていた””忙しすぎて書類作成が煩雑だった”という説があるが、正村自身が独占をせず、良い物は真似るべきという考えだったというのが定説になっている(後述の言葉に表れる)。
更に昔々のお話
腹筋崩壊ニュース
パチンコの起源と歴史
歴史 社会 fknews
2014年10月8日 2016年4月29日
http://fknews-2ch.net/archives/41073557.html
紀元前から存在する「球を転がして遊ぶゲーム」から、
ゴルフやクロッケーへと洗練され、
ビリヤードのようなものへと発展し、
ルイ16世時代(1700年頃)にフランスで「バガテル」という遊びが考案された。
この「バガテル」からは、さらに亜種が生まれて、
このゲームの名称がなんと、「Billiard Japonaise」。
これがそのまま水平型に進化していったのが、「ピンボール」であり、日本に渡って「スマートボール」となりました。
この「Billiard Japonaise」から省スペースな垂直型のものが考案され、1895年に「ウォールマシン」が登場。
これがパチンコの起源らしい。
イラストや、昔の珍しい写真が沢山あり、博物館のようで面白いですよ!
かなり詳しく紹介されています。
詳細はサイトでご覧くださいませ。
パチンコと在日コリアンの関係性
歴史 社会 fknews
2014年10月19日 2016年4月29日
http://fknews-2ch.net/archives/41263225.html
いつの時代から在日朝鮮人がパチンコ業界に参入し始めたのでしょうか?
朝鮮人たちが日本に来日し始めるころからの話も紹介されていますよ。
一部抜粋
1883年の時点ではたったの6人だった在日コリアンは、1900年代に入ると数百人規模となり、1910年の日韓併合を機にその数を急激に増やす事となります。
1920年で3万人、1930年には30万人を超えました。
彼等が何しに日本に来たかと言えば、もちろんより良い暮らしを求めて来たわけです。
普通は誰でも見ず知らずの土地に行きたいとは思いません。言葉の問題、母国での人間関係を捨てられるか、移住して本当に幸せになれるのか。こういったハードルはなかなか高いものです。
しかし、日本は当時の朝鮮半島とは比べ物にならないくらい豊かな国。勇気を出して日本に行った人の成功話が広まるにつれ、日本を目指す朝鮮人は着実に増えていきました。
また、日本側としても、資本主義がバンバン発達しており、安価な労働力の需要は高まる一方。安価な労働力という意味で、こういった朝鮮人労働者はピッタリでした。
しかし、在日コリアンが増えた事により、治安が悪化するという弊害も起こります。
渡航してくるコリアンがマジメに働く人ばかりなわけがないですね。むしろ、母国で食い詰めた人が多いわけで、必然的にその犯罪率も高いものになります。
その為、はじめは安価な労働力として朝鮮からの移民を受け入れていた政府も、頭を抱えるようになります。
しかし、単純な渡航禁止はあまり有効ではありません。密航してくるので。
なので、日本政府は「朝鮮本土を開発して、朝鮮に留まりたいと思わせる」という心暖まる作戦を取りました。そうして、日本統治下において朝鮮半島のインフラは大いに発展したわけです。
在日朝鮮人が日本に強制連行されてきたわけではない、ということを自民党の高市早苗氏が国会で答弁しています。
【神回!】高市早苗氏が民主党(現民進党)が韓国とズブズブだとわかる動画!在日参政権ではなく韓国へ帰還事業にすべき!と神提案!思い出国会
Helen Thernand Published on Dec 6, 2016