今私の中に一つの考えがある。
これは私見であるし、作文なので正しいか否かは分からない事をまず先に告げておこう。
聖書は神が人類に与えたもうた、愛する父親が子供に与えた手紙のようなものである。
とキリスト教二世として育った私は、幼い頃からそう教わってきた。
恐らくキリスト教系の宗教に携わってきた方達は、口を揃えて皆そう言うだろう。
でも、私は正直疑問である。
と言うか聖書とは、手紙と言うよりは、ヤハウェ(エホバとも言う)神と、人類とのやり取りを描いた壮大なドラマなのだと私は思っている。
これは細かく説明すると、とても長くなるので、概要だけお伝え出来たらと思う。
まず、聖書に書かれている一つ一つの物語は、全て実際に起こった歴史の書のような物では無い。
ただそうは言っても、聖書には事実は含まれていると思うし、全てが嘘であったとは言わない。
ある事象があり、それを元にして文章が成り立っていると言えば御納得頂けるだろうか?
私が個人的に、これは真実なのだなと思っている考え方が、神の創造の七日間の考え方だ。
創造の七日間を簡単に説明すると、神は一日目から六日目までにこの世界を創られ、そして七日目に休まれたと言う考え方である。
これは現在の暦にも当てはめられ、月曜日から土曜日まで働き、日曜日に休むと言うカレンダーの元になった考え方である。
この考え方が正しいのだと、まず思考の土台に据えて欲しい。
神は六日間でこの世界を創られ、七日目に休まれた。
勿論そうは言っても、人間の感覚で言う所の一日が、神の一日と同じでは無い。
神の一日は千年
と言う言葉もあるが、これも文字通りの千年では無いと思う。当時の人にとって長い期間を指す比喩表現として、千年と書かれたのであって、神にとっての一日が、それ位長い期間だと言う意味合いに捉えて欲しい。
この世界を創られた長い期間。
それが六日間だとしたら、その一日分に当たる期間である七日目に、神は休息に入られたと言える。
では休まれている間は、誰がこの世界を代わりに収めていたのか?と言う事になる。
そこは異論無く、神の御子だろう。
多くの人にとっては、キリスト・イエスとして知られる人物である。
この後の説明の手間を省く為にも、簡単な例えでこれを表現しておこうと思う。
動物を飼おうと思い立ったある人が居たとする。これが創造神。
動物を迎え入れる為に、まず自宅内にスペースを設け、その後動物が住みやすい環境を作る為に、小屋を作ったり毛布を敷いたり、餌を購入したりと色々と用意を整えた。
最後に動物を購入し、その用意した環境に放した。ここまでが六日間。
そして最後に、自分の息子に動物の世話を任せて自分は休む事にした。これが七日目の安息日。
だとイメージして欲しい。
聖書は、まずこの考え方を持っていないと、理解に苦しむ本になってしまう。
その矛盾点に関しても、簡単に説明を加えておこう。
以下、聖書の矛盾点。
創造神は、安息に入られたはずなのに、何故か人間と個人的に深い関りを持ってこられた。
神は最初の人間アダムとエバに、一つの掟を与えた。有名な禁断の木の実の話である。
他にも、アベルとカインにも関わり、アベルを殺したカインに罰を与えたり、ノアとその家族に方舟を作らせ、それ以外の人間を洪水によって滅ぼしたり、アブラハムを友と呼んで愛でたり、その後契約を結んで彼の子孫の守護神となり(これがイスラエル人)、このイスラエル人のわがままを神は数千年に渡り受け入れ、ある時はエジプトで隷属状態だったイスラエル人を救出したり、荒野ではマナと呼ばれる食べ物を与え、その後カナンと言う土地を与えたり(と言うか実際は、その地に住んでいる人達を殺戮して奪わせると言う方法を取った)、彼らが王が欲しいと言えば、それを聞き入れ、サウルを王として与えたり、その後もイスラエル人が神に仕えずに異教の神を崇拝し出すと、預言者を何人も送り込み、一人も説得に成功しなかったので、仕方なく最後に御子を遣わすも、最終的にその御子をも殺ししてしまい、最終的にイスラエル人は神に見捨てられ、その後神は人類とのやり取りの一切を断ち切る事になる。
とまあ、ざっとだが聖書の矛盾点を説明した。
聖書冒頭の書によると、創造神は七日目の安息日に入られたはずなのに、何故か変わらず活動しており、しかも人類と(と言うか神を愛する人達に)個人的な関りを持ってこられたのである。
特にアブラハムに対する愛着はひとしおで、彼との約束に拘ったが為に、イスラエル人に長きに渡り煩わされる事になる。
これが、聖書が矛盾だらけの本であると言われる所以である。
だが、これを先程の例えで考えると、矛盾が矛盾で無くなるのである。
つまり、この世界を御創りになられた神は、七日目に休息に入られた。
その期間の人類の世話を、御子にお任せになられた。
つまり、この世界を創られた神と、聖書の神は別人であるし、そう考えると矛盾はしていないと言えるのである。
ここで今一度、先程の例えを思い起こして欲しい。
もしもあなたが、彼の子供だったとして、尊敬する偉大な父親から動物の世話を任されたとする。
その動物をどう世話するだろうか?
父親が目覚めた時に、動物が彼に良く懐くように、きちんとルールを守れるように、色々と試行錯誤しながら世話をするのでは無いだろうか?
父親が喜びそうな行動を取ったら褒め、これからもそう行動するように躾け、ルールをやぶったり父親が悲しむような悪い行動を取ったら罰を与えるのでは無いだろうか?
これがもう一つの矛盾点。
ヤハウェ(エホバ)神が、何故神を愛する人間と個人的な関係を持とうとされたのか?逆に神に反逆する人間を処罰されたのか?と言う点も理解する事が出来る。
聖書の神(御子)が、神(創造神)を愛する人間に個人的に関わったのは、自分を愛する者を愛でられたのでは無く、全ては父が喜ばれる為であったと言えるだろう。
逆に神に反逆する人間達を洪水で滅ぼしたのも、自分が怒ってと言うよりは、父に従わない人間に罰を与えただけの事だったと言える。
イスラエル人に律法を与え、神(創造神)に従わせようとしたのも、全て世話を任された責任による所であったと言える。
上記の点から考察すると、聖書最大の謎、キリスト・イエスの死の謎も解き明かす事が出来るのである。
キリスト教教理においては、キリストの死は、原罪に対する贖いとして説明しているが、私の意見は全く違う。
このキリストの死は、彼の責任の取り方だったのだと私は思う。
偉大で尊敬する父親である創造神から、世話を任された人類。
彼らは神を愛するどころか、反逆の歩みを続けてしまった。
御子そのものは神の独り子であられるので、歪んだ歩みはなさってはいない。
世話を任せられた人類に対し、立派にリーダーシップもとっておられた。
だがあまりにも人類が馬鹿過ぎたのだ。
なんど言っても、神を愛さない馬鹿ども。
洪水で滅ぼされても、そこから何も学ばない馬鹿ども。
律法を与えても、理解しようとしないし従わない馬鹿ども。
わざわざ預言者を遣わし戒めを与え、最後には自分が人間となり直接指導しても従わない。……どころか、預言者も御子も全部殺して、それでも自分達は神に選ばれた民だとのたまう馬鹿ども。
もしあなたが例えの子供だったら、どう感じるだろうか?
父親から期待され任せられたこの責任を立派に果たせたと、胸をはって言えるだろうか?
否。
恥ずかしくて、情けなくて、何か責任を取らねばと思わないだろうか?
創造神は決して御子に責任を問われたりしない。
そして御子も、何も悪い所は無かったのだ。
ただただ、人類が馬鹿過ぎたせいで生じた出来事であったのだが、その責任を取ろうと御子はお考えになられた。そして創造神もそれを御止めにはならなかった。
その責任の取り方が、自らの死だったのだと考えると、納得がいくのでは無いだろうか?
この全ての作文には、何の根拠も無い。
だが私は今、この記事を書きながら涙が止まらない。
何故神の御子が死ななければならなかったのか?
そんな辛い出来事を、ただ黙って見ておられた創造神はどんな御気持ちだったのか?
想像するだけで、胸が痛む。
御二人が辛い思いをされたのは、全て人類のせいである。
人類が馬鹿過ぎたせいで生じた、悲しい出来事である。
話を戻そう。
聖書は字句通り捉えてしまうと、大変矛盾だらけの本である。
だが、創造神と聖書の神が、別人だと考えると、何ら矛盾していない本でもある。
そして聖書は、神が人類の為に送った手紙のような物では決して無い。
聖書は、父である創造神から、人類の世話を託された御子の奮闘記のような本である。
だが彼の歩みから、教えから、そして死から、人類は何も学んで来なかった。
彼の弟子である十二使徒は、彼の意思は継がず、キリストをまんまと利用したパウロが起こした、初期キリスト教に帰依してしまった。※下記参照
その初期キリスト教は、ローマの国教と化し現代に至る。
キリスト教の歴史を見れば一目瞭然だが、隣人への愛が教えの大きな部分を占めているにも関わらず、隣人を愛するどころか、むしろ憎み、今もどこかで宗教戦争を興している。
結局人類は、御子の歩みから、教えから、そして死からは何一つ学んで来なかった。
あなたはどうか?
馬鹿な人類の一人なのか?
自問自答して欲しい。
※キリストはそもそもユダヤ教、正しくは律法に縛られる生き方からの脱却を推し進めていた。
当時宗教指導者は(パリサイ派が有名)、人々に律法で縛った生活をしていた。そうした律法は古代イスラエルにとっては有益な物であったが、キリストが誕生した当時はすでに古い情報になっており、そこから離れ自由に神を信奉して欲しいと願っていたのだろう。キリストが新たに与えられた教えは、神と隣人への愛と言うシンプルな物で、古い革袋の例えなどからも律法は古くて廃れた物と言い放っている。
キリストがユダヤ教から新たな宗教(キリスト教)へ人々を導こうとしていたのであれば、人々が彼を王としようとして画策していた時に逃げる必要は無く、そのまま世論の流れに従っていれば良かっただけである。
又西暦70年に起きたローマ軍の武力行使から、彼らを守る意味合いもあったと思われる。
これは蛇足だが、上記の点からも、キリスト亡き後の使徒達の行動は彼の意思を継いだ物では無かったし、パウロが新たに興したキリスト教と言う名のパウロ教も、間違った物であったと言える。