700ページもの大作を読み終わりました。
長かったけれど、途中、飽きることがない。
次、どうなるんだろう?という小説のページをめくる楽しみを最後まで味わうことができました!読後は読みきった達成感と、ラストもじわじわ、よかったです。
ウリツカヤ、やさしい。読者を置いてきぼりにしない人なんだ。
ソ連という社会主義国家に生きる市井の人たちの暮らしを、人生を、まるでミニアチュールの絵巻物のように多彩な登場人物たちで綴っていく。
とにかくたくさん人が出てくるから、名前と人間関係をメモしながら読みました。
3人の少年たち、イリヤ、ミーハ、サーシャを中心とする学校での青春の日々から物語は始まる。文学を愛する教師に導かれ、感受性の強い3人が街を歩きながら過去に生きたロシアの文学者の足跡をたどるエピソードは、小説を読む人なら誰もが自分を投影してしまうでしょう。
けれど、進路が別れた後は、3人の人生が大きく変化して、ソ連という国家が個人の人生に否応なく絡み合い、過酷な人生の選択を迫られる。
これを読みながら、ソ連の社会のシステムは今のロシアに引き継がれているんだということがよくわかった。ロシアは表向きは民主主義で選挙によって大統領が選ばれているはずなのに、国家として何ひとつソ連時代と変わってないことに気づく。
この小説をよんでロシアで反体制を少しでも暮らしの中で示そうものなら、身近な人による密告に逮捕、最後は強制収容所が待っていることがリアルにイメージできるようになった。隣人を愛せよどころじゃない、不信感でいっぱいだ。
けれどそんな中でもずっと、反体制の文学や一般人による出版活動が草の根的に続いてきたのだ。
ギリギリの選択肢のなかで反体制を生きる人々。
悲しみも深くて、絶望的だ。
収容所や拷問などの苦しみを小説で書くことはできるはずだけれど、ウリツカヤの筆致はどこか冷めていて時おりユーモアも感じるくらい。読者が苦しくなって本を閉じたくなるような過激な描写はなかった。暮らしの中で人は家族をもったり恋人との時間を楽しむ。文学や音楽、かけがえのない友との出会い。
それでも、社会主義のなかで人々の精神が、自由が蝕まれていくことがヒシヒシと伝わってきた。
今のロシアもきっと同じなんだろう。
今、読んでよかったと思う。
きっと反体制を主張したくてもできない人たちや、過酷な条件の中で草の根の活動をしている人、たくさんいるだろうと想像できる。
そして、収容所で苦しんでいる人もいるだろうことが。
ウリツカヤさん、今はどこでどうしているんでしょうね。