靴は服装の一部でしかないのに、殊に革靴となると集めたり磨いたりとそれ自体が趣味や嗜好というものに昇華され意味を成す事が多いのは、靴そのものの製法や皮から革への製成方法、ニッチな視点では職人の背景などなど、語られるに値するストーリーが数多く介在し、また、服装という視点に立ち返ると、その役割の重要性はジャケットやスーツをも凌駕することも多分にあるためであろう。

その実、多くの着道楽者たちは靴を買い漁り、いい職人を見つけては注文をし、気に入らなければ人に譲り、手元に残る靴を補修し修繕し、また履く。新たな靴を迎え入れるたびに、これが最後と心に誓うが、舌の根も乾かぬうちに新しい靴を物色し始めるものであるし、また、新たな靴を買っては後悔はないといいつつも懺悔はするものなのである。

さて、前置きが長くなったが、数多の着道楽たちとの交流を持つと靴との付き合い方に関しては当然ながら違いが見えてくる。
とにかくいろんな靴を経験したいと思うもの、少数の靴を履き潰してから次を求めるもの、靴を買っても鑑賞する事に重きを置いて、試し履きで付いた履き皺に激しい後悔をし、修理店になんとかならんのか(履き皺を取り除いて欲しい)と依頼に来る者までいると聞くので本当にモノとの付き合い方は様々だなと思う。

こういう筆者は、靴は好きだがあくまでも道具でありそれ以上でもそれ以下でもないというスタンスである。ただ、この道具は使い込む事によって経年変化し、私だけのモノとなっていく過程、つまりエイジングをとても楽しめる。おそらくは、靴好きの多くは同じ価値観を持っていると信じているのだが、件の履き皺に耐えられないストレスを受けられるという御仁とは一生相入れられないのだろうなと思う。
さて、革靴のエイジングと言えば、黒い靴よりも茶靴である。薄い色の方がその変化を楽しみ易いから、なのだが、茶靴の色味を大別すると、樫(オーク)・栗(チェスナッツ)・タンの3つになろうかと思う。


こちらはダークオークのエドワードグリーンハリファックスとガジアーノガーリングのケンブリッジというモデル。
ハリファックスは旧工場製で推定25年以上前のモノで、ケンブリッジは3年前に筆者がセールで買ったモノ。それぞれよく履いているので履き皺がしっかりとついているが革にでるエイジングは確認しづらい。

こちらはチェスナッツカラーのドーバーとシングルモンクモデルのファルマス。ともにエドワードグリーン製であるが、両靴ともアンティーク加工が施されている。ドーバーは約8年前の個体を2、3年前に格安で手に入れたモノ、ファルマスは旧工場のデッドストックを昨年末に購入したモノであるが、まだ着用年月も浅いので大きなエイジングは見られない。


こちらはタンカラーのベルルッティドリアンとエドワードグリーンエルムズリー。
共に古い個体だが、エルムズリーは13年経過し、その間ほとんどレギュラーで履き続けてきた結果、傷は多く履き皺は深く、バンプ部には無数のクラックも入っている。これはもちろん手前の補修技術や意識の低さの現れなのかもしれないが、この表情は使い込まれた道具としての美しさを内包している。

ただ押し並べて多くの革靴愛好家たちが言うように明るめの茶靴の方がエイジングか楽しめるのではないかと思う。

ついでに黒靴も並べてみる。


左からセミブローグはボナフェ製のオーベルシーの濃紺、ストレートチップはJ.M.ウエストン、25年目に入ったエドワードグリーンの黒ドーバーであるが、やはり濃い色はエイジングが分かりにくい。ドーバーに至っては近くで見ると相当エイジングが進んでいるのに。
さて。


年が明けて、今夏のためにヴィンテージリネンでビスポークジャケットを依頼したところである。
靴も何か新調したいところではあるが、さて。