11月22日…6年:Dimaの記憶(1) | Добро пожаловать!

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ありがとう、Dima
あなたの歌は永遠です

今年で6年。

11月22日はDimaが旅立った日。

 

Dimaがオペラからの引退を宣言した2016年末あたりから、私はオペラと距離を置いてしまったため、METのHDのラインナップを見ても知らない歌手がとても多くなった気がします。

 

6年も表舞台から遠ざかってしまうと、新しいオペラファンの中には「ホロストフスキーって誰?」という人も現れてきて当然。

METのスター・バリトンだった彼を知らない人がMETに行ったりするのか…と、なんか悲しくもあり、寂しくもあり、そしてとても複雑な気持ちです。

 

今年からの6~9回の命日は、下記のようなテーマでDimaを幼少期から振り返っていこうかと考えています。

 

① 幼少期からクラスノヤルスク時代、そしてカーディフ優勝まで

② 1990年以降~活躍の場は世界へ…スターバリトンになるまで

③ 2000年以降~世界のスターバリトンとして

④ 2015年以降~闘病、そして旅立ち

 

今年は第1回【幼少期からクラスノヤルスク時代、そしてカーディフ優勝まで】です。

子供時代はもちろん、カーディフで優勝するまでのDimaの歌声の記録はほとんどありません。

ほとんど…そう、全くないわけではないのです!

今回はそれらの貴重な音源もご紹介させていただきます。

 

※写真や動画は既出のもので、目新しさはないと思います。ご了承ください

 

DimaことDmitri Hvorostovskyは、1962年10月16日、ロシア・シベリア地方のクラスノヤルスクで生まれました。

 

なお、日本ではディミトリー・ホロストフスキーという表記が一般的ですが、ほかにも名はドミトリー、姓はホヴォロストフスキー、フヴォロストフスキーなどの表記もあります。

ロシア語での正しい表記はДмитрий Александрович Хворостовскийとなります。

 

 

母リュドミラさんに抱かれる赤ん坊時代のDima。

この頃から【難しい人】になる片鱗が垣間見える表情です…💧

 

 

おばあさまと一緒に。

ご両親が忙しかったDimaはおばあさまに育てられ、

Dimaも非常におばあちゃんっ子だったそうです。

 

 

さて、ここで1曲目を。

 

11歳のDimaが歌うショスタコーヴィチの「祖国は聞いている」(Родина слышит / The Motherland Hears)をご紹介。

あの宇宙飛行士ガガーリンが、自身を勇気づけるためにこの歌を宇宙で口ずさんでいたというエピソードは有名です。
 

これは2005年リリースのCD"Moscow Nights"のボーナストラックとして収録され、後半は成人したDimaの声で朗々と歌われます。

 

 

ショスタコーヴィチ「祖国は聞いている」

             

 

 

続いて一気に大学時代へ。

Dimaは、ドミトリ・ホロストフスキー・シベリア州立芸術アカデミー(2018年にDimaの名前が付いた新しい名称になりました)に入学し、ここで歌手としての勉強を深めていくことになります。

 

Dimaはピアノの腕前もなかなかのものだったようです。

声楽のコンクールや舞台で多忙だったため、ピアノのレッスンを休むことは多かったそうですが、試験にはきちっと出席し、いつも合格点を取っていたとのこと。

 

 

ピアノを弾く少年時代のDima(12歳ごろ)

 

 

 

大学時代の恩師で忘れてならないのは、何といってもエカテリーナ・イオフェル(Екатерина Иофель)先生でしょう。

 

イオフェル先生はDimaが亡くなる10ヶ月前に93歳で亡くなられましたが、それまでDimaとの交流はずっと続いていたようです。

 

 

イオフェル先生とDima

 

 

大学時代から並外れた歌唱力が評価されていたDimaですが、大学2年の時の貴重な録音があります。

 

オレグ・プロスティトフ(Олег Проститов )作曲によるエセーニンの詩によるvocal cycle(日本語で何と訳したらいい?)を、エフゲニー・ラウク(Евгений Лаук)のピアノで、クラスノヤルスクの音楽スタジオで録音したものです。

 

ピアノを演奏しているラウク氏はDimaの大学時代のピアノの先生でもあり、この動画のコメント欄でDimaの思い出のほか、この録音についてのエピソードなどをコメントされています。

それを読むと、作曲家自身が肺炎になってこの録音に立ち会えなかったこと、とても寒い環境での録音であったこと、ピアノの音が狂っていたこと…など、かなり劣悪な条件下での録音だったことがわかります。

 

半年後に正式なコンサートでもう一度演奏されたそうですが、その時は環境も整い、更に充実した演奏になって大成功を収めたそうです。

 

しかし…なんと!録音されていなかったとのこと!ガーン

スタジオ録音がなお貴重なものとなりました…💧

 

ラウク氏のコメントは自動翻訳の日本語でもわかりやすい文章になっているので、是非皆様も一度お読みになってみてください!(トップのコメントです)

               

曲は5曲から成り、13分程の短いものです。

音楽も面白いですが、やっぱりDimaの声が素晴らしいですね…。

20代前半だと思いますが、若い時から声のコントロールが抜群です。

 

 

オレグ・プロスティトフ「セルゲイ・エセーニンの詩によるvocal cycle」

     

 

 

卒業後はクラスノヤルスク・オペラで活躍。

デビューは1985年、「リゴレット」のマルッロだったそうです。

 

 

クラスノヤルスク・オペラデビュー (1985年)

「リゴレット」マルッロ役

 

 

また、クラスノヤルスク・オペラで活躍する傍ら、数々の国際コンクールで優勝します。

 

1987年 全ロシア声楽コンクール (ペルミ) 優勝

1987年 グリンカ国際声楽コンクール (アゼルバイジャン) 1位

1988年 トゥールーズ国際声楽コンクール (フランス) グランプリ

1989年 BBCカーディフ国際声楽コンクール (ウェールズ) 優勝

 

 

1987年グリンカ国際声楽コンクール1位の表彰式。
審査委員長のイリーナ・アルヒーポワと。

 

 

このコンクールの映像はさすがに見つからなかったのですが、コンクール後に決戦出場者が集まった動画がアップされていました。

25歳のDimaによる、素晴らしいエレツキー公爵のアリアをお聴きください。

 

 

1987年収録 

チャイコフスキー「スペードの女王」よりエレツキー公爵のアリア

    

 

 

毎年のように国際コンクール1位をとり、コンクール荒らしとなりつつあるDimaでしたが、彼のその後の歌手人生を決めたともいえる、BBCカーディフ国際声楽コンクールが最後の挑戦となります。

 

Dimaは当初違うコンクールを受けるつもりだったらしいのですが、「あなたは容姿がいいからTV放送されるカーディフを受けた方がいい」とのアドバイスをもらい、カーディフに参加することになった…とのこと。

ちょっと笑ってしまうエピソードですが、そのアドバイスは正しかったようですね。

 

 

1989年カーディフコンクール決戦出場者。

左から2人目はブリン・ターフェル

男性がDimaとターフェルだけって…すごいですよね!

 

 

最近、カーディフ・コンクールのオフィシャルYouTubeアカウントがコンクールの時のDimaの映像をたくさんアップしてくれました。

 

YouTubeを開いて、"Hvorostovsky Cardiff"で検索すると

「ドン・カルロ」「仮面舞踏会」「マクベス」 「スペードの女王」"Ombra mai fu"、そしてインタビューを見ることができます。

 

オフィシャルページには出ていないのですが、カーディフは歌曲の審査もあり、この年の優勝を逃したターフェルが歌曲賞を受賞したことは皆様ご承知の通り。

 

そこでDimaがコンクールで歌ったラフマニノフの歌曲「夜のしじまの中で」(B молчанъии ночи тайной)をまずご紹介。

若さゆえ、やや力が入った歌唱ですが声の美しさは格別です。20代の声じゃないわ…。

 

 

ラフマニノフ「夜のしじまの中で」

    

 

 

もう1曲はヴェルディの「マクベス」から"Pietà, rispetto, amore"を。


意外にも彼のヴェルディの録音では少ない曲だと思うので、Dimaファンでもこの曲をDimaで聴いたことある人は少ないのではないでしょうか。

でも、私Dimaが歌うこのアリア大好きなんです。いつも最後で泣いちゃいます。

 

 

ヴェルディ「マクベス」より"哀れみも誉れも愛も"

※音量注意!💦

    

 

 

最後は1位発表の瞬間をご覧ください。

 

勝手にクリスタルトロフィーを持ち上げちゃうDima…好きなんですわw

    

 

 

ここからスターへの階段をまっしぐらに登り始めることになります!

まさにスター・ホロストフスキーが誕生した瞬間、それがカーディフ・コンクールでした。