”聖なる木”へ信仰寄せる

文:浜口一夫 絵:高橋信一

 



佐渡の白椿という昔話がある。

昔あるところに二人のあきんどがあった。

連れだって旅商いに出る。

歩き疲れて一休みする。

片方の男がその場にねぶる。

すると鼻めどからアブ1匹とび出し、

佐渡島の方に飛んでいき、

しばらくすると帰ってきて、

またもとの鼻めどに入る。

男はクシャミして目を覚まし

「佐渡島にごうぎな庄屋があって。

庭の白椿の根っこに金がめをふせている夢を見た」

と話す。

一方の男はその話を聞き、

その夢を300で買い取る。

そして佐渡に渡り金がめを掘り当て。

越後に持ち帰り安閑と暮らす。

 

これは古い遊魂信仰を宿した話の一つだが、

これに似た遊魂譚(たん)は他にもいくつかある。

 

たとえば、

眠ってる人の魂がハチやアリなどになり、

鼻めどから飛び出し、

ボタモチを腹いっぱい食べた話や、

飛び出した魂の虫をつぶしたら、

それきりその人が死んだ話などさまざまである。

 

これらの話しは鼻を通路として、

魂が出入りするとの遊魂信仰を秘めた話だが、

昨年の秋の越後松之山の民俗調査でクシャミのことわざに、

一つクシャミをすると人におもわれ、

二つするとざんぞうされ、

三つはほれられ、

四つはかぜひきだというのを聞いた。

これは人に思われたり、

呪われたりすると鼻から魂をその人にひきよせられ、

クシャミするとの意味である。

やはり魂の出入り口を鼻の穴とみているのが興味を引く。

 

椿に関する伝説といえば、

羽茂町大石の八百比丘尼が有名だが、

これは人魚の肉を食った娘が八百歳もの長生きをし、

諸国を行脚して若狭に住みつき、

空印寺(小浜市)境内の洞窟で入定するとの話である。

そしてその洞窟前には美しい椿の木があり、

さらに小浜市青井の人明宮に祀られてある八百比丘尼の木像は、

赤い椿の小枝を手にしているという。

 

さて、

この八百比丘尼の手にする椿の花であるが、

椿は常緑・長命の木であり、

老樹になっても幹はつやつやとし、

女ざかりのような真っ赤な花をつける。

古人はこの衰えを知らぬ生命力に聖なる木への信仰芯を寄せたのではないだろうか。

 

折口信夫は

「熊野の男の布教者は梛をもって歩き、

女の布教者は椿をもって歩いたのではないか」

との仮説『花の話』をたて、

柳田国男は

「信仰を持ち運ぶこの類の女旅人は、

丹念に処々に実を播き枝を挿し、

それが時あって風土に合して成長するのを見て、

神霊をトする風があったかと思われる」

(「椿は春の木・・・」)

」と八百比丘尼の椿運搬説を提示している。

しかし近年、

熊野比丘尼に対し八百比丘尼の、

白比丘尼は白山に関係ある巫女との説(五重来)「白比丘尼の椿」)や椿運搬の柳田説を否定する山田宗睦

『花の文化史』などが登場し、

椿をめぐる習俗には興味つきないものがある。

 

それにしても神仏の寒念仏に椿の花を持参したり、

春の彼岸の墓もうでに椿の花を供えたり、

幼子の死をめぐる花かごと椿の関係、

そしてまた椿柱や椿の手ギネの化け物の昔話など、

佐渡には椿をめぐる習俗が割と豊富で興味深い。

 

「佐渡山野植物ノート:伊藤邦男」

(2000)

引用させていただきました