日本人の中にはアメリカで成功すると宣言し、実際にアメリカに行くものの失敗するケースが目につきます。しかし、中にはアメリカで大成功をおさめ、有名になる人も。その中の1人、吉田潤喜さんは日本を飛び出し、アメリカで日本人も認める大成功をおさめることになります。1949年12月7日生まれ、70歳の吉田潤喜さんは京都府京都市の出身です。7人兄弟の末っ子だった吉田さん。父親はカメラマンでありながら、写真を褒められるとフィルムごとあげてしまうような人の良さが目立ち、なかなか事業をうまくやっていくことができない人でした。母親が必死に生計を立てるような生活を過ごし、その姿を恨めしく見ていたものの、アメリカから父親の葬儀のために帰国した際には多くの花輪が来ており、人望の高さを思い知らされます。


大学受験に失敗した吉田さん、強くなろうとアメリカへ。不法移民の状態で渡り、2度もピンチを迎えますが、就労ビザが欲しいと周囲にしつこく話してたことが功を奏し、ピンチを脱します。空手8段だった吉田さん。アメリカで空手を披露したところ、とても好評で生計を立てるのに役立ちました。シアトルに空手道場を開き、オレゴン州でも道場をもらったことで収入は安定しますが、アメリカの経済が冷え込み、ピンチに。クリスマスにはたくさんのプレゼントをもらうものの返す余裕がない、そんな中、吉田さんはバーベキューソースを手作りし、プレゼントを返しました。


このバーベキューソースが大好評で、それを売ってほしいというオファーが届くようになります。吉田さんはこれをビジネスにしようとさっそくたくさんのバーベキューソースを作り、ビンに詰め、売り回ります。しかし、そう簡単にはどの店も扱ってくれず、苦戦。ここで吉田さんは実演販売を提案し、実際に実演してそのおいしさを証明。1982年にヨシダソースを設立、その後も様々なピンチが襲う中、義理の父親の支援など様々なことが起きてピンチを切り抜け、現在では年商2億ドルを稼ぐ会社となります。


吉田さんの年収ですが、数億円単位の収入があることが考えられ、その資産もかなりのもの。アメリカには敷地の広い家を構えており、アメリカで大きな財産を築き上げます。成功したくても成功できない日本人が多い中、持ち前のしつこさと執念、そして空手が幼い時に負った失明のハンデを乗り越えさせ、大きな成功をつかむことにつながります。