長々とやってきました

中学生編から大学生編まで

なんか野球漫画書いてる気分になる
いや別になってない

とにかく
ついに来ました
決断の時

就職活動への焦り
将来のことが見えなすぎる焦り
自分のことが見えなすぎる焦り

なんにせよ
まずは自分を見つめ直すところからだ!
文字通り自分を見つめ直す

俺は何に興味があり
何ならずっと続けることが出来そうか

考えに考えてもなんかもう
「ボンっ」
と粉しかでてこないような
そんな脳ミソだった

何やってたんだ俺は

いや漠然とはある
漠然とはあるんだよ
それは確かだった

漠然と


楽しいことがしたい


くらいのはあった…

あったと言っていいレベルじゃないが
その極小の光明に糸を垂らす

楽しいってなんだよ
その当時俺を一番楽しませてくれていたものを
探る

竹中直人さんだった

ご自身が監督されてる映画はもちろん
出演作品も片っ端から見てたし
本も読んで
竹中さんが好きな映画とかも
片っ端から見てた

その本
「少々おむづかりのご様子」
竹中さんの監督作品
「東京日和」
こそが、その先の人生を決める決定打となった

本の内容はエッセイのようなものだった
竹中さんの好きな映画や子供の頃の思い出や役者になってからのあれこれが赤裸々に書いてあった

その思い出を語る世界観がとても好きで
表紙カバーが破けるまで
何度も読んだ本だ

そして映画「東京日和」
写真家アラーキーさんと奥様ヨーコさんの話
話というか実際あるヨーコさんの同名タイトルのエッセイを元に作られた作品

これがもう美しくて温かくて切なくて
今の俺からは想像出来ない
正直自分でも想像出来ない
でもホントに好きな映画だった

竹中さんの世界観にどっぷりと
浸かっていた俺は

この世界観の中に入りたいと
ぼんやり思った

そして「少々おむづかり~」のエピソードで
竹中さんが青年座の出身だということを思い出した

劇団四季、劇団ひまわり以外の
劇団という存在を
この時初めて知った記憶がある

なるほど
劇団に入れば竹中さんみたいになれるのか

プロレスラーやミュージシャンに憧れはしたものの
芸能界とか役者の世界なんてのは前述の2つより
さらに現実味のない世界だった
なんか原宿とかでスカウトとかされた
選ばれた人間だけの世界

それが

劇場という角度から攻めてもなれる

という事実に気付き

一大決心をすることになる


長い

まだ先は長い

もうちょいなんだが

持ち越し!

じゃ







結構開いちゃったな

もうこのシリーズを書き始めたときの情熱なんて
微熱も微熱なんで
なんかもう
ぶっ飛ばして書きたい気分だけども
せっかくここまで書いたわけだし
という過去の自分に対する敬意も
多少はあるわけで

頑張って書こうと思う所存です

どうでもいい決意表明は置いといて

見事エスカレーターに乗って
大学生になりました
そこそこの成績だったので
好きな学部学科を選べたわけだが
どこに入っても
勉強はしなきゃいけないのは当然で
問題はどんな勉強も特にしたくはない
というところ
大学のパンフを見ながら
被写体が一番楽そうにしている学科を選んだ
もうホントに何の興味も無かった

実際、大学で勉強したことで
現在に活かされていることなんて
ゼロと言っても間違いじゃない
お父さん、お母さん、ごめんね
一応謝っておく
でも今後の人生を決めるための
貴重な時間をくれただよね

結果、就職もせず役者やってんだけど

大学生になった俺は
無気力に拍車がかかる
高校時代、俺の精神を支えた
バンド活動も
自分の才能の無さ
というより
オリジナリティの無さ
に嫌気がさしていた
相変わらず同級生の天才ギタリストに
おんぶにだっこ
だったことも
当時の俺にはしんどくなっていた

ほとんどベースにも触らなくなった



3年後



大学4年
親が与えてくれた貴重な時間を
バイトと車でドライブすることに
費やした
どっちも無意識で何かの為に
やっていることではなく
何も考えなくていいから
ずっとそればかりだった

友達もそれなりにいたし
一緒に遊んだりもしたが
いわゆる大学生っぽいことすら
してなかった
サークルだの合コンだの
まったく興味無かったし

そして周りは就職活動
していくわけ

焦ることもなく
同じ生活を繰り返していた
社会に出る実感が全然なかった
当然リクルートから配られた
会社一覧みたいのを一通り見たりもしたけど
こん中からこの先の人生の居場所を
決めろと言われても
と逆ギレしてたくらいだ

ホントになにも考えてなかったんだと思う

4年の夏くらいになると
就職先が決まってない方がマイノリティだった

ちょっと焦って
もう1回リクルートのパンフに
目を通したりもしたが
やはり決めることは出来ない
ていうか、その辺の会社は
もう時間切れだったし

さてと

ヤバくない?

自分を見つめ直すことに


と、やっぱこの先も長くなりそうだから

また次回


じゃ
レッチリのフリーに出会い
面白いパフォーマンスが格好いい
という感覚を手に入れた

そんな中
文化祭でバンド演奏する機会が訪れる

確か5バンドくらいだったかな
メタリカとかジュディマリとかLUNA SEAとか
まわりはそんなんやってたけど

俺達は
ラッツ&スターをやった
なんか丁度復活みたいなタイミングだった
と思う
バンドでラッツ&スターて
この年代でエンタメ色強くしてバンドやってる奴なんていなかったんすよ
お粗末なコーラスとダンスも入れて
クオリティはともかく盛り上がったのは間違いなかった

ラッツ&スターをやりたいと持ち掛けた俺は
ライブの成功に胸が高鳴った
なんか文化祭MVPみたいのもらったし
どうだバカ野郎と

ちなみにこの時、何を恐れてか
「男が化粧なんかしたらダメだ」
と顔の黒塗りをさせてくれなかった
我が母校はホントにクソだなと未だに思っている

さておき
ライブは成功し
件の天才ギタリスト(勿論一緒のバンド)も
ここでラッツ&スターをやるという
発想を褒めてくれた

が、肝心の俺のステージパフォーマンスは
アンプより後ろでベースを弾いている
だけだった

今は俺が目立つ場所じゃないと
わきまえていたんだと思う
とはいえ、むず痒い感覚はあった
なぜ俺の考えた企画で
俺自身が目立ってないんだ?と

まあ学校での立ち位置も
決して目立った場所にいたわけではないので
そんなやつが文化祭で急に
はしゃぐのも
それはそれで盛り上がりに欠けるだろう
と、そんなことも考えていたのは確か

でもそれ以上に
純粋に恥ずかしかった
ってのが一番だな

今の俺からは想像つかない
かもしれないけど
これは、芝居初めて何年か
結構な尺で俺を悩ませる問題となる

はずかしがり屋

だったんだね

やれば出来る自信はある
でも純粋な恥ずかしさと
周りに気を使ってしまう
そういう打ち消し根性を持ち合わせたまま

エスカレーター式に
大学へと進学するのだった

もう少しで終わるぞこの話

でも次回へ持ち越し

じゃ


ええと、なんだ
元々の主旨とかもはや良く覚えてないが
ともかく
中学の時プロレスラーに憧れてて
高校の時ミュージシャンに憧れてた話の続きだな

そう

人生初のギター(hideモデル)を手にいれた俺は
同時にhideのアルバムの楽譜も購入し
早速家で弾いてみた
確か「Dice」って曲を


なんか全然違う

速さは違えど、押さえてる場所は間違いないし
チューニングも合ってる、何より同じギター使ってるのに
全然同じ音が出てる気がしない
他の曲も弾いてみるが
やはり全然違う

どんなカラクリなのか皆目見当もつかなかった

友達に電話して聞いてみたら

「最初はそんなもんだよ」

との返答
彼はちゃんと教えるということをしない奴だった
何もかも我流
そこがまたセンスを感じさせる

ようするにエフェクターも繋いでないし、アンプのゲインすら全くいじってなかったのが一番の原因だったことは間違いない
今ならわかるが
当時の俺は戸惑った
教えてくれないし

何かが違う

俺がギターを手離すには十分すぎる理由だった

ベースを買った

そこで音楽をやめるという選択はまだなかった
特に理由も話さず
彼に、やっぱベースがやりたくなったという旨を伝えた

「え?もう?早すぎない?」

という答えが帰ってくると思いきや
彼は

「いいじゃん」

と言ってきた

…でしょ

強がる俺

今度は彼のセンスに逆らうことなく
オススメのベースを購入

78年製グレコのリッケンバッカーレプリカだった

めちゃくちゃ渋い
これは未だに家にあるが
ホントに渋く、格好いい1本だ

そして俺はベーシストとなった
元々ベースの音が好きだったんだ
と言い聞かせ
毎日練習した

ベースはなんか違わなかった
同じような音が出てくれた

スティング、ジャック・ブルース、ポール・マッカートニー、ベタな有名ベーシストの曲をたくさんカバーした

だが、圧倒的に魅了されたのはやはり

レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーだ

ベーシストなら1度は通る道だとは思う
音もフレーズも格好いい
というより独特で

何より

パフォーマンスが最高だった

弾いてる時の動きが常人のそれとは違った
いわゆる格好いい動きとかじゃなく
どちらかと言えば面白かった

どういうことなんだよ!笑
思わずそう言いたくなる
そんな動きばかりだった
レッチリのライブを見てもらえばすぐわかるので是非見てもらいたい
YouTubeとかにたくさんあるから

ここで、最初の主旨に戻る話だが
レッチリのフリーにより
面白いパフォーマンスがしたいという
今までとは違う憧れが生まれたわけだ


長い

いや、このブログ
ダメだ次へ送ろう
今回はこの辺で

また

という訳で
今日は高校時代にミュージシャンに憧れた話

プロレスラーになる夢を
なんだかんだの理由をつけて諦め
普通の大学の付属高校に進学した

そこはもうなんつうか、そこそこの学力で
どっちかといえばスポーツに力を入れてるような学校で、体育会系7割といったイメージ
ヤンキーはいないがノリは体育会系

顔面真っ青のうすら寒い空気が充満していた

しかも勢いに飲まれてハイレベルな陸上部に入部、ますます筋トレと走ることが嫌いになる

というイマイチな感触の高校生活を送る覚悟を決めていた

そう

あいつに出会うまでは

これ

言ってみたかった

とまあ言ってみたものの、これは話がかなり逸れるので端的に
いたわけです、同じクラスに
天才ギタリストが

それまで音楽は好きだったが、J-POPもしくはプロレスの入場テーマしか聴いてこなかった俺に
まず洋楽を教えてくれた
ビートルズに始まり、クラプトン、スティング、ニルヴァーナ、主にブルースとロックだったな
俺はとにかく彼のセンスに従った
彼のセンスは圧倒的だったから

そんな彼が家に招いてくれた
彼は家に入るなり、愛用のテレキャスターを手に取ると、俺に眼もくれず
楽しそうにギターを弾き始めた

それは立派なエンタメだった
木更津の田舎育ちの俺にとってエレキギターは
テレビのCDの中のものであり
目の前で友達がかき鳴らすものでは決してなかった
しかも、ちょっと弾けるレベルじゃない

なんなんだこいつ?

口を開けて眺めてる俺に
彼は別のギターを手渡し
簡単なバッキングを教えてくれた
それに合わせて彼が自由に弾きまくる

楽しい

すぐに全財産かき集めて御茶ノ水にギターを買いに行った
彼に付き添ってもらって
彼は中古の渋いサンバーストのテレキャスターをおすすめしてきた
彼のセンスの奴隷だった俺も
この時ばかりは譲れない、どうしても欲しいものがあった

XJAPANのHIDEモデル

これが当時の俺のセンスの限界だった

程なくしてギターを売り払うわけだが
これさらに先の長い話だから
次回に持ち越そう
長々とすんません

ではまた