明治維新は間違いだった!

長州はテロリスト集団

=ISIS(イスラム国・ダーイシュ)のようなもの

【原田伊織『明治維新という過ち』】





いまも続く長州薩摩社会。
偽りに満ちた「近代日本」誕生の歴史。


明治維新という過ち
―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト







レビュー


幕末からいわゆる明治維新の歴史において、
「義の長州、薩摩」と「無能な売国奴、江戸幕府」という
子供にも分かりやすいステレオタイプな歴史観も、

長州や 薩摩、それに加担する下級公家が
京や江戸で行った犯罪行為、

すなわち偽勅や殺人、強盗、放火、更には
攘夷佐幕派の孝明天皇の暗殺、御所への砲撃等を知ると
途端に信じられなくなり、

本当に明治維新という一連の動きに
正義はあったのかと疑問は常に持っていた。

そんな疑問に答えるような本書は
目の前の霧を払ってくれるような爽快な内容だった。

特に奇兵隊が会津でしてきた
人倫に反する犯罪行為は
筆舌に尽くしがたく、

これまで見てきた幕末物が
一気に嘘くさく見えてくる。

我々は知らない内に
「明治維新=絶対善」という洗脳を
子供のころから受けてきたのかもしれない。

思えば、今世界で称賛される日本人の美徳は
ほぼ全て江戸時代に完成されたものであって、

江戸時代という文化的に成熟した社会を
一気に否定して武力で政権を己がものにしたのが
明治新政府であり、

自分たちの価値観のみを強要して
他者への理解を拒み、

全てを武力で解決しようとした結果が
日清日露から太平洋戦争に続く歴史に
反映されたと考えることができる。

本書の内容が全て正しいというつもりは毛頭ないが、
「歴史は勝者によって作られる」のは
歴史を学ぶ上で常識であるが、

太平洋戦争の反省をするとしたら
明治維新まで遡って検証する必要はあるように思う。


211人が役に立ったと考えています.



賛同しかねる部分もあるが、
歴史は多角度で見るべきとの観点は全く同感だし、
明治維新まで遡って斬り込んだ論評には敬意を表したい。

幼少の頃は
「薩長が近代を創った=正、幕府方が旧弊=悪、
とのいわゆる薩長史観」が

まかり通っていたのは事実だし、
その典型が「鞍馬天狗」だったと思う。

成長するにつれ色んな書物を読み、
近代史はそんな単純なものではないとわかってきた。

司 馬さんの作品は大好きだし、
司馬さんの書物で歴史を学んだことも事実。

ただ、薩摩長州が主体の政治が良きにつけ悪しきにつけ
近代⇒現代まで繋がっているとも思う。

日露戦争頃までは許容し、
昭和の戦争だけが悪との考えは「?」になる。

第二次大戦の悲惨さを顧みるなら、
その原点の幕末・明治まで遡るべきと思う。

人々が多くの価値観を持ち、
薩摩長州の物語も徳川会津の物語も
同等に語られるようになった現代社会に
生まれて良かったと思う。

そのような時代だからこそ、
明治維新も多くの見直しができると思うし、
再考されるべきと思う。

昨年の非常に
キナ臭い駄作ドラマ「花燃ゆ」放映時に
敢然と発行された作者の心意気も高く評価したい。

23人が役に立ったと考えています.


著者の心意気の分、星を増やしたが
 
歴史に対する著者の一途な姿勢は
評価できると思いました。

薩長中心の歴史観に対しての
バランサーとして評価できると思います。

ここ十年ほどすでにかなり歴史の見直しがなされ、
薩長中心史観はトレンドではないとはいえ、

私のような素人にも読みやすい書物を
刊行(改定)されたことを
素直にすばらしいと思いました。
 
ただ、幕末の薩長等の志士たちが
テロリストであるというのは

現代的価値観で言えば
その通りであると同意しますが、

歴史は暴力によって
展開されてきた部分があることを
踏まえれば、

著者のように単純な正邪で
規定しきれない部分があるのではと思います。

京都などにおける長州の狼藉は
確かにひどいものがありましたが、

著者が賞賛する会津藩の取締も
拷問などを駆使した残酷なものだったことが
知られています。

そのため当時の京都での町民の世論は
(戦略的成功ではありますが)長州寄りでした。

もちろん、衆愚の教訓といえば
そういえなくもないですが。
 
何が正しいかの価値判断は
(本来相対的なでもあり)

保留がいくつか必要だとは思いますが、
ものごとを多元的に見る一助として
有用な本だと思います。


271人が役に立ったと考えています.


この本を読んで長州擁護する人へ

長州を必死でかばうレビューに訂正を入れたい。

1 新撰組の方が長州より、
拷問だの残虐行為をしていたという件について

新撰組は基本的に、取り締まり集団であり、
捕縛した者は奉行所へ引き渡していた。

よって、拷問だのを日常的にすることはなく、
そのイメージは、池田屋の時の古高への
土方によるものが大きいと思われる。

しかしあのときは、
古高があまりにも多量の武器弾薬

および会津藩の印が入った品が見つかり
(会津の仕業と思わせるため)、

テロ決行が迫っているとの危機感から、
例外的に行われたことである。

それから、明治以降の
ネガティブキャンペーンのせいで

新撰組が随分大量殺戮を
行ったように思われているが、

最近の研究では、
実際に殺した人数は、

内部粛清のほうが
その他より多い位と考えられている。

2 京都人が新撰組や会津が狼藉をしたから嫌われていて、
長州は好かれていたという件について

そもそも京都の人が長州贔屓だったのは、
金払いよく、上客だったから。

長州が狼藉しなかったからではない。

3 会津が薩摩、長州にひどい目に合わされたのは、
負けるとわかってても戦争を止めなかったからで、

それは太平洋戦争時に似ているという件について
これはそもそも会津が何回も恭順の意を示したのに無視した、

徹底的に叩かなければ気がすまない
(何故なら江戸は明け渡されちゃったから)
薩摩と長州のせいである

4 会津での遺体放置に
長州が関わっていないという件について

長州と薩摩の卑怯なのは、
会津その他徳川側を撃つときに、

北へ行くほど自分達の手を汚さず、
もと仲間、つまり徳川側だったけど
恭順した藩に攻撃させたこと。

つまり、長州の名前が
遺体管理者のリストになくても、

実質指示したのは、
薩摩と長州ということである。

因みに、遺体放置は函館でもやっている。

そもそも長州が
幕府の要人等を天誅などといって、

殺しまくらなければ、
新撰組が結成されることはなかった。

新撰組に自分達の仲間が
殺されたなどと恨むのは筋違い。

更に、池田屋で新撰組が止めていなければ、
風の強い日を選んで京都に火をつけて、
天皇を誘拐し、

京都守護職であり天皇の信頼厚い
松平容保公とその弟を暗殺するという
前代未聞のテロが決行されていたのであり、

日本人、特に京都の人は、
これを命懸けで止めてくれた新撰組を
もっと評価すべきではないだろうか。

それから、攘夷攘夷と言いつつ、
ケンカを仕掛けて負けると、

あっさり外国の武器弾薬をしこたま溜め込んで、
幕府に戦争を仕掛けたあたりが、

そもそもの主義主張が
如何に信念のないものかわかるというもの。

外国から賠償金を要求されて
尻拭い的に払わされた幕府が可哀想。

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日本近代史 「明治維新」という嘘 (別冊宝島 2368)




明治天皇“すり替え”説の真相
: 近代史最大の謎にして、最大の禁忌





國破れてマッカーサー (中公文庫)




アメリカの鏡・日本 完全版 (角川ソフィア文庫)


GHQ労働諮問委員会の一員として来日したミアーズ。

中立な立場で日本を研究してきた彼女にとって、
「軍事大国日本」は西欧列強が自ら作り上げた誇張であった。

ペリーによる開国を境に
平和主義であった日本がどう変化し、
戦争への道を突き進んだのか。

日本を西欧文明の鏡と捉え、
満州事変を軸に中国・韓国との関係を分析しながら、
アメリカが変えんとするその未来に警笛を鳴らす。

マッカーサーが邦訳を禁じた日本論の名著。



レビュー


徳富蘇峰は東京裁判の法廷に提出して
却下された供述書でこう喝破している。

「若し日本の運動が、万一其中に
帝国主義的の不純の分子がありとすれば、

日本人民にそれをコーチした者は、
誰れであるか。・・・

模範を示した先進諸国は、
日本人の伎倆の拙きを嘲り、

若しくは笑う事は勝手であるが、
之を責め、之を咎め、之を以て

日本を罪せんとするが如きは、
神の眼から見れば、
決して公平の措置ではあるまい。」

(『東京裁判 幻の弁護側資料: 却下された日本の弁明』)
本書でミアーズが書いているのも同じことだ。

欧米は条約の尊重や領土保全といった
誰も否定できない原則に立って日本を非難するが、

そうした原則は力の強い国が特権を拡大するための
国際システムのテクニックであることを、
日本は欧米列強の行動から学んだという。

極めてリアルな国際政治認識だが、
黒船に強姦されて以来日本は悲壮な思いで
師に学び模範生となった。

その優等生ぶりが
「先生」には我慢ならないのだ。

つまるところ
「この戦争はアジア民族が
アジアの支配勢力として台頭するのを阻止し、

米英企業のために
日本の貿易競争力を圧殺しようとする
米英の政策が引き起こした」と
ミアーズはみる。

もっとも日本を弁護するのが
ミアーズの意図ではない。

彼女が伝えようとしたのは、
日本という「鏡」を通して、

ありのままの自己の姿を直視し、
過ちを繰り返すなという
母国アメリカへのメッセージだ。

ただ「アメリカに日本を責める資格はない」
この一点だけは蘇峰と全く同じだ。

今日に至るまで何ら変わらぬ
アメリカという国の偽善の本質を
鋭く抉った名著である。

本書が最初に復刻されたのは二十年前だが、
マッカーサーが日本での出版を禁じたという
曰く付きの本で当時話題になった。

今となっては類書も出回り、
内容もそれほど目新しくはないかも知れないが、
本書が書かれたのは終戦のわずか三年後である。

熾烈な戦いの熱狂と興奮冷めやらぬ時期にしては、
かつての敵国日本への透徹した理解と
極めて公平な筆致には驚くばかりだ。

ほぼ同時期に、
一度も日本を訪れたことのないR・ベネディクトが書いた
欧米の自尊心と人種的偏見に満ちた『菊と刀』は

ベストセラーとなり、
今なお版を重ねているが、
本書の原著は久しく絶版だ。

英文でこそ復刻されることを強く望みたい。