皆さんこんにちは。

 

今年も残りわずか。

このブログは12月31日という、誰しも忙しい日に書き始めた。

ということで、一時間でブログのここ何年を振り返って書いてみたいと思います。

 

@振り返り@

ここ何年、アクアリウムについて考える内容が「アクアリウムの楽しみ方」についてではなく、「アクアリウムという趣味と外部との関わり」についてだった。

ここで言うアクアリウムの楽しみ方というのは、「魚・水草・レイアウト」についてであり、例えば魚や水草の特徴や育成ノウハウであったり、レイアウトであれば構図やデザイン心理学であったりする。

しかしながら、このブログを振り返れば、そういった話よりも、アクアリウムとは何だろう?どういった考え方ができるのだろうか?という内容が多い。

 

@現状@

今、観賞魚業界は盛り下がりに下がり、全盛期であろう平成6年辺り(1400億円ほど)から比較し、市場規模がガツガツ下がっている。三分の一程度にまで落ちているのではないだろうか。

それもそのはずで、過去のアクアリウムブームを見てみれば、戦後復興後、高度経済成長期、バブル崩壊から盛り返しつつある時、といずれも時代背景が安定していることが分かる。

今の日本は、安定している時代なのかと言われれば、そんなことはないですよね?

自然災害が多発して尋常ではない被害が発生しているにも関わらず、政府はプライマリーバランスの健全化を謳い、予算の議論を始める始末、更には誰しも不景気を感じているのにGDPの具合が良いとして「いざなぎ景気超え」などと発表している。

マクロ経済学を齧ったことのある人ならご存知の通り、名目GDPと実質GDPは別であり、その計算式に問題があることを隠しているのである。

政府やマスメディアが指摘するところのGDPとは実質値であり、名目GDPから物価変動分を考慮したものだ。(名目GDP/GDPデフレーター)

ここに欠点があり、物価の上昇率が大幅に下落した場合、名目GDPがマイナスでも、実質GDPがプラスとして算出されてしまうという。

デフレからの脱却を目指していたはずなのに、物価の下落による実質GDPのプラスを称賛しているのは何故だろう。

 

これが、現在の実質GDPのカラクリであるのだが、私は経済について記事を書きたいわけではない。

そもそも、経済学部でない私は、恥を晒す前にこの話題から早々に脱出したいので、結局何が言いたいのかというと、ここしばらくは好景気にならない可能性が高いということだ。

ここ数年350兆を超えるお金を日銀が創り続けたにも関わらずハイパーインフレどころか、インフレにもならない(マネーストックではなく、マネタリーベースは拡大したと言っていいのだろうが)日本において、残された鍵は財政出動と思われるのだが(※リフレ派を否定しているわけではない)、プライマリーバランスの黒字化目標ということで大きな実行ができないのだ。

以前、スイス銀行が提出したレポートから読みとく限りでは、通貨発行の制限は物価変動ぐらいなものであるとのことなので、現時点において黒字化を気にして緊縮財政していることに疑問しかわかない。また、来年には消費税増税という悪魔の所業が待っている。

残念ながら、こんな状況においてアクアリウムという趣味が流行るのは難しいとしか言えない。

業界はどの程度耐えられるのだろうか、皆様の大好きなショップは大丈夫ですか?

通販が頼みという人もいるようですが・・・。

 

@動物愛護とアクアリウム@

さて、話題を変えて日本人のペット観の変化について考えてみる。

最近は魚だけではなく、AIBOの葬式まで行われるほど、日本人の感受性が高まっているようだ。

恐らくは少子化によるところがあり、政府調査ではペットを家族と考える人(特に女性)が増えているとのこと。

なぜ、少子化になるのかといえば、当然の話だが、結婚したカップルの出産率の高さを考えれば、婚姻率が下がったのが大きな原因であろう。

なぜ、婚姻率が下がったのかといえば、これも政府調査のデータがあり、簡単に言えば、お金が無いからだ。

なぜ、お金が無いのか・・・と掘り下げていくと、また経済の話に突入してしまうので避けるが、要は少子化による子供の代用としてペットの存在感が高まっているらしい。

これは、動物愛護と関わってくる話で、アクアリウムにも関わってくる可能性がある。

そうなれば、人と動物関わり方について調べたくなるものだ。

 

日本は仏教的な思想で動物にも慈愛の心で接する国であるといわれる。

西洋であれば、アリストテレスによる動物の階層・・・もっと正確には霊魂の三相論であろう。

とりあえずのところ、人間、動物、植物という序列の発想が生まれた。

さらに、神は「人間に地上と全ての生き物を支配せよ」と言ったと書かれる旧約聖書があり、トマス・アクィナスを代表とした神学者が先のギリシャ哲学を神学に取り込む。

そして、デカルトの登場により「動物には理性がない」といった動物機械論が提唱されることにより、動物の立場は更に落とされることになる。

しかしながら、ベンサムの道徳論やピーター・シンガーらの動物愛護運動、アルベルト・シュヴァイツァーにより西洋の動物の立場が回復された。

というのが、私が愛玩動物飼養管理士の資格を取得する際に読んだ教科書に書かれていた大まかな内容だったと思う。

日本には先の哲学的な話が仏教思想とアミニズムによってまとめられるが、これは脳科学的に、西洋人と東洋人の脳の仕組みに差異があるからだろう。

どうやら、日本人はセロトニンの分泌量であったり、セロトニントランスポーターの量が少ないそうで、新しいことへのチャレンジ性は西洋人の方が高いそうなのだ。

 

それはさておき、これらについて興味のある方は以前のブログ記事を読んでもらいたい。

結果だけいうと、こういった日本と西洋の動物観の比較には、あまり意味はないということが90年代から指摘されており、確かに、デカルトの考えに共鳴して近寄って来た犬に蹴りを入れた知識人が本当にいたようだが、同時にその行為を不快に思った知識人もいる。掘り下げれば、ストア派のセネカ、著作家のプルタルコス、人文主義のモンテーニュといった、動物に礼賛的な知識人は数えきれない。

また、仏教の輪廻にも畜生道というものがある時点で人間との階級的なものが構築できてしまう。

つまりは、厳密にどの時代のどの人間層を切りだすかで、その国の動物観など変わってきてしまうのだ。

しかしながら、大まかにはお国柄というところを発見できるものであり、日本で言えば、動物や植物の供養塔などは特徴的である。

 

時間がない、サクッと結論を書く、今世界的に動物の立場が建前でも見直されているのは間違いない。ヴィクトリア・ブレイスウェイト著の「魚は痛みを感じるのか」はヨーロッパに大きなインパクトを与えているようだし、ジョナサン・バルコム著の「魚たちの愛すべき知的生活―何を感じ、何を考え、どう行動するか」は更なる魚たちへの押し上げとなるだろう。

さて、この世界の流れを考えれば、当然ながら飼養についての規制が高まるに違いない。

現に、金魚を単独飼育してはいけないという法律がある国もあるのだ。

さてこの時代、アクアリストはどのように考え行動したらいいのだろうか。

 

@生物多様性とアクアリウム@

動物愛護と並び指摘されるのは生物多様性である。

これも、世界中で建前でも大きな話題になっており、ガーの規制などもこの影響である。

また、海水魚の採集に爆薬や毒薬がいまだに使われているとも聞く。

自然保護」は人類の大きな課題だ。

 

それは、シュペングラーの「西洋の没落」にも書かれている。

文明の没落期にはグローバル的な都市国家が誕生することにより、地方が衰退し、環境維持や自然保護などという分野は弱体化される。というのも、人口が集中するグローバル都市で盛んになるのは金融系の職種であり、保全などという産業が入り込む余地がないからだ。

しかも、地方は人口の減少により国民の関心がなくなっていく。トドメを指すがごとく、政治にも金の力で金融系のトップが入りこんでいく・・・つまりは物理的にその文明を維持できなくなっていく、といったことが指摘されている。(実は私、まだ本を全て読んでいないため、これ以上書けないのだ。)

 

まるで今の日本を見ているかのようだが、必然的に文明の没落期には自然破壊というのを含んでいるらしい。

そう考えた時に、アクアリウムという趣味は何か貢献できるものはないのだろうか。

いつまでも「本当に生き物が好きなら囲わない」といった問いから逃げている場合ではないのではないか。

ただでさえ、アクアリウムの印象は悪くなっている。それは当然、自然破壊に協力してしまっている愛好家がいるからだ。ガー規制やレイアウトブームによる外来性水草の繁茂、まさに日本のアクアリウムは暗黒時代を迎えている。

20年後のアクアリストから、我々はどういった目で見られるのだろうか。

 

漫画家の手塚治は、自然保護が守られるのは人類が他の惑星に移住した後に生まれた子供たちにかかっていると考えていましたが、私もそんな気がしてなりません。

 

@おわり@

サクッと書いてきたため、省いてる内容が多いのはご容赦願います。

もう少し突っ込んで知りたいという方がいるのなら、過去の記事を読んでもらえると幸いです。

 

今、自分の中で関心のあることは人間の孤独とペットとの向き合い方。

人間はそもそも、集団で生活してきた歴史があるため、孤独を恐れるのは当然なのだ。

共同体に溶け込むことでオキシトシンというホルモンが分泌され幸福感を得られるということが知られている。

さて、アクアリウムはどういったアプローチをかけられるのか。

最近の研究では、魚の知性というものが把握されつつある。

じつは毛の生えた生き物並に世界を把握し、飼育者を認識している可能性がある。

それは、飼育者なら何となく理解しているはずだ。

もっと根拠を提示して彼らとの繋がりを感じられれば、より良く愛着を得ることができるかもしれない。

 

一時間でブログを書くという予定から少し過ぎてしまったが、そんな事を考えつつ来年もアクアリウムについてブログを書きたいと思う。

皆様来年もアクアリウムを楽しみましょうね^^