以下、かなり赤裸々です。








97年。AIR JAM最初の年。
俺は11歳。野球やってた。


98年。AIR JAM2回目。
俺は12歳。中学生になったら何しようってすげー考えてた。


99年。俺中学一年の冬。
姉の影響でハイスタを知り、ベースギターに触れる。一番最初に練習したのは、ハイスタのDear my friend。それまでずっとブルースが大好きだった俺にとって、パンクロックは衝撃だった。体中に電撃が走るっていうまさにその感覚。日本にもすごいバンドがいるんだなー、と。ベース弾き狂ってた。


00年。俺中二。最後のAIR JAM、ハイスタ休止。
うちにはパソコンもなかったし、まだネット社会ってわけじゃなかった。情報源もなく、何も知らない俺はとりあえずCD屋でLove Is A Battlefieldを買ってフンフンいってた。気づいたらハイスタ休止してた。AIR JAMってのも知らなかった。


あれから11年。
ハイスタがいなかったらRANCIDとかも聞いてないと思う。つまりスカもレゲエも知らないままだった。SiMはない。

俺はバンドを始め、ライブハウスに通うようになり、色んな話しを聞いた。

90年代のインディーシーンの凄さとか。
ハイスタの凄さとか。
AIR JAMの凄さとか。
youtubeが普及し、AIR JAMの映像も見ることができた。
こりゃ、伝説になるわって素直に感動した。

でもレーベルと契約して、音楽業界人たちと話すようになって、色々聞いた。知りたくなかった話しも沢山聞いた。ただの噂も、本当の話しもあった。メンバーのその後の行動に若干の疑念もあった分、Twitterで噛み付いたりもした。(それは誤解だったけど。)ハイスタも人間なんだなって思ったりとか、それでも俺にとってはヒーローだって思ったりとか。




今年、AIR JAMが復活するって聞いた。




正直、複雑だった。
俺がハイスタをちゃんと知った時にはもうバンドもAIR JAMも過去の事だったし、生で見ることもできなかった。そりゃあもちろん行きたかった。でも、その行きたいって気持ちが純粋にオーディエンスとして見たい!ってものなのか、それともバンドやってる人間として伝説の瞬間を見ておきたいっていう野次馬的な気持ちなのか自分でもよくわからなかったからだ。



そんな中途半端な気持ちだったから、行くのは諦めてた。
そんなんで行っても失礼だと思ったし。
むしろ、行かねーし!くらいの気持ちでいた。
実際、昨日は他の予定を二つも入れてたし。
ハイスタも聞かないようにしてた。


でも、近づくにつれて
『あー、今月AIR JAMやるのか』
『来週AIR JAMかぁ』
『うわ、もう今週じゃん』
『あと3日か・・・』
って単純に音楽ファンとして行きたい気持ちがどんどん強まって来て。
うずうずしてた。
やっぱハイスタを見たい。
俺、やっぱハイスタが好きだ。
俺にバンドやるって決意させてくれたバンドだもん。

そこへ、先輩から一本の電話。
『MAH、AIR JAM行くの?』
『いや、諦めました』
『一枚余ってるから行こうぜ!』
『!!!!』
即答で行くっていいました。


そこからは久しぶりにハイスタ聞き狂って、マジで楽しみでしょうがなくて。


当日横浜スタジアムについた時も、まだ実感わかなくて
でも中に入った瞬間、マジでテンション糞上がった。

AIR JAMに来たんだ!!!

ってね。






バックステージには、本当に色んな人がいた。

日本中の、このシーンの重鎮達。
芸能人もたっくさん来てた。
マジでカオスだった。



で、ライブがはじまり磯辺さんだ!やべーーー!ってなって
10-FEETはさすが!なライブしてたし
スキャフルはマジで凄まじかった。
そこからチラ見を繰り返しながら色んな人としゃべって会場内ウロウロしてた
最後のホルモン→ブラフマン→ハイスタ
この流れはしっかり見ておきたくて、10-FEETタクマさん、ロットンナオキさんと一緒に会場中央後ろのスケボーランプへ。

ホルモンはAIR JAMでもやっぱりホルモンだった。『呼んでもらったからにはハイスタからの挑戦状と受け取り思いっきりぶちかましたいと思います』ってMCは、非AIR JAM世代からの解答としては、これが一番正解に近いっていうか。そんなライブだった。正直バンドによって客入りもまばらだったりしたけど、ホルモンからはスタンドまで超満員で、スタジアム全体がヘドバンしてる姿は圧巻だった。最後のA・RA・SHIで爆笑wwww まさかのAIR JAMラストソングでこれを持って来るとはwwさすがっす。


ブラフマン。生まれて初めて体感するブラフマンのライブ。今まで一度も生で見る機会がなくて、マジでめちゃくちゃ楽しみだった。トシロウさんのMCは、一言一言発する度に次にどんな言葉が出て来るのかゾクッとするというか、鬼気迫るあの感じ。『当時は今日の若ぇバンドはいなかったよなぁ。11年、休止してどこに行ってたんだ?』スタジアム中が息を飲んだ。からの、ニヤリと笑って『今日という日を誰よりも楽しみにしていたBRAHMAN、はじめます』マジで、全身に鳥肌が立った。あの日から11年、休む事なく走り続けて来た人の言葉の重み。自然に涙が出て来た。『今でも、俺はライブで死んだっていいって思ってやってる。でも、今日だけは、ライブが終わった後に、次のバンドが見てぇ』ラストも、ハイスタが出る方のステージを指差して終わった。本当に、誰よりも深い愛を感じた。セットリストも最高だった。圧巻、ただただ圧巻。あぁ、これがあのブラフマンのライブかって、放心状態だった。



そして、ハイスタ。遂にこの瞬間が。いきなりSTAY GOLD。マジで、地獄絵図っていうか、本当にすごかったよ。行った人にしかわからないと思う。あの地響き、飛び散る水しぶき、夜の浜風を押し切ってムワッと流れて来る熱気。スタンド最上段の人まで、全員が飛び跳ねてる。大合唱。本当に凄かった。

Dear my friendが始まって、俺は色んなことを思い出してた。
初めてハイスタを聞いたときの気持ち、初めてベースを握ったときの気持ち。初めてCDに合わせてべース弾いたときの気持ち、初めてバンドで演奏したときの気持ち、あの頃、今。一緒に大声で唄いながら、涙が止まらなかった。

それからは、本当に、よく覚えてない。現実味がなさすぎて。ただ、あの3人が、目の前に立ってたのは覚えてる。『俺達Hi-STANDARDっていうバンドなんだけどさ』健さんの言葉に、何人が涙しただろう。終わったあとも、自分のこの感覚が何なのかよくわからなかった。




90年代、AIR JAMを経験してきたレジェンド達と、それ以降の世代のバンド。
格の違いはハッキリとあって。本当にぶっちゃけて、今では明らかにトップクラスのラウドバンド達も、会場に響いてない感じが正直あった。見てられなかった。キングギドラに関してはもはや呼ばれたことがムチャブリ感さえあった。あのキングギドラが、だよ?

もちろん、11年経ってる。当時はライブキッズだったけど、今はサラリーマンやってて全然ライブに来たりしてないって人たちもすごく多かったと思うけど、それでもここまで?ってくらい冷めてる人たちがかなりいた。みんな、目当てはハイスタ。それはもちろんそうなんだけど、レジェンド達のあまりの壁の高さに、愕然とした。

前回のBlogにも書いた通り何も知らなかったあの日から、俺は半歩でも近づけたかもしれない。

でも、この先一体何歩、何千歩?何万歩進んだら辿り着けるのか、全然わからない。

本当に、本当に凹んだ。駅まで歩く道で、帰りの電車の中で何回も何回も考えた。

あー無理かも

ってのも何度もよぎった。

でも、この悔しさがあるうちは絶対に辞めない。

いつまでも背中見てるんじゃダメだ。

90年代は素晴らしかった。確かにそうだと思う。昨日、思い知った。

でも、今はもう2011年だ。

ハイスタがいない11年、そのうち8年だけだけど、俺らも俺らなりに今を走って来た。

地震が起きて、色んな人達が色んな事をして日本の音楽ファンを明るく照らそうってがんばってきた。

でも、彼らは3人揃ってそこに立つだけで、日本中の音楽ファンに火をつけてしまう。

たった8年。ハイスタや、その他先輩方が走ってきた道のりに比べたらやっぱりカスみたいなもんかも知れない。

壁は高い。

てっぺんが見えないくらい高い。

それでも、いつか必ず超えたい。

超えられるかどうかなんてわかんないし、無理かも知れない。

それでも、絶対諦めない。

心に誓った。

味わった興奮と感動と、それと同じだけ打ちのめされた、悔しい気持ち

燃え上がった。

2011年9月18日。

俺は一生忘れない。

AIR JAM 2011

最高の一日でした。