苦い旋律:梶山季之 | ALL-THE-CRAP 日々の貴重なガラクタ達

苦い旋律:梶山季之

苦い旋律:梶山季之
集英社 1968年

 

梶山季之が香港で客死したのが1975年。もう40年以上が経ってしまった。今回は、一冊の風俗小説、ポルノ小説とも言われた作品にオマージュを捧げてみたい。

 

梶山は、1930(昭和5)年、当時の朝鮮・京城(ソウル)で生まれている。戦後、両親の故郷である広島に引き揚げ、広島高等師範を卒業する。上京して一時国語教師をするも、週刊誌ブームに乗って、特ダネを追うトップ屋となり注目を浴びる。1961年に結核を患い入院したのを契機に、本格的に作家活動を始める。翌1962年には、産業スパイをテーマにした企業経済小説の『黒の試走車』で注目され、続いて小豆相場をテーマにした『赤いダイヤ』もヒット。一気に人気作家の地位を確立した。以後、作品を量産し、常に作家長者番付の上位に名を連ねるようになる。不遇の時代に阿佐ヶ谷で「ダベル」という酒場を営み、文学関係者の溜まり場になっていたことでも知られるように、人の中にいることを好む性格だった。自分の生まれ育った朝鮮、引き揚げてきた原爆投下後の広島、そして母に繋がるハワイ移民、これらを舞台にした壮大な大河小説『積乱雲』の構想を得て、自らのライフワークにしようと意気込んでいた矢先、突然の食道静脈瘤破裂により死去。享年45歳。

 

梶山が『苦い旋律』を「女性セブン」に連載を始めたのは、1967(昭和42)年だ。流行作家として最も脂が乗っていた頃だろう。『苦い旋律』と言って、すぐに分かる人がどのくらいいるかは知らない。しかし、ある年代よりも上の世代にとって特別な位置づけをもつ本であることは間違いない。有名無名の方々が、自分史、随筆、ブログなどで、『苦い旋律』を愛読したと書かれているのを何度も目にしている。『苦い旋律』は日本における同性愛小説の嚆矢である。その前にも同好の士を対象にしたアンダーグラウンドな雑誌に同性愛小説が掲載されることはあった。しかし、一般の読者を対象とした女性誌に、レズビアンを真正面から取り上げた小説が連載されたのは初めてのことであっただろう。連載中から大反響を呼んだのは、作品の質が高かったからだ。

 

主人公は、一貫寺邦子である。この春、津田塾の英文科を卒業した、とあるので1944(昭和19)年生まれだろう。身長168センチ、靴のサイズは24.5。なんでこんなことを書くかというと、『苦い旋律』がレズビアン小説であると同時に、フェティシズム小説でもあるからだ。一貫寺邦子は、自らレズビアンであると同時に、フェティシズムの対象にもなる。フェティシズムのためには、彼女のプロフィールが重要な要素になることを梶山はよくわきまえていた。一貫寺邦子は、茶道と造花を教える年上の藤野登志子に恋をする。藤野登志子は旧制女学校の卒業だから邦子よりも年齢的には15歳ほど上ということになる。二人が最初に結ばれるのは、伊豆の茶室「遊虻庵」である。台風接近による暴風雨の夜、邦子は登志子によってレズビアンの快楽を教えられるのだ。この「遊虻庵」、実はモデルがあるのである。梶山自身が所有していた山荘「遊虻庵」である。つまり、『苦い旋律』は梶山自身の日々の生活情景の一部として舞台設定されているのである。一貫寺邦子の叔父として、一貫寺保彦が登場する。西銀座に本社を置く広告代理店の専務で、邦子に登志子を紹介する。この一貫寺保彦のモデルは、梶山のソウル中学時代の親友で後に電通の最高顧問となる成田豊である。ということは、邦子が就職するメルヘン産業の社長、ホモセクシャルで後に邦子の奴隷となる曄道征四郎にもモデルがいるはずである。登志子の女学校以来の恋人である女実業家、三鬼寿々江もしかりである。なによりも良家の子女としての一貫寺邦子の造形は非常にリアリティーがあり、梶山に近い人脈の中にそのモデルとなった人がいるはずである。個人なのか複数の人の合成されたものかは別として。

 

時代背景は、東京オリンピックを終えた、高度経済成長期の日本。そこに海外メーカーと提携して、女性用下着の分野に参入しようと野心を燃やす人々が登場してくる。まだ、大阪万博は開催されていない。オイルショックもまだ先だ。やがて、ウルグアイ・ラウンドの結果、円は変動相場へと移行し、それでも日本経済は驚異的な成長を続け、ジャパン・アズ・ナンバーワンと称揚され、バブル崩壊を迎える。当時、大学を卒業したばかりで初々しかった一貫寺邦子も、今は70歳を迎える年齢に達しているはずである。彼女を生み出した梶山季之も疾くの昔に亡くなったが、一貫寺邦子はどうしているのだろうか。女子大を卒業し、外資系の企業に社長秘書として就職し、自らレズビアンの世界に足を踏み入れ、最初の恋人であった藤野登志子を事故で失ってから、上司でもある曄道征四郎をフェティシズムの奴隷として従えることになる。邦子に新しい恋人はできたのだろうか。彼女はどのようなキャリアを歩み、どのような性的遍歴を辿ったのだろうか。一冊の風俗小説が私の中では、いまだに一つの世界を構築し続け、心の一部に住み続けている。できることなら一貫寺邦子のその後をもう一度、作品世界の中で見てみたい。梶山亡き後、誰がそれを実現してくれるだろうか。

 

神はすべての人に平等に愛を注ぐ。しかし、その愛は人間の常識では理解しがたい。神は梶山季之に作家としての才能と活躍の舞台を与えた。作家としての活躍の期間は、30歳から45歳までのわずか15年間、作家としても決して長い活動期間とは言えない。梶山という男は、酒と煙草で自らの肉体をアルコール漬けにしニコチンで燻蒸することによって、この期間を駆け抜けて行った。その突然の死に当り、その才能を惜しむ声が各界から聞こえてきた。『人間臨終図巻』の中で山田風太郎は梶山季之をこう評する。「彼は自分の関係者に無制限のサーヴィスをした。その死を、彼ほど編集者から哀悼された作家は古今にない」。神の子もまた彼の周囲にあまねく愛を注いだわけだ。