福岡県 直方市多賀神社は、日本の神社発祥の地 | 産経新聞を応援する会

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直方多賀神社 自慢 (本当は全国の神社発祥の地?)

① 日本書紀由来の神社

イザナギが祭られた由縁

(元禄5年に滋賀の多賀大社より分祀をうけた神社ではない)こと)

日本書紀 神代上 

於是、素戔嗚尊請曰「吾今奉教、將就根國。故欲暫向高天原、與姉相見而、後永退矣。」勅許之。乃昇詣之於天也。

是後、伊弉諾尊、神功既畢、靈運當遷、是以、構幽宮於淡路之洲、寂然長隱者矣。

※亦曰、伊弉諾尊、功既至矣、德文大矣、於是、登天報命、仍留宅於日之少宮矣。少宮、此云倭柯美野。

(現代語訳)素戔嗚尊の誓約

素戔嗚尊(すさのおのみこと)が申し上げられた。

「私はそのご命令に従って、根の国に参ることにします。そこで高天原(たかまがはら)に参って、姉にお目にかかり、お別れをしてきたいと思います」伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、

「よかろう」と仰せられたので、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は天に昇られた。このあと、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、神の仕事をすベて終られて、あの世に赴こうとしておられた。そこで幽宫(かくれみや)を淡路(あわじ)の地に造って、静かに永く隠れられた。

※また別の言い伝えでは、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)はお仕事を終えても、徳が大きかった。そこで天に帰られてご報告され、日の少宮(ひのわかみや)に留まりお住みになったとされる。

イザナギの鎮座地は古事記(天皇家の歴史を記すことが目的)によれば、淡路の解釈をめぐって、淡海之多賀か淡路之多賀かという論争になる。滋賀多賀大社の分祀社は全国に239社あるが直方多賀

神社の名前はない(最も滋賀多賀大社の祭神は南北朝時代までは伊弊諾尊ではなかったことがはっきりしているので、直方の多賀神社に分祀できるはずもない)。日本書紀(日本という国の成立を記すことが目的)によれば、淡路之多賀(伊弊諾神官)か日の少宮之多賀かという話になる。 滋賀も淡路もそのことがわかつているので直方の多賀神社を分祀社とは言ったことがない。

多賀神宮(淡路)、多賀大社(淡海)、多賀神社(直方)共に「多賀」とついているのは「多賀」は、日本の古代において大和や蝦夷の地を美化するために使われた言葉でもあつたらしい「高い地」とか「災いを除く地」ということらしい。だからあとから「多賀」という地名がつけられたと推察できる。日の少宮の地も古代は淡路(直方の語源? 真っ直ぐな潟・稲作発祥の地とされる遠賀川流域の干潟・湿地)を見下ろす丘(高い地)

②  日の少宮 日の若宮 多賀宮 多賀大神 と呼ばれ、妙見信仰時代は妙見大明神に

③ 元禄5年 神職 青山敏文が、藩主の命を奉じて上京し、朝廷に願い出て、元の多賀大神(多賀神社)に改めたこと。

④ 番外編として、南北朝時代、南朝の懐良親王につき足利尊氏と兵火を交えた際、妙見大明神もその兵火で焼失、正平元年(1346年)懐良親王が大願主となり改築。それゆえ「王方神社」とも「皇方神社」とも称えられたこと。 (後にこれが直方の地名になったとの説もあり)

 これからは多賀神社御神幸について

https://www.youtube.com/watch?v=AVM-9he9tcM

(是非、クリックしてください。現時点では当日の概要が一番わかりやすい)

※多賀神社御神幸は、300年以上の伝統があり、3年に1度、多賀神社の秋季大祭の中日に実施されてきましたが、諸般の事情により平成4年を最後に実施されることなく今日に至っておりました。平成30年頃より、今この時期に再興しないと途絶えてしまうとの危機感をもとにさらに協議を重ねた結果、令和2年10月17日の実施となりましたが、コロナ感染拡大の影響により1年延期、さらにもう1年延期となり、今日を迎えております。

多賀神社御神幸は、多賀神社の氏子地域(JR直方駅周辺の市街地)をお上り、お下りで約4時間かけて1日で行粧するもので、その起源については諸説ありますが、我が国の三大祭りの一つである「葵祭り」に類した祭礼です。現在の形態へ整備されたのは、直方藩(5万石)黒田長清公の時代(1709年)と言われております。その行粧は、平安時代の京における装束と江戸時代の武士の装束である直垂を着用した氏子300余名が供奉して延々300メートルに及ぶものです。また、衣冠装束姿の紅褐紫白とりどりの色彩と幽玄なる音色と100張りにも及ぶ高張提灯、弓張り提灯の照らす弱光は、神秘にして典雅、みやびかやかにして荘厳な古典一大絵巻です。

他の御神幸にない特色としては、御神体が神馬に奉戴して渡御される「御神馬(御)錦蓋」(ごしんめ、ぎょ、きんがい)及び神霊に供する宮司が輿に乗る「宮司揚輿」で、全国の祭礼でも珍しいと言われております。(クロスロード福岡)    

※資金難、担い手不足…30年ぶり復活 多賀神社の御神幸 

300年以上の歴史がある福岡県直方(のおがた)市の多賀神社の「御神幸」(県指定無形民俗文化財)が15日、30年ぶりに復活した。平安時代の装束や、江戸時代の武士の直垂(ひたたれ)・裃(かみしも)に身を包んだ約350人が、市中心部5キロを練り歩いた。ご神体が神馬に乗る珍しい行事。かつては3年に1度だったが、1992年を最後に資金難や担い手不足などで見送られてきた。2020年に催されることになったが、コロナ禍で2年続けて延期になっていた。(読売)

https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20221015/5010017787.html