壬午士禍(シニムサファ)。
英祖/延ニン君/クム
朝鮮王朝史上最大のミステリー。
当時、王権は弱体化しており、西人派が分裂した老論派と少論派の政党争いが熾烈な時期だった。英祖は老論派を後ろ楯にして王位に就いたが、息子である思悼世子は少論派と関わりが深かった。老論派は親子の仲を引き裂こうと画策。思悼世子が謀反を企てていると濡れ衣を着せ、それを信じた英祖が思悼世子を米びつに閉じ込めてしまう。思悼世子は8日後に餓死し、英祖は深く後悔したという。
このブログを書いている最中に色々と資料を探していたらこんな記事を見つけました。後は私の私見をまとめ、そしてウィキペディアから取り出してまとめました。調べて行く内に思悼世子を死に到らしめたのは身内であったという事実でした。
もう恐怖で恐れおののくだけです。今回は中途半端ではありますが、ここで終わりにします。
隆陵(思悼世子の墓、後に正祖によって荘祖と追贈されました。
現在、水原にある華城に置かれている世子が閉じ込められたという米びつのレプリカだそうです。