ハウス考 | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

はぁ~。。。 イラスト&ラノベ書きたい。。。

 

一つの趣味だけでは煮詰まる日香チャン。。。

占星術は趣味でもなんでもなく単なる「仕事」

ですね。。。ビジネスですから、ビジネスとして

割り切ってがんばりますけど、ワイの本質は作家で、

イラストレーターで、数学者にこれからなりたいな、

と考えている単なる多趣味さんです。^^

 

 

 

さて、「趣味」というと、だいたいの人は仕事以下、

仕事未満、仕事になりきれない時間の無駄、何が

おいしいの? という感じ。

 

 

 

趣味を表示するのは第五ハウスですけれども、

最近「趣味」についていろいろ考えますね。

 

 

 

私は本当に遊び人で、しかも「飽き性」なので

一つの趣味だけに固定できません💦

 

 

本も多読で、科学と宗教と心理学系に関心が

高いため、そうした本を雑食するし、昔から

「これしかない」的な生き方がきゅうくつで

無理なんです。。。^^;

 

 

 

でも、おかげで 「かなり変わった占星術師」に

なれたような気がするし、たぶんこの先も

ちょっと変わった占星術師になっていくでしょう☆彡

 

 

 

その原動力はやっぱり 「多趣味」 です。

 

 

 

多趣味であることが、私をこういう人間にして

くれたのだと思います。

 

 

 

出生のホロスコープで考えると、私は出生の太陽が

第五ハウスにあり、太陽は人生の筋道ですから、

「趣味」が私の人格とキャリアを形成してきた、

と言えるかもしれません。

 

 

 

第五ハウスは、諸説ありますが、日の出の時間を

AM6時としたとき、おおよそ夜20時〜21時までの

2時間程度を意味します。占星術の意味付けの

源流を考えると、ハウスの意味付けというのは人間の

生活サイクルとも言え、夜の20時〜21時といえば、

現代人の我々にとっても、比較的「楽しく素晴らしい時間」

ではないでしょうか。

 

 

 

昔の舞踏会や社交界なども、このくらいの時間から始まり

楽しく深夜まで過ごしたようですし、第五〜第四ハウスに

かけての4時間は、趣味と憩いに一番楽しいタイミングです。

 

 

 

第六ハウスはどうなんだ、というご意見もあるでしょう。

もちろん、第六ハウスも18時〜19時くらいを示すので、

会社が終わってさぁメシだ。いっぱいやろう! なんていう

楽しい時間帯。

 

 

だから「労働」という意味はちょっと面白いというか、

さぁ労働が終わったぞ! 今日も頑張ったぞ! という

時間なので、本来はもう少し憩い的な意味でもいいんで

しょうが、家畜を示すのも第六ハウスですから、考えて

みれば家畜を小屋に誘導して農機具を片付けて、の時間ですね。

 

 

 

 

冬であればもっと第七ハウスの時間になるでしょうが。。。

 

 

 

 

さて、占星術思想の根底にあるのがキリスト教

密教であるグノーシス派の教え。

 

 

 

 

このグノーシスという哲学傾向の人々は、あの世

こそを実相、真実の世界であり、現世はどれも

真実ではないという、徹底した禁欲主義、反出生主義、

現世を捨て欲望を否定する宗派であります。

 

 

 

私は昔から、 「どうして第八ハウスがあんなに

ひどい(死)という意味なんだろう」 と考えて

きました。第八ハウスは時間で言うと、14時〜15時

にあたり、それくらいの時間ってけっこう素晴らしい

時間帯ですよね。。。

 

 

 

カフェでお茶したり買い物したり。

 

 

 

 

私は子供のころ、伊豆の海辺に住んでいたので

夏休みは毎日のように海水浴をしていましたが、

あの燃えるような、焼け付くような太陽が傾いて、

そろそろ帰ろうか、と、浜から人が引き上げてゆく

あの時間帯の、なんとも美しくもさびしい気持ちを

思い出してしまいます。

 

 

 

まだまだ明るいし、太陽も高い。

 

 

 

でも、なんだかきゅんと寂しい。

 

 

 

 

今でも14時〜15時頃って、夕方とはまた

違う、栄耀栄華の中にある寂しさというか、

まだまだ日が高いはずなのにちょっと静かになる、

という、あの感じが不思議だなぁ、と感じますね。

 

 

 

そこが過ぎるといよいよ日没。第七ハウスです。

 

 

 

 

でも、14時〜15時の、本来ならティータイム、

美味しいお茶とお茶菓子で一息ついている

ハッピーアワーが、 「死」 なんでしょうか。。。

 

 

 

ずーーっと 「違和感だなぁ💦」 と

思っていましたが。。。

 

 

 

 

が、ここがわからないのは、グノーシスの

人々の考えが理解できない場合だと、のちに

知りました。

 

 

 

グノーシス派の 「徹底した現世嫌悪」でホロスコープ

を眺めれば、第八ハウスは日没——、つまり、「あの世」

に入る手前であり、それは非グノーシス的である私たち

から見れば「死」という恐怖であるが、グノーシスの人々

にとっては「やっとあの世に帰れる!!」という、狂喜乱舞の、

狂おしい大喜びの時間なのですね。

 

 

 

 

だから、「第八ハウス怖い」というのは、とんちんかん

なのです。グノーシス派から見れば——。

 

 

 

やっと死ねる、霊界に帰れる! もう現世など

観たくもない、おぞましい! 

 

 

 

そういう感覚だから、グノーシスにとって第八ハウス

は大変な喜び、わくわくのクライマックス。

私の夏休みの海水浴と同じ感覚です。

15時頃に帰り支度をして、アイスを食べて帰る。

あの、少女時代の楽しい夏休みと、第八ハウスが

リンクして、グノーシス派の本当の価値観に

胸が躍りました。

 

 

 

だから、私にとって第八ハウスはイヤなハウス

ではありませんし、今はもう51歳になり、ちょうど

第八ハウスぐらいの人生時間でしょうね。。。

 

 

 

私は今、自分の人生の日没手前が、多くの趣味に

彩られ、楽しみで仕方がありません。^^

 

 

 

そういう考え方になれれば、第八ハウスの「死」も、

第四ハウスの「墓」という意味も、むしろすべて

感謝と喜びの象徴にしか見えなくなってくる。

 

 

 

そして夕暮れになり、太陽が沈み、第六ハウスに

なると魂は休息し、義務を捨て去り、楽しい第五ハウス

で神々との宴会をし、第四ハウスで眠りにつき、

第三ハウスで霊界の充電を受け、第二ハウスで再び

生まれる霊的潜在力をチャージして、第一ハウスで肉体を得、

アセンダントで生まれて第十二ハウスで「ああ、また

生まれてしまった!」 と、解脱できなかったことを

悔やむ——。

 

 

 

そのように考えると、実は徹底した厭世観に

占星術自体が貫かれているのでは、と感じます。

 

 

 

 

そのように考えないと、第十二ハウスって本来なら

朝の6時〜7時ですから、私たちの生活で考えれば、

朝ごはんを食べて、よしやるぞ!と、仕事や

通学に向かう時間ですね。もう少し楽しい意味でも

いいはずではないですか。

 

 

 

 

でも第十二ハウスは「1日の義務の始まり」であり、だから

こそグノーシスには元気でも楽しくもなく、監禁、拘束、

不自由、刑務所という意味なのだろうと思います。

 

 

 

そのように考えると、占星学は「夜」の側の

ハウスに思想的な重大な皮肉を込めているのが

わかるのではないでしょうか。

 

 

 

第五ハウスが「趣味・遊び・恋愛」という

生産性のまったくないハウスでありながら、

実はこれらは人の生きる意味です。

 

 

 

そういう意味で私は、職業や勢いは第五ハウス

なんじゃないかなと思うし、趣味が多い人ほど

幸福な晩年になりやすいと感じます。人間は

遊ぶために生まれてきた、ということなのかも

知れません。

 

 

 

サクシ―デントハウス(2、5、8、11)は

すべて、カネ、趣味、社交、道楽を示しますが、

大事なのはその裏にあるグノーシス思想ではないかと。

 

 

 

つまり「成功」を夢見て大いに遊べ、ということですが、

その「成功」とは金銭や地位名誉ではなく——。

精神の成功者になれ、そのために遊べ、学べ、

真実の成功は霊界の鋳型の中に——。夜の世界こそが

本当にすばらしい、最高の宝の蔵である。

 

 

 

占星術とはそのような、徹底した現世否定から

生まれた人間の実相の哲学なのかも知れません。

 

 

 

(終)