滋賀県米原市から、県境を越え、岐阜県関ヶ原町に入りました。

 

 

 上画像は「車返しの坂」。

 

 『木曽路名所圖會』によれば、

 

 車返坂 長久寺の東二町許にあり。少しき坂なり。これより今須へ六町あり

 

 

 葺きかへて月こそもれぬ板庇とく住みあらせ不破の関守

斯く讀ませられ、御車を返し給ふといふ俚諺あり。

 

 

 地元関ヶ原町の案内板によれば、二条義基公がこの坂道をで引き返してしまったという伝説から呼ばれるようになった地名のようです。
 

 

 さて、坂を下り、

 

 

今須の集落に入っていきます。

 

 

「永代常夜灯」は文化5年(1808)に京都の問屋河内屋が今須宿で荷物を無くし、

 

 

金比羅神に祈願すると見つかった事から、御礼として建立したもの。

 

 

 また、問屋場(山崎家)は、

 

 

中山道の美濃16宿の中では現存する唯一のもの。

 

 

 かつては、宿役人が、公用旅行者のための人足・馬・宿泊所の手配や、幕府の書状を運ぶ飛脚の管理などを行っていたそうです。

 

 

 さて、今須宿を抜けると、

 

 

今須ポケットパークで、

 

 

「一里塚跡 今須宿」の石碑がありました。

 

 大田南畝『壬戌紀行』によれば、

 

 一里塚をへて坂を上る

 

ということで、坂を上ると、

 

 

200m程で「今須峠」。

 

 

坂を下り、関ヶ原宿山中に向かいました。

 

*『蜀山人全集 巻一』(吉川弘文館、1907年)