そもそも魅力的な異性に惹かれる時の恋とか愛とか、美しいものなんだろうか?尊いものなんだろうか?
アリが砂糖に群がるのと何が違うのだろう?
カラスがゴミ袋を漁るのと何が違うのだろう?
黒崎が最低で、水谷が最低で、そいつらに狂ってしまう十和子がダメダメなのはわかりやすい。
問題は陣治だ。
なにゆえに十和子に執着してるかが問題だ。
映画ではそこがわからない。
十和子が綺麗で若くて魅力的だからなのか?
だとすれば、相手に惹かれる動機は、黒崎、水谷、十和子と同じだ。
違いは、ただただ快楽をむさぼるだけか、自分を犠牲にするかだけなんだけど。
自分を犠牲にして相手に尽くすという意味では、十和子だって十分に黒崎、水谷に尽くしてる。
上っ面の魅力に惑わされて自分を破滅させてしまう十和子が愚かだとすれば、
陣治と何が違うのか?
十和子の上っ面の魅力に惑わされて最後は究極のところまでいってしまう。
陣治も十分に愚かではないか?
愛する人のために自分を犠牲にするのは愚かではなく尊いことだというならば、
十和子こそがそうではないか?
実は陣治は十和子と同じなのではないか?
十和子が愚かならば陣治も愚かだし、
陣治が一途だとすれば十和子も一途。
違いは十和子が綺麗で陣治が汚いだけだ。
陣治の愛が魅力的な女に向けたものではなく、
たとえば自分の娘に対するものだとすれば、無償の愛として感動しきれたかもしれない。
この展開では、一瞬感動して涙を流したとしても、ちょっと経ったら、
「あれ?待てよ?なんだこれ?」と思い直してしまうのだ。
「共感度0、不快度100%」というキャッチフレーズ。
白石監督の「共感できる映画が良い映画というのはおかしい。共感できない映画をつくる」というスタンスは素晴らしいとおもうが、
最後の最後に観る側に媚びを売って共感できるようなエンディングにしてしまっている。
最後まで徹底して、十和子が再度またダメ男に惹かれて元に戻ってしまうエンディングならば
陣治がやったことは十和子と変わらないこともはっきりし、本当に共感度0%になり、手放しで名作だと称賛したのだが。