おかラボ主宰「米乃花」松田由己のブログ

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東京都台東区谷中にある「全生庵」というお寺では
毎年8 月の1か月間「幽霊画展」を開催しております。
こちらの内容詳細に関しましては、全生庵さまのHPや
ファンの方の記事、またメディアでも多く取り上げられていますので
そちらを参考にされてくださいね。

私は、というと…今年ももちろん観て来ましたよ。
ファン歴はまだ8年程度なのですが
これもまた、毎年楽しみにお伺いしております。


昨年と同様、今年も隅田川馬石師匠の「怪談 牡丹灯籠」より「お露新三郎」
これまた「ああっもう!こんなに良いところで…!」というところで終わってしまうのですが
(何しろ30分しかないので)

うーん、その30分の中に、とてもとても考えさせられる場面がたくさんあったわけです。
現代風に内容をお伝えしましょう。


新三郎は、お金には困らない生活をしている。
この男は、人を使う才能もないし、行動派でも肉体派でもない
ウブでシャイで、しかし女性に見まごうような美しい、やさおとこ
別段性格が悪いわけでもなく、世の中というものを知らない分余計にまっすぐで純粋な若者。

そこへ医師の山本志丈というものが、気鬱になっていた彼を連れ出し、とあるお屋敷へ
そこで出会ったお露と新三郎は、あっという間に恋に落ちる

2人ともウブで世間知らずなので
お互いにもう「これが最初で最後の恋」だと思ってしまうのだ

困ったのは、こんなことになるとは思わなかった山本志丈

2人の恋のなれそめに関わってしまったとはいえ
このままではお露の父である平左衛門になんと咎められるかわからない
ほとぼりが冷めるまで、新三郎の屋敷に顔を出さず
2人を引き合わすのはやめよう、と
この後、とんと顔を出さなくなってしまった

しかしそんな思惑とは知らず
2人はもう逢いたい逢いたい、何があったのか、なぜ逢いに来て下さらぬのか
もしかしたら心変わりしてしまったのか、
悶々と考えながら、お露はなんと焦がれ死にしてしまう

彼女にいつも寄り添っていた忠義者のお側使いのお米も
まもなく後を追うように死んでしまう

その後、その夏の盆の入り
蒸し暑い夜に、縁側で涼んでいると

カラーン、コローン
カラーン、コローン…と

下駄の音とともに
牡丹灯籠の灯りの中、青白く美しいお露の顔が浮かび上がるのだ


ここまでで、前半終了
色々と思うところはあるのですが

「必ず連絡してね」
「もちろん、必ずまた逢いに来ます」

と約束を交わしたのに
待てど暮らせど彼からの連絡はなく

それこそ現代でいうなれば
スマホも持っていない相手と「次の約束」をするようなものである。

最初の頃はそれこそ
「何かあったのかな」
「もしや事故にでもあったのでは」
と、心配もすれど、時間の経過とともに
「どうしても事情があるのなら、お使いのものくらい来させても良いのに」

そして最後には
「ああなぜ、自分をこんなに苦しめるのか?」
「こんなことなら逢わなければよかった」
「自分だけこんなに苦しんで、彼は今頃他の女と笑っているのではないか」

愛情は、次第に憎しみに代わってゆくのではないか?

これを人は「執着」と呼び
仏教の教えはでは昔から、苦しみから解放されるには執着をなくすこと、を根底としています
※よければこちらも「倒して置く8本の柱」

この「執着」のために、お露はついには死んでしまう。

そのせいだろうか?
全生庵に展示してある幽霊画「怪談牡丹灯籠図」/尾形月耕

お露さんは全く、美しくない。
愛しい男に逢いにゆく、という趣ではないのだ。
死んでまでも、逢いに行きたいオトコ
もしかしたら、自分を裏切って心変わりしたのかもしれない
こんなに待っていたのに…
私を見捨てたのかもしれない、愛しい男に
「今から逢いに行く」そんな表情ではないのだ。

あなたには、逢いたくて逢いたくて
日常生活もままならなくなってしまうほどの
愛しい人が、おられますか?

ついにはこの世に生を失ってまでも
逢いに行きたい、そんな人がおられますか?

階級や身分、御家柄といったことに縛られた
世間知らずで純粋な若い男女が、周りの大人の思惑に振り回された上の悲劇

噺家の言葉だけで、想像される世界観と
限られた色味で技法を尽くして描かれた世界観


それが「落語/怪談」の魅力であり
「幽霊画」の魅力であり


私を魅了して離さないものでもあります。


さて、一気に書いてしまいました
後半もまた、時間が許す時にでも