児童館のこと。 | 黄昏新婚夫婦の切ない遠距離生活

児童館のこと。

日本の話、その9。
児童館というものがあるのを聞いて、何となく行ってみたが、はっきり言って、かなり驚いた。
(それにしても、久しぶりに日本に帰って来ると、驚く事ばかりだ)
こんな画期的な所があるなんて、素晴らしい~!と思った。
その地域の育児を応援するというか、住宅事情で、思いっきり子どもを遊ばせてあげられない親の気持ちを、何とも上手にサポートしてくれているというか、
「うわぁ~!凄い!」
と、感動した。
しかも、登録するだけで全て無料。
各種ゲームなどの貸し出しもあるし、夏休みだったので、イヴェントなども盛りだくさん。
家の中で、うろうろされるよりも、こういう所で遊んでくれると実に助かる。
知らない子ども同士でも、仲良くなれるし、地元なので、知っている顔もたくさん。
学校以外で、近所にこういう場所があるというのは、何とも心強い。
子どもも大喜びだ。
大人にとっても、それは同じ。
食事やスナックが食べられる「部屋」もあるので、地元の友人と会う時は、お弁当を持参して、一日中、子どもを自由に遊ばせ乍ら、話にも夢中になれた。
子連れの場合は、レストランに行くのも大変だ。
それが、児童館では、時間制限もないし、安心して子どもをフリーレインジにしておく事ができる。
親も子どもも、充実した時間を過ごす事ができるのだ。
私の実家がある町田市は、福祉にもとっても力を入れているらしく、
こういう児童館はかなりある、と聞いた。
私がよく利用したのは、「ころころ」と「つるっこ
「ころころ」は、昨年長男がお世話になった保育園の隣だったので、
昨年一緒に遊んでもらったお友達とも、感動の再会ができた。
それは、まだ7月の初めで、学校のある頃だったが、
彼は、学校が終わった後は、必ずそこに来ている、と言っていた。
「夏休みになったらね、ボク、毎日朝から、ここにいるよ」
と、ニコニコしていた。
「学童保育」というプログラムに参加しているらしい。
他のお友達やそこの職員たちと一緒に、まるで家族のようにゲームをしたりして、遊んでいた。
「学童保育」は、親が共働きの人が、仕事が終わるまで子どもを預けられるシステムになっている。
そういうシステムがあるのにも、驚いた。
友人にも利用している人たちがいるが、
「これがなかったら、仕事は続けられなかっただろう」
とまで言っていた。
日本では、個人で頼むベイビーシッターは、中々普及しないようだが、こういう団体システムには、抵抗の無い人が多いのかな。
ニューヨークでは、反対なので、その違いも面白いと思った。
確かに、ニューヨークでもベイビーシッター代は高額で、それを払う為に働いているようだという人もいるし、大した差額にならないのならと、仕事を諦める人も多いのだけれど、それでも、ベイビーシッターを雇うのが主流だ。
ニューヨークでは、信頼できる人に、個人的に子どもを頼むのが一番、という考え方だ。
さて、私たちが遊びに通っていた児童館も、小学生は、6時までなら一人で遊びに来てもいいという。
大人なしで元気一杯に遊ぶ子どもたちがいっぱいいた。
無邪気に遊ぶ子どもたちを見ていると、微笑ましく、
「平和だなあ」
と思う反面、「のびのびと育てたい」とか「子どもを信頼しているので」と言った建て前で、
「明らかにこれは、子どもを放ったらかしにしているぞ」
という親が多いのではないか、と疑問に感じたのも事実だ。
子どもを一人にすることに対しても、アメリカとは、考え方がかなり異なる。
子どもの送り迎えに関する考え方と同様だが、
アメリカでは、安全面のことを考えて、かなり厳しい法律になっている。
州によっても違うが、ニューヨークは、13歳までは、自分の家でも、子どもは一人きりになれない。
子どもをおいて、ちょっと買い物に、なんていう事だって、絶対に許されない。
一緒に連れて行くか、ベイビーシッターを雇う(又は、親戚や誰かに頼むなど)。
それを怠ると、親は刑務所行きの可能性だってある。
最初に、児童館へ行った時には、あまりに感動して、
「どうして、こういうものがアメリカには、ないのだろう?」
と、思ったが、そういう考え方の違いから、児童館のような所は、
ニューヨークでは、絶対に流行らないだろう、としばらくすると、やや冷めた気持ちで思う様になった。
だいたい、アメリカの郊外の一戸建てには、子どもが遊ぶのにも充分なスペースがあるわけだから、
他の場所へ、わざわざ行かなくてもいいわけだし。
それにしても、日本は「地域全体」とか「みんなで」と言った、団体の意識が強い社会なのだなあ、とつくづく感じた次第だ。
このような「児童館」だって、地元のコミュニティに守られた家族みたいなもの、と思っている人たちも多いのではないか。
勿論、いい意味でだけれども、子どもを野放しにしていられる程の、平和な日本はもうここにはない現在、そろそろそんなこと言って「人任せ」にしていないで、個人レヴェルで子どもを守ることを考えようよ、と提案したくなってくる。
児童館は、それはそれは、地域の人たちに貢献しており、今となっては、なくてはならない存在なのだと思うが、その裏には、やはりもう少し慎重に考えないといけない部分もあると思う。
アメリカにも日本にも、理想的な世界は、どこを探しても存在しない、という事実が悲しいところだ。

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私が通った中学校が移転の為に昔あった所からは、姿を消していた。
ちょっと寂しい気もしたが、このような「児童館」ができていたので、多いに利用させてもらった。
まだ新しいせいもあって、とってもきれいで設備も整っている。
イヴェントも盛りだくさんだし、全て無料。
小さい子どもがいる地元の人たちにとっては、とってもありがたいものだ。
この体育館は、大きいお兄ちゃん用。思いっきり走ったり、ボールを蹴ったりしても、
怒られないのが嬉しい!


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貸し出しのあるゲームなどで、端の方で遊ぶ子どももいた。
人見知りをしない次男は、すぐ仲間に入れてもらって一緒に遊んでいた。
子どもを遊ばせて昼寝をしているお父さんの姿も。


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こちらは、2階にある、乳児コーナー。
奥の部屋には、クリブもあって、子どもを寝かしつけたり、授乳もできるようになっている。
ここは、小さい子どもたちが静かに遊べるように、小学生以上の子どもは立ち入り禁止。


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更に、グランドピアノで、ピアノの練習ができたり、
防音の効くスタジオもあって、ドラムなども練習できる。その部屋の名前は「ゆめ/みらい」
住宅事情で中々やりたいことができない子どもにとっても、
まさしくそこは「ゆめ/みらい」が広がる世界だ。