スヘーフェニンゲン
〓先週の金曜日の 「タモリ倶楽部」 でですね、
“イヤラシ地名”
の特集をやってました。“イヤラシ地名” ってえのは、まあ、「スケベニンゲン」 とか 「キンタマーニ」 とか 「エロマンガ島」 のタグイですね。ご存じのスジは、毎度オナジミの話題でござんしょう。
〓この “イヤラシ地名”、どうも、アッシの腑 (ふ) には落ちんのです
〓日ごろの “些末 (さまつ) な言語問題” が、常に、脳裡 (のうり) から離れない “にれのや” としましては、この “イヤラシ地名” のユルサが、どうも許せないんですね。
〓たとえばですよ、“イヤラシ地名” の代表とも言える
スケベニンゲン
ですが、コイツの現地の発音は、
Scheveningen [ 'sxe:fənɪŋə(n) ] [ ス ' へーフェニケ゚(ン) ]
ですよ。語末の -n は落ちることがあります。落とさずに発音しても 「スヘーフェニゲン」 で 「スケベニンゲン」 とはほど遠いのです。
〓「スヘーフェニンゲン」 は、オランダのデン・ハーグ市の8つの区のうちのひとつで、海沿いの海水浴場のある区です。
〓古くは、 Scheven “スヘーフェン” (古い発音は “スケーヴェン” だろう) という一族が治めていたらしく、1284年に、
terram de Sceveninghe [ ' テッラム デー スケーヴェニンゲ ]
「スケーヴェニング (スケーヴェン族) の土地を」
とあるのが最初の記録らしい。ただし、これは中世ラテン語です。 Sceveninghe が奪格だとすると、主格形は、
Scevening [ ス ' ケーヴェニング ]
だろうと推測できます。
〓ゲルマン語における -ing というのは、「民族名、部族名」 をつくる接尾辞です。
Viking 「ヴァイキング」
← Víkingr [ ' ヴィーキングル ] 古ノルド語 ← vík 「湾、入り江」 古ノルド語
Carolings 「カロリング朝」
← Carolingī [ カロ ' りンギー ] 中世ラテン語 ← Carolus Martellus 「カルル・マルテル」
※ Carolus は、ゲルマン人の名前 Carl (Karl) のラテン語形。
つまり、「カロリング朝」 とは、「カールの末裔による王朝」 ということ。
〓 -ingen に終わるドイツの地名、 -inge(n) に終わるオランダの地名、あるいは、 -aing, -ange, -gnée に終わるフランス語化したベルギーの地名は、同じく、「~族」 という言い方から来ています。
Thüringen 「テューリンゲン」
← Thuringii [ トゥー ' リンギイ ] 「トゥーリング族」。ラテン語複数形
〓オランダでも、北方のフリースラント Friesland の人たちの話すコトバは、フリジア語と言い、この土地の人たちの姓は、 -inga で終わることが多いようです。これは、 -inge に終わる地名に対する、その土地の出身者の姓のようで、たとえば、
Huizinga [ 'hœyzɪŋxa: ] [ ' ホイズィンはー ]
※ヨーハン・ホイジンガ Johan ~ はオランダの歴史学者。
本来は、「ホイジンハー」 と読む。
などという姓が有名です。これは、 huis [ ホイス ] 「家」 という普通名詞から派生したもので、 Huizinge 「ホイジンゲ」 という土地の出身者が名乗ります。
〓まあ、そんなワケで、「スヘーフェニンゲン」 というのは、おそらく、
スヘーフェン (スケーヴェン) 一族の土地
という意味でしょう。
〓 Scheven という地名は、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州にも同名の村があります。位置はベルギーとの国境付近です。
〓この Scheven という地名・姓については、
scavan 古サクソン語、 scaban 古フランク語・古高地ドイツ語、 scāven 中期オランダ語
「引っかく、削り取る」 (英語の to shave)
schēve 中期低地ドイツ語・中期オランダ語 「平坦な斜面」
が語源と考えられるでしょう。そのような土地の呼び名であったかもしれません。
【 “ヤキマンコ” という地名 】
〓ってなことで、またも、前置きが長くなりました。
〓同じく、先週の金曜日の 「タモリ倶楽部」 には、モスクワの
ヤキマンコ通り
も登場しました。しかし、これ、TVに登場するのは、二度目ですね。
〓2002年11月4日、まだ深夜枠だった 『トリビアの泉』 で、
モスクワには 「ヤキマンコ」 という地名がある
というトリビアが紹介されました。「74へぇ~」 を取っている。ロシアのことには多少うるさい “にれのや” も、これを聞いたときにはイスからズリ落ちました
〓『トリビアの泉』 では、実際、その通りでロシア人に発音してもらった映像も放送されました。なるほど、ロシア人は、みな、
「ィイキマヌカ」
と発音していました。
〓しかしね、フジテレビは、ここでチョイとサバを読んだんですよ。まあ、一般の日本人にナマのロシア語を聞かせるんだから、ゴニョゴニョッとゴマカせば、オモシロイのがヒトネタできる、と踏んだんでしょう。
〓ロシア語では、
Якиманка Jakimanka [ jɪki'mankə ] [ ィイキ ' マヌカ ] 「ヤキマンカ通り」
なんです。文字をそのままカタカナに置き換えるなら 「ヤキマンカ」。実際の発音は、「イキマヌカ」 もしくは 「イェキマヌカ」 という感じです。語頭の Я ja は、母音の質が少し変わって、「イェ」 に近い 「イィ」 になります。
〓つまり、実際には、“イヤラシ地名” としてはパンチに欠けてるんですね。あまりイヤラシくない。
【 “ヤキマンカ” って何だ? 】
〓「ヤキマンカ」 という単語は、ロシア語として、いささか不自然な単語です。スラヴ語らしくない、というわけではないけれど、どことなく異質な感じがする。そこで、語源を調べました。
〓すると、この地名を 「ヤキマンコ呼ばわり」 するのは、大いに不敬であることがわかりました。なんと、
聖母マリヤの両親の名前を合体させたもの
なんです。
〓日本の “ロシア正教会” では、「聖母マリヤ」 という呼び方をしません。「生神女マリヤ」 (せいしんじょ~) と呼びます。ロシア語では Богородица Bogoroditsa [ バガ ' ローヂッツァ ] (神の一族の女)。
〓その 「生神女マリヤ」 の両親の名前が、
17世紀末、ロシアのイコン。“イオアキームとアンナの出会い”。
聖ヨアキム (父親) と聖アンナ (母親)
なのです。
〓この2人は、実は 『聖書』 には出てきません。新約聖書外典 『ヤコブ (による) 原福音』 などに登場します。なので、「聖書辞典」 のたぐいを引いても出ていないことがあります。
〓「聖人カレンダー」 というページから引用させていただきます。
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ヨアキムとアンナは、聖母マリアの両親と伝えられ、その生涯は、外典 「ヤコブ原福音書」 (2世紀) に述べられている。それによると、ヨアキムはナザレトで生まれ、アンナと結婚したが、長い間子どもに恵まれず、子どもが授かるように神に祈りをささげていた。アンナは40歳のころにマリアを産み、マリアを女性として申し分なく教育した。ヨアキムとアンナはイエスが誕生したときまで生きていたといわれる。アンナは、ブルターニュの守護の聖人とされている。レオナルド・ダ・ヴィンチによるアンナの聖画はルーブル美術館に保存されている。
http://www.pauline.or.jp/calendariosanti/gen_saint365.php?id=072601
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〓モスクワの “大ヤキマンカ通り” の13番地 (улица Большая Якиманка, 13) には、
церковь Иоакима и Анны
tserkofʼ Ioakima i Anny
[ ' ツェールカフィ イヤア ' キーマ イ ' アンヌィ ]
「イオアキームとアンナの教会」
がありました。つまり、「マリアの両親」 の名を冠した教会です。
1882年 (明治15年) に撮影された “イオアキームとアンナの教会”。手前が 「大ヤキマンカ通り」。
〓ロシア人の名前は、多くが 「東方正教会」 の言語であるギリシャ語から採り入れられました。しかし、母音連続が多いとか、本来のロシア語にない [ θ ], [ f ] などの音が頻出するため、多くは、訛り (なまり) を生じて、「民衆形」 が生まれました。つまり、ガクのない農民などは、ギリシャ語式の発音なんぞできないので、ロシア語風に音を変えてしまったんです。
〓教会暦では、ギリシャ語に準じた語形を基本とはしているものの、「民衆形」 が採り入れられていることもあります。たとえば、
Иван Ivan [ イ ' ヴァン ] 「イヴァン、イワン」
の本来の語形は、
Иоанн Ioan [ イオ ' アン ] 「イオアン」
※ギリシャ語形 Ἰωάννης Iōannēs [ イオー ' アンネース ]。
日本語で言う 「ヨハネ」、英語の John にあたる。
ロシア語は、 i-o-a という母音連続の o が子音 [ v ] に変じた。
ですが、現在では、民衆形の Иван 「イヴァン」 を使うのが普通です。
〓マリアの父親、 Иоаким Ioakim 「イオアキーム」 というのは、ギリシャ語の
Ἰωακείμ Ioakim [ イオア ' キーム ] 「ヨアキーム」
の転写形です。古典ギリシャ語を学んだ人は 「イオーアケイム」 じゃないかと思うかもしれませんが、ビザンチン時代には、現代ギリシャ語のように発音されていました。
〓この名前は、語頭で母音が3つ続くために、ロシアでは次のような音変化を起こしました。
Иоаким Ioakim [ イヨア ' キーム ]
↓
Иаким Iakim [ イヤ ' キーム ]
↓
Яким Jakim [ ヤ ' キーム ]
〓現代ロシア語では、「イキーム」 [ jɪ'kim ] のような発音になります。
〓つまり、ロシア正教会が、正式に 「聖ヨアキム」 の名を呼ぶときは、
Иоаким Ioakim 「イオアキーム」
ですが、一般民衆は、
Яким Jakim 「ヤキーム」
と呼んでいたんです。まあ、「えびすさま」 が 「えべっさん」 になる感じでしょうか。
〓いっぽう、
Анна Anna [ ' アンナ ] 「アンナ」
という名前は、ロシア人でも問題なく発音できました。
〓ただ、聖アンナを呼ぶときは、愛称を使って、
Анка Anka [ ' アヌカ ] 「アンカ、アンナさん」
と呼び習わしたようです。
〓 -ка -ka [ -カ ] というのは、愛称をつくる接尾辞。「チェブラーシカの名前の由来」 のときに説明しましたね。
〓女性、子供の名前に付けると 「かわいらしい愛称」 になりますが、「成人男性」 に付けると 「侮蔑的」 になります。親か、幼なじみでもなければ使えません。だから、「ヤキーム」 には付きません。
〓この2人の名前をつなぎ合わせると、
Яким- + -анка → Якиманка
Jakim- + -anka → Jakimanka
[ イ ' キーム ] + [ ' アヌカ ] → [ イキ ' マヌカ ]
「ヤキーム」 + 「アンカ」 → 「ヤキマンカ」
となるワケです。これは民衆的な語形で、正式には、
Иоакимоаннинская церковь
Ioakimoanninskaja tserkofʼ
[ イオア ˌ キーマ ' アンニヌスカヤ ' ツェールカフィ ]
という舌のツリそうな名前でした。
〓この 「イオアキームとアンナの教会」 の付近には、
улица Большая Якиманка
ulitsa bolʼshaja Jakimanka
[ ' ウーりッツァ バリ ' しゃーヤ イィキ ' マヌカ ]
「大ヤキマンカ通り」
улица Малая Якиманка
ulitsa Malaja Jakimanka
[ ' ウーりッツァ ' マーらヤ イィキ ' マヌカ ]
「小ヤキマンカ通り」
Якиманский переулок
Jakimanskij pjerjeulok
[ イィキ ' マヌスキイ ピェリェ ' ウーらク ]
「ヤキマンカ横丁」
Якиманский проезд
Jakimanskij projest
[ イィキ ' マヌスキイ プラ ' イェースト ]
「ヤキマンスキイ・バイパス」
Якиманская набережная
Jakimanskaja nabjerjezhnaja
[ イィキ ' マヌスカヤ ' ナービェリェじナヤ ]
「ヤキマンカ河岸通り」
もあります。
〓さあて、モスクワに行った際には、「イオアキームとアンナの教会」 を見てみよう、というヒトがいるかもしれません。しかし、残念なことに、この教会は現存しないのです。
〓この教会の名前が、初めて文書に現れたのは 1493年 (室町時代) です。おそらく、木造建築であったのでしょう。1684~86年 (江戸時代) に立派な石造建築に建て替えられています。そのようすは写真で見ることができます。
〓多少とも、ソ連邦の歴史を勉強したヒトならば、ソヴィエト政権が宗教を否定しており、多くの教会を破壊したことを知っているでしょう。
〓庶民に “ヤキマンカ” として親しまれていた教会は、1939年 (昭和14年)、閉鎖されました。
〓1924年、レーニンが死去。スターリンの独裁が始まります。1928年 (昭和3年) から、強制的な集団農場化が始まり、ウクライナで大飢饉が発生します。1930年代は粛正の嵐が吹き荒れ、1939年には、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、ここに第二次世界大戦が勃発します。スターリンは、ドイツと不可侵条約を結んでいました。
〓「イオアキームとアンナの教会」 は、それでも、モスクワの街に残っていました。この教会がなくなったのは、1969年 (昭和44年) 12月です。どうやら、「大ヤキマンカ通り」 を拡張し、バイパスを建設するのにジャマになったのが原因らしいのですが、ソヴィエト政府は、この歴史ある教会を “爆破” したんだそうです。
〓今や、“ヤキマンカ” という教会は、通りにしか名前が残っていない “幻の教会” なんですね。
1969年まで、“イオアキームとアンナの教会” があった位置。「大ヤキマンカ通り 13番」。
A の位置が教会のあったところ。空き地になっているのがわかる。
地図を見ると、「大ヤキマンカ通り」 を拡張するにあたって、教会のある場所で、
本来の 「大ヤキマンカ通り」 からそれるかたちで、「ヤキマンスキイ・バイパス」 が
整備されたことがわかる。
現在では、「大ヤキマンカ通り」 は、教会のあった位置で У字 に分岐するかたちになっている。
分岐した 「大ヤキマンカ通り」 の幅を見れば、「ヤキマンスキイ・バイパス」 が
どれほど周辺の建物を撤去して拡幅されたかがわかる。
おそらく、教会の建物があった地点は、現在の 「ヤキマンスキイ・バイパス」 の路面の一部なのだろう。