こんばんは。


旅記事の続きを
書こうとしましたが……


思う事ありで、
違う内容を書きます。





ビックリしたのですが
坂上忍さんって
1番最初に飼っていた犬は


コーギーだった事です。


アメトピに上がっていたのが
こちらの内容でした。







坂上さんが24歳の時に
ペットショップで
売れ残りのコーギーを
半額で買うのですが……



仕事の付き合いと称して
毎晩の様に呑み歩き、
家を空けて、


コーギーの『ヒット』を
構う事をしていませんでした。



40歳過ぎて
現在いる11頭の犬の内の
最初に迎えたチワワを
再び、飼い始めました。



コーギーのヒットは
坂上さんが放置している間に



壁を壊して血だらけになり
自傷行為、



ストレスからの脱毛症。


(多分、嘔吐や下痢もあったかと
推測しますが)



結局、飼いきれないと
ヒットの事を
他人に譲渡します。



それから譲渡先から
ヒットが亡くなったとの知らせが
坂上さんのもとへ入ります。



それから7年……
今の11頭の内の最初の犬を
再び、飼い始めます。



コーギーのヒットへの
『贖罪』だと言いますが
新しい犬を飼う事は
贖罪でもなんでもありません。



ザッと計算すると
9年間は
ヒットと暮らしていた事になります。



何でこんな長い年月
寂しい思いを
させたままだったのだろうか?



[また犬を飼う事を許してくれ]と
ヒットに、心から語りかけますが


私としては……
たった7年で


すぐ新しい犬を飼うのは
短すぎると思います。



もっと短すぎる期間で
すぐ次の犬を飼う人間は
Ameba内にも
たくさん居ますけれどね。



飼い主の様々な過ちや
防げたはずの不注意で


愛犬を死に追いやった飼い主さんも
すぐ新しい犬を飼います。


まさに贖罪として
[次の犬を幸せに]と言います。



【次】とか【今度】とか
命には無いのだ。


同じ命は1つとして無いし。



次の犬で
プラマイゼロとか?
罪ほろぼしとか?
それは単なる【自己満足】に
すぎません。
※しかも人間サイドだけの。



何度となく
私はブログに書いていますけど、



謝るとか、
許してもらうとか



それは相手が
【生きてる内にしか有効ではない】です。



死んでから
どんなに謝っても
罪ほろぼししても、


相手が許してくれるかどうか?
一生、判らないままなのです。



前の仔で果たせなかった事を
今の仔に……



それは人間のエゴでしか
ありません。



空の上で見守ってくれてるのは
本当に幸せにしてあげられていたら。
……の話です。



こちらもトピに上がっていた
あるブログの内容からですが、



【飼い犬が死ぬ時
   飼い主に感謝をしていたら
お腹を向けて  死ぬよ】


【逆に、飼い主を嫌っていたなら
  愛犬は背中を向けて死ぬの】


※    ー元の内容ー

       犬というのは       
好きな人や、恩のある人のほうに
       自然と   お腹を向けて      
        死ぬものなの。


        嫌いだったら背を向ける。


お腹を向けていたなら
    この世の最期まで
        飼い主の事が大好きだった証。


坂上さんのヒットは
最期の最期、
どういう姿で
亡くなったのだろうか?







そして、もう1つ。



通りすがりの
コメント欄で読んだ事と
合わせて書きます。



よく愛犬が亡くなった方が
なかなか、
夢に出てきてくれない、と
言います。


中には、
[夢になんか出てこなくていい]と
開き直りな事を言う方もいます。



あるブログのコメント欄に
こんな事が書いてあり、
なるほどと 思いました。



[あるお寺の住職が言っていました]

[亡くなった人や動物が
夢に出てくるのは成仏した証拠なんだ
言っていましたよ]と。


つまり、
夢に出てこないというのは


この世に遺した何かに
未練や、悔いがあり、
いまだに昇れないという事。


それは、もしかしたら
飼い主が
すぐ次の犬を飼う事が
許せないからなのかもしれません。



飼い犬(愛犬)は
どんな飼い主であろうが



飼い主の事だけを
ただ純粋に
想って
死んでいきます。


だけど人間サイドの
飼い主は
どうなんでしょうか?


亡くなった犬の事だけを想って
生きている人間は
何人いるんでしょうか?
世の中に。



もう、新しい犬、
新しい生活を歩んでいるのでは
ありませんか?



はたして坂上さんのヒットは
夢に出てきてくれたのでしょうか?



そして、
個人的な意見ですが
新しい犬を飼って
過去を埋め合わせするのは
人間だけのエゴだと思っています。


生きてる次の犬にとって
得はあるかもしれませんが


亡くなった犬には
何の得もないからです。