はちまんMatsuiコラム

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一級建築士・一級瓦葺き技能士・宅建士・歴史研究 松井秀夫

ID:yqy414


私は日本を愛しています



私は近江八幡を愛しています



1700年以上の歴史がある

八幡祭の不思議「船木氏」って?

近江八幡の春はズシーンズシーンと腹に響く雄壮な太鼓の響きで始まります。
さて今回八幡祭の不思議と題しますのは、参加の太鼓の中に
御幣が付いている太鼓と付いていない太鼓があるからなのです。
 
   
 
私も若い衆で祭りには参加させて頂いてましたが、「こんなもんだ!」という感覚で不思議とも何とも思っていませんでした。
 
ところが近江八幡も町おこしが叫ばれるようになって、町の特徴を学び始めましたら
この祭りが上之郷(大島郷)と下之郷(船木郷)という2つの組織が連合して行われているという事がわかりまして、へえ~元々は13郷(現在は12郷)の組織だと思っていましたから、連合組織という基本知らずで祭りに参加していた事を大いに恥じたものでございます。
 
ところで、御幣が付いている太鼓と付いていない太鼓があると申しましたが、好き勝手にその様になっているのではなく、
 
御幣が付いていない太鼓は上之郷(大島郷)の太鼓
御幣が付いている太鼓は下之郷(船木郷)の太鼓なのです。
 
私は船木町ですから下之郷(船木郷)になりますが八幡祭に関連しまして日牟禮八幡宮の御祭神であらせられます、応神天皇と母君の神功皇后+船木で調べてみますと・・・驚きました!
明確な歴史的関係が出てくるではありませんか。
 
船木は船木氏のことで
日牟禮八幡宮の御祭神の神功皇后様が三韓征伐にいかれた時に御船を建造し献上されるなど日本の建国時代に活躍した船木氏という豪族の事だったのです。船木氏の事は住吉大社の「住吉大社神代記・船木等本記」に書かれています。
 
関連文献 住吉大社神代記の研究 田中卓著作集7 国書刊行会
     古代氏文集 沖森卓也 佐藤信 矢嶋宗 山川出版
 
(公の船を造られおり本来は舩木が使われてます)
 
船木町生れの船木氏知らず
 
ただ八幡祭に関する事は書かれていませんでした。
そこで近江八幡市図書館にお願いして「船木氏関連の本」を何冊も集めて頂きました。
 
すると、その中に1冊だけ八幡祭に関係する事が書かれたものが発見されたのです。それが
「大和朝廷を支え秋田を拓いた 古代船木氏一族の軌跡 伊藤裕紀 秋田活版印刷株式会社という地域の歴史家が書かれた本でした。
この本の45ページに以下の内容が書かれています。
 
「船木氏一族は日神(太陽)を崇拝しながら、住吉の神と、太陽神をまつる神主であったのである。さらに山から木を切り出す山林技術者でもあったろうし、神功皇后を乗せる船を造った造船技術者であり、航海士でもあり方位測量の技術にも長けていたであろう。そして、これらの技術者を護衛する軍隊ももちろん配下にいた一大技術集団であったと想像できる。
 彼らは、木を切るとき、船を造るとき、船をだすとき、測量するとき等々、なにかを行おうとするごとに祝詞(のりと)をあげ御幣を立てながら神事を執り行って来た一族だった。」(以下略)と
この事から船木氏は「御幣を立てながら神事を執り行う」独自の特徴・スタイルを持っており、その独自性が八幡祭でも反映されて船木郷(4郷)の太鼓には「御幣」が付けられている事が理解されたわけです。
お陰で、これまでの不思議が納得になってしまいました。
 
日牟禮八幡宮の由来を見ますと
「應神天皇六年(二七五)以来、千数百年の時を遡って行われる伝統の祭」とありますから計算すると1700年前からの祭り(神事)ということになります。
本当にそんな古くからあったのか?と思うわけですが
 
応神天皇以前の神功皇后の時代から国づくりに貢献していた船木氏の特徴が、消えることなく、今も尊重(リスペクト)され守り続けられているわけですから、
近江八幡・日牟禮八幡宮の八幡祭は1700年以上に渡る歴史を誇るお祭りであることが立証されてくるわけであります。
 
  
(注:但し現在の様な太鼓が当初から使われていたかについては不明です)
 
船木氏に詳しい関連サイト紹介↓この下をクリック