チャンピオンベルト・ワールド~ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級~ | 団塊Jrのプロレスファン列伝

チャンピオンベルト・ワールド~ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級~

はい!!そういうわけで久々のチャンピオンベルト・ワールドです。


今回はユナイテッド・ナショナル・ヘビー王座、UNヘビーのお話をしていこうと思いますよ~。ではさっそく行ってみましょう!!


えー、UNヘビー。このタイトルは1970年にNWAがカナダ、メキシコ、アメリカの三国でのみ通用する準国際タイトルとして新設したのが起源とされています。ユナイテッド・ナショナルは国際連合という意味らしいので、この場合はカナダ、メキシコ、アメリカの連合のタイトル、といったところだったのかもしれないですね。


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UNは新設当初はNWAなみの価値だった


しかし・・・実はこのタイトルの初期は実は謎だらけなんですね。


まず初代王者。これがデール・ルイスというレスラーと、メキシコのレイ・メンドーザというレスラーと話がふたつあるんですね。


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デール・ルイス


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レイ・メンドーサ


確かにメンドーザが認定されたのは1966年と、デール・ルイスの王座認定時期の1970年8月と比べれば4年もの開きが存在しますが、実はこの66年から70年までの4年間でメンドーザがタイトルマッチを行った記録がないみたいなんですね。これを王座とみなしてないのでルイスが初代なのか?それともタイトルマッチこそなかったとしても認定されたのが先だからメンドーサが初代なのか?といった具合から・・・このような謎がのこってしまったんですかね?


まあとにかく、メンドーサ、ルイスを経ましてパンテラ・ネグラというレスラーがタイトルを保持すると、やっと我々の世代も知ってるレスラーのジョン・トロスが王座につきます。


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ジョン・トロス


ジョン・トロスはボクらが見ていた時代では日本での印象は薄いですが、アントニオ猪木の歴史を振り返るとき必ずUN時代に登場するのでファンにはなじみな存在ですね。それに86年10月、あのアントニオ猪木vsレオン・スピンクス戦ではジャッジとして登場し


「ああーこの人なんだぁ」


とファンに思わせたものでした。


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アントニオ猪木


さて、そんなジョン・トロスがアントニオ猪木からタイトルを奪われたのが71年3月。本拠地ロスのオリンピック・オーデトリアムにて王座移動となりました。


猪木がこのタイトルを取り、日本へベルトを持ち帰ってからはフレッド・ブラッシー、ジャック・ブリスコ、フリッツ・フォン・エリック、ディック・マードックと・・・ファンなら知ってのとおり、数々の名勝負を展開しながらその防衛戦を行ってきましたよね。こうして猪木のUN王座時代は昭和46年の日本プロレス除名事件まで続くわけですが・・・


実はこの時期と同じ頃、ロスマットでは不思議なベルトが登場してタイトル戦が行われていたのです。それは


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んんっ!?


画像はリッパー・コリンズというレスラーらしいですが、そのベルトは・・・これはUNが猪木と共に日本へ渡ったのち、パシフィック・コースト・ヘビー級という名称でロスに出現したタイトルなんだそうです。


画像がよくないのでわかりずらいかもしれませんが、そのプレート部はUNそのもの・・・しかも本来


“UNITED NATIONAL CHAMPION”


と刻印されている部分に、まるで隠してるよ~といわんばかりのあやしいカバーのようなものが見えます。


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上部が何かで隠されていますね


うーん、これは一体どういうことなんでしょうか?UN、実に謎多しタイトルでありますね。


さて、そんな謎も有きタイトルですが、実名のUNの方はアントニオ猪木の日本プロレス除名に伴いまして空位となった結果、72年1月、カナダのバンクーバー・オーデトリアムにて王座決定トーナメントが開催されることになります。このトーナメントにはルーク・グラハム、カウボーイ・ビル・ワット、グレート・ボリス・マレンコなど総勢12名にもおよぶレスラーが参加。2日間に渡り熱き戦いを繰り広げました。


そんな激戦を制し王者についたのがキング・クローというレスラーでありました。


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キング・クロー(チャック・ノリスではありません)


日本ではなじみの薄いレスラーですが、カナダ地区では相当なビッグ・ネームだったらしいです。その証拠を促す話として、キング・クローが初代ダニー・クロファットだったといえばみなさんも納得でしょう。そう、つまり全日本プロレスに来ていたカンナム・エキスプレスのダニー・クロファットは二代目になるそうなんですね。といってもけして血縁などがあるわけではなく、日本でいえばタイガーマスクが何代目というように続いているように、そのネームバリューが大きさから・・・ということになるようです。勉強になりますねぇ~。


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坂口征二


で、その決戦を制したクローから72年2月にUNの本拠地ロスのオリンピック・オーデトリアムで王座を奪取したのが坂口征二です。この坂口の奪取により再びUNは日本へ戻り、ハリー・レイス、ザ・シーク、ジン・キニスキーなどと防衛戦を展開することになります。特に坂口のUNはザ・シークとの攻防が有名だったようですね。


しかし昭和48年3月にジョニー・バレンタインに破れ坂口は王座から転落。またしても本土にベルトが帰るか?と思われましたが、この王座移動にチャンスを掴んだのがバレンタインに挑戦した高千穂明久、のちのグレート・カブキでした。


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高千穂明久


そのタイトル戦、一本目は両者リングアウトで1-1。そして二本目、高千穂はリングアウト勝ちながら2-1で見事大物のバレンタインから王座を奪取したのです。その後、キラー・カール・クラップと防衛戦を行い王座を防衛しますが・・・不幸なことにこの年、日本プロレスは興行を継続できなくなり崩壊。高千穂は破れぬまま王座返上となり、UNは再び空位となってしまうのです。


こうして日本プロレス崩壊後、UNタイトルも共倒れを食らったような状態で埋もれてしまいましたが・・・昭和51年に3年ぶりに馬場さんにより全日本プロレスで復活、王座決定戦が行われることになります。


このとき日本プロレス時代最後の王者の高千穂とジャンボ鶴田が日本代表戦を行い、勝利したジャンボがNWAより代表として来日したジャック・ブリスコと昭和51年8月、東京の日大講堂で決定戦を行い見事勝利。王者になりました。


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ジャンボ鶴田


以後ジャンボはこのベルトと共に全日本ナンバー2として様々な相手と戦いを繰り広げていくことになります。ではジャンボを軸にした王座遍歴を見ていってみましょう。


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ビル・ロビンソン


昭和52年、ジャンボから最初にUNを奪取したのはビル・ロビンソンでした。この頃はロビンソンも全盛期の勢いは正直ありませんでしたが、ジャンボから王座を奪うあたりはさすがですね。ちなみにロビンソンはジャンボが海外でUNタイトルマッチを行った唯一の相手であります。


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ディック・マードック


昭和55年の2月にジャンボより王座を奪取したのはディック・マードック。本気でやればNWAの長期政権も絶対!といつもいわれていたマードックですが、ベルトに縛られるのはゴメンだぜ。おれは試合後のうまいビールが飲みたいだけさ♪といわんばかりだったので、マードックのベルト姿って珍しいですよね。


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アブドーラ・ザ・ブッチャー


同じく昭和55年10月にはアブドーラ・ザ・ブッチャーが王座を奪取。チャンピオン・カーニバル、PWF、インタータッグ、そしてUNとブッチャーも全日本のタイトルには食い込んできますね!ところでとなりの毒蛇マーク・ルーインて腕、太っといなぁ。


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ハリー・レイス


昭和57年にはミスタープロレスことハリー・レイスがジャンボから王座を奪取。いやー、この人は生涯で一体いくつのベルトを腰に巻いたんだろうか?というくらいタイトルホルダーですね。あとで特集してみたいな。


さて、この他にも大木金太郎、ミル・マスカラス、リック・フレアー、ワフー・マクダニエル、ジミー・スヌーカ、ブルーザー・ブロディなど世界の強豪を相手に王座を防衛し、ジャンボはUN時代を築いてきましたが・・・昭和57年の10月にジャンボはインターナショナル選手権へ目標を定め王座を返上することになります。このためUNはまたまた空位となってしまいます。


その後、約一年間の空位のあとテッド・デビアスが王者になり命を吹き返したUNはフリーバーズのマイケル・ヘイズを経て84年2月、ダラスでデビッド・フォン・エリックについに到達します。


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デビッド・フォン・エリック


そのデビッド・フォン・エリックは当時NWA世界王者に最も近いといわれていた存在だったので・・・このUN奪取はまさにNWA世界チャンプへのプレリュードとなるはずだったんですね。しかし天龍とのタイトルマッチを目前に、来日した日本でデビッドは急死してしまいます。


もしあの日、デビッドが急死せず天龍と試合していたら一体どんな流れになったのでしょうか・・・


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天龍源一郎


デビッドの死を受けて急遽リッキー・スティムボートとの間でのUN決定戦となった試合に勝利し王者となった天龍源一郎。しかし納得がいかなかったのか・・・のちに王座は返上。86年のUN王座決定戦で決勝に進みテッド・デビアスに勝利し、晴れて王者となりました。そして88年に三冠ヘビーの布石となるPWFタイトルとの二冠を達成します。


で、その二冠で忘れられないのが昭和63年4月、大阪で行われたブルーザー・ブロディと天龍の試合ですね!ブロディがインター、天龍がPWF、UNをかけたあの戦い・・・この試合は初めて三冠が統一か!?という大きなテーマがありましたが、ボクはあの試合では三冠統一の話よりも、試合中に足を攻撃されずっと劣勢だったブロディが、その痛いはずの足で天龍に見舞ったメガトン・キックが忘れられないのです!!結果、試合は両者リングアウトでしたが、以降の全日本のブームの源があの日の試合にはあったんじゃないかなーなんてボクは思いました。


そんな試合も含め・・・以降、ハンセンに王座を明け渡すまで天龍はUNタイトルをジャンボ鶴田の連続防衛記録13回に次ぐ連続10回防衛という大変な記録で保持しました。ボクらの世代はUNといえば天龍でしたが、これはやはり納得のいった上での代名詞だったと思います。


そして三冠ヘビー級前の最後のUN王者は天龍を下したスタン・ハンセンでした。


しかしそれは悲しみの中での天龍からの二冠の王座奪取となったのです・・・


そうハンセンが天龍を下し王者になったのは88年7月27日。あのブルーザー・ブロディが亡くなったわずか10日後だったのです。王座を奪取後、リング上にベルトを置きブロディ、ブロディとつぶやいたハンセンは一体どんな思いでこの勝利を感じていたのでしょうか・・・


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リング上で涙を・・・


そして・・・89年4月。インターナショナル王者のジャンボ鶴田と、UN、PWFの王者だったハンセンの試合に勝利したジャンボによってついに王座は統一され、3タイトルは三冠ヘビー級となり、UNは長かったシングルタイトルとしての歴史に幕を閉じることになるのです。


ロスの太陽の下、謎のタイトル誕生から初まったひとつのベルト。しかし気がつけば数々の名レスラーの腰に巻かれ、その価値を大きなものにしたユナイテッド・ナショナル・ヘビー級。今は三冠ヘビー級のうちのひとつのベルトという表現で、まるでステーキと一緒に皿に盛られてくるポテトのような扱いで寂しく王者の肩に掛けられるだけになってしまったが・・・このベルトが未来永劫、そんな扱いをされるのをボクは望まない。いつの日か歴史ある偉大なシングルのタイトルとして、また王者の腰に巻かれることをボクは願って止まないのです。