生命(いのち)を輝かせる言葉の森
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熱くなれ、稲盛和夫 魂の瞬間(講談社)

 

 

【講談社さんの稲盛本、お勧めの一冊】

 

 これまで稲盛さんの本を出していなかった講談社さんが稲盛ライブラリーと共同でプロジェクトチームを作り、世に出した一冊(稲盛さんが亡くなられる1年前に着手されており、関係者インタビューも生前に完了していたとのこと)

 稲盛さんの過去の講演と関係者の証言から伝わってくる人間稲盛和夫氏の生き方に心打たれます。

 真剣さ、真面目さについての考え方、実践の仕方、実践して感じることも正直に伝わってきます。

 その中で、1981年2月に三和銀行グループのクローバー会で話された講演の一部が取り上げられています。

 その中で、周りの人に対して経営者がどう思いを伝えていくのかということをエネルギーの注入と話されています(以下、引用)。

 

「自分が全身全霊を打ち込んでエネルギーを相手に注入すると、くたくたにくたびれてしまいます。(中略)本当に魂がこもった言葉で伝えようとすれば、そこにはたいへんなエネルギーが必要なのです。それはまさに、情熱の移入、注入ですから、とてもくたびれるはずです。

 相手にエネルギーを注入し、自分と同じか、それ以上のレベルにすることを「励起(れいき)させる」と言います。(中略)これは物理と全く同じ現象ですが、それが対人間という関係で行われるということです。つまり、それくらいに高まってくるまで相手に注入しなければ成功しないわけです。

 ですから誰かと物事に取り組む際に大切なのは、その人の技術や商品知識のレベルが高いことはもちろん、今からやろうと思っている自分の仕事に対して夢と希望を持っていることであり、もしそれを持っていないとすれば、それを注入してあげなければならないということになるわけです。ただ単に「これに取り組んでくれ」と言って「わかりました」と返事する程度では、もう全然ダメで、3割成功するかどうかです。本人が「頑張ります」と言って5割くらい。9割くらい成功するというのは、一心不乱になって昼も夜もわからないくらいに、その人が打ち込んでいる状態、これは、もう自分なのか仕事なのか、境界線がわからないくらいになっている状態です。このくらいになっていると、資金も設備も何もなくても、9割くらい成功すると思います。

 事業というのは、ヒト、モノ、カネとありますが、実はモノ、カネ、は本当はあまり必要ではなく、問題はヒトだけだと思います。ヒトというとすぐに才能と思われるのですが、才能ではなくて、その人が持っている情熱だけです。(後略)」

(引用ここまで)

 

コンパクトな説明の中に、理想のコミュニケーション(勇気づけ)があり、仕事でゾーン(もしくはフロー)に入った時の状態があり、仕事が出来る人の本質があるという稀にみる濃い一節だと感じました。しかも40年以上前の講演でそうしたことをご自身の言葉として話されていることにも感銘を受けました。

全体を通しても、稲盛さんの仕事を知る上でも貴重な一冊になっています(一読をお勧めします)

4人、テキストの画像のようです

 

 

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実行は楽観的に、稲盛和夫氏「誰にも負けない努力」より

 PHP研究所から出されている一冊に、「誰にも負けない努力」(稲盛和夫述、稲盛ライブラリー編、2019年出版)があります。
 稲盛氏が社内外で行われた講話をリーダー向けに編集された内容が収められています(1981年~2013年までの32年間という長期間に及ぶ資料がこうしてまとめれれていることに感謝です)

 全43項目のうち、35番目に取り上げられたのが1989年に盛和塾(京都塾長例会)の講演を題材としたものです。

 見出しは、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」です。


 見出しに続いて、「超楽観的に日標を設定することが必要である。その上で、計画の段階では、悲観的に構想を見つめ直す。そして実行段階ではとてつもなく楽観的にいく。それが新しいことを成し遂げる要諦なのである。」とされています。

 その後に、この内容として、構想、計画を説明した後、こう結ばれています。

「そして、無い知恵を一生懸命絞って悲観的に計画を立て、技術はこうする、人材はこうすると決まったら走り出すのです。走り出したら、今度は楽観的にいく。うまくいかないのではなかろうか、ということを思ってはなりません。
 この段階になると中村天風さんの哲学なのですね。天風さんは「常に明るくポジティブに、前向きに明るく生きなさい」と言っています。悲観的な、ネガティブなことは一切思わないこと、絶対にうまくいくのだ、と心に思う。たとえ途中で失敗しても、うまくいった。と思えと。実行段階ではとてつもなく楽観的にいく、ということです。これが新しいことを、成し遂げる要諦なのです。」

 稲盛さんは、経営者としてかなり早い段階で中村天風の著作に親しまれていたことをよく話されましたが、1989年のこのお話からも、それまでの経営者として新規事業に向き合う時の心の持ち方として天風哲学をお持ちだったことが伝わってきます。

 当時は、講談社から出された単行本の「運命を拓く」(1994年出版)は公刊されていませんでしたので、公益財団法人天風会が出版している3部作「真人生の探究」「研心抄」「錬身抄」に加え、「天風瞑想録(後の運命を拓くと同一内容)」などを手元に稲盛さんは学ばれていたと考えられます。

 

ここでは、天風瞑想録の中から、少しだけ、補足しておきたいと思います。

『ひとたび自分の心を、明るく朗かに生々として勇ましく、どんな場合があろうとも、その心の働きの状態を、曇らせずに行くようにすると、造物主の心と同様の心持になる準備をしたことになるのだ!
 その用意が完全になればなるほど、自然に、その造物主(宇宙霊)の無限の力が自己の生命の中へ、無条件に同化力を増加して来るのである。
 これが人間の最も正しい活き方であり、かくの如き活き方をするとき、生命の流れは容易に涸(か)るることなしである。
 そうした気持が推進力になるのである。心の持ち方を積極的にしたということが、引っばる力に押す力が加わるのと同じ結果になるのだ。
 そして又それが、人間の正しい心であるという証拠には、そうした心で活きると、健康も運命も、どんどんよりよき状態になってくる。』

 おそらく稲盛氏はこうした天風氏の言葉が、経営を実践していく中で真実であると気づかれた。だからこそ、最晩年まで何度も天風氏の名前を引き合いに出されたのだと改めて思います。

 

 

 

 

【経営者の判断に必要な注意とは?人生の王道、稲盛和夫著より】

 稲盛さんがおられなくなって、改めて稲盛氏の著作を読み返す機会が増えています。

 稲盛和夫氏は、郷里の偉人である西郷隆盛の「敬天愛人」という言葉をとても大切にしておられました。西郷さんが好きで好きで、「人生の王道」という本まで上梓されているほどです。西郷南洲遺訓を各条毎に取り上げ、実際の経営に活かす上での稲盛さんの解説がついています。大事をなす上で「辛酸を味わう」ことで志が堅くなる、そういう人生の本質について理解が深まる一冊です。

その一節の中に次のような下りがあります。

 中村天風(1876-1968)という、積極思考の大切さを説いた哲学者がいます。天風師は、西郷が西南戦争で没した前年の生まれで、その生涯をかけて、人間としていかに生きるかを追究したまさに哲人でした。私は若い頃から、その著書を機会あるごとにひもといてきました。
 この天風師は、著書『研心抄』で、心のあり方に関連して、「有意注意で生きる」ことを説いています。
 有意注意とは、読んで字のごとく「意をもって意を注ぐ」こと、つまり自ら能動的に、ある対象に集中して意識を向けることです。これに対して、「無意注意」とは、たとえばどこかで音がしたときに反射的に振り向くような、他動的な意識の使い方のことをいいます。
 西郷はこの「有意注意」と同様に、迅速にかつ正しく判断するためには、どんな状況にあっても、どんな些細なことであっても、漠然と行うのではなく、研ぎ澄まされた鋭い感覚で常に真剣に、気を込めて取り組みなさい。そのように普段から集中して取り組む鍛錬をしていないと、考える習慣が身についていないから、大きな問題が起こったときに浅くて薄い考えしか出てこない、と諭すのです。
 これは、判断を下す立場にある者にとって、とても大切なことです。
 たとえば、経営者は、膨大な数の条件を次々に瞬時に判断していかなければなりません。そのためには、すさまじいほどの集中力を発揮し、さらにはその集中を長く持続することが求められます。そのような持続した集中がなければ、正しい経営判断を続け、安定した企業経営を行うことはできないのです。

(引用ここまで)
 
 有意注意という言葉を、経営者として一番使われたのは稲盛さんではないかと思います。
 実際に、JAL再生時に幹部が提出してきた数字の意味を追求されたお話など晩年になられても常人でない「有意注意」力を持っておられたことが伝えられています。
 その意味で、最も深く天風哲学を理解し、自分自身の経営者としての人生に応用された結果が稲盛氏の人生であり、その結果の正しさが、稲盛哲学を唯一無二の経営哲学としているのだと感じました。

 

 

 

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