『ゴジラvsモスラ』の小美人 | 続あたれぽ

『ゴジラvsモスラ』の小美人

ダンボール箱から1992年前半に(数ヶ月で飽きたらしい)スクラップした新聞記事が出て来ました。

今回は『ゴジラvsモスラ』の記事を取り上げます。


「製作決定」の報はおそらく1991年内に出されていて、その続報

1992年2月6日 報知新聞


『モスラ対ゴジラ』(1964年)でザ・ピーナッツが演じたモスラと交流する小美人役にきんさんぎんさん。

と言っても決まったどころかオファーすらかけたわけではなく、ファンの予想話と変わらない。

他の(外野からの)候補としては、10歳ぐらいの姉妹、WINK、ザ・ピーナッツのカムバック。

興味深いのは、この段階では「監督大森一樹」になっているのと、きんさんぎんさんの流れで「名古屋」という地名が出て来たことで、実際の作品ではきんさんぎんさんは出ないものの、バトラが名古屋を襲撃しています。


このひと月後

1992年3月17日 デイリースポーツ


大森一樹監督が、まあゴジラはもう2本やったし、と東映京都撮影所でやくざ映画を撮らせてくれる話に乗ってしまう。
ひょっとすると前回の特に意味のなさそうなタイミングでの与太記事は、揺れていた大森監督への牽制だったのかもしれません。

ちなみに「『継承式』(『継承盃』改題)」は結局『継承盃』になりますが、
大森一樹監督 × 上田耕一 トークショー レポート・『継承盃』(2) - 私の中の見えない炎
「“けいしょうさ・かずき”って自分の名前が入ってるんで、押し通しました(笑)」
だって。


1992年5月21日 日刊スポーツ


大河原孝夫監督にバトンタッチして、5月8日、名古屋の実景でクランクイン、特撮班はプールで撮影中、製作に1ヶ月かかったと言われるみなとみらいのセット(記事では3000万円と推定されているが、後に8000万円と伝えられている)も完成済みらしい段階で、まだ小美人が決まっていません。

2代目ピーナッツ候補はDio(沖本姉妹)。

バトラも「バドラ」となっていて、これ2回も出てくるので誤植ではないでしょう。

本編班はまだ撮影に入ってないかもしれません。


この記事が大きすぎてノートに貼れなかったこともあってか、もう貼るのに飽きてしまったらしく、

日付、掲載紙不明で挟み込んであった切り抜き


小美人は「29日に」東宝シンデレラの今村恵子と大沢さやかに正式決定。
まあ5月か6月ですよね。

調べると沖本姉妹はミュージカル『ピーター・パン』を1年のロングランで3月までやっていて、次の公演がまた7月から始まるという強行スケジュールで、おそらく6月いっぱいの映画撮影なんかやってられないでしょう。


このように二転三転した小美人の姿は種々発売されているDVDやらBlu-rayのソフトで是非カサックヤーンム。