今日はよくわかっていないのだけれど、何だか後に重要になる気がするのでメモしておこう…という記事。どうやって書こうか、迷っていてなかなか書き出せなかった…。
ことの始まりは周藤氏のこの記述。
上古代、天神代の天皇の波動に共鳴するのは非常に肉体に苦痛をもたらすらしい。天神代とは初代の元無極躰主王大御神(もとふみくらいのみのぬしおおみかみ) (宇宙創成の神)から7代までを言う。イザナギ天皇は天神代の次、上古代の22代目の天皇。
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一方、イザナギ天皇以前の天皇とは、なかなか波動で繋がることができませんでした。仮に繋がることができても、波動があまりに細かくて、私の肉体は耐えらないほどの苦痛を受けてしまうのでした。
波動の性質として、細かい波動ほどエネルギーが密に詰まっています。細かい波動を受け取ると、一度にたくさんのエネルギーが流れて来て、それに耐えられないことがあるのです、ひどい頭痛がしたかと思うと、全身の筋肉に力が入らなくなり、吐き気を催しました。立っても座っても寝ても苦痛は和らがず、しばらく身悶えしていると、そのうち気を失ってしまうのでした。
中略
天神代の神と初めて波動で繋がったときのことは、今でもよく覚えています。雷に打たれたような衝撃を受けて、一瞬にして気を失ってしまいました。肉体がバラバラに砕け散る感覚があって、「ああ、私は死んだんだ」と、はっきり思ったのでした。
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これは普通の人には体験できないことだから、本当に興味深い。この神たちは非常に細かい波動らしい。そして、
「波動が細かい=次元が高い」
と、はせくらみゆきさんと周藤丞治さんの共著「9次元からの招待状」で、述べていた。それを以下に抜粋。
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ただ、超弦理論の中で次元が高い世界というのは、より細かい波動の世界になります。スピリチュアルで言われる次元も、高次元になるほど波動が細かくなり、大宇宙の根源に近づいていきますよね。そういう意味で、性質としては似ているものだと理解できます。
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だから、波動の細かい神様はきっと高次元なのだ。じゃあ、どのくらい高次元なの?ということで、この神々の歴史を次元という観点から、超弦理論とからませて語っておられるお二人。無限次元の大宇宙から次元が降りて来て、25次元が「う」の言霊の天之御中主なのだとか。
周藤氏はこんなふうに語っている。
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周藤
物質世界である3次元の世界。
僕たちがいま生きている幽界と呼ばれる5次元の世界。
これから向かっていく霊界と呼ばれる9次元の世界。
まず、大元として、大宇宙そのものと言うべき世界がある。それを「究極世界」と呼んでいる。
究極世界は無限次元の世界。
究極世界の中で様々な働きが生じて、有限の次元の世界ができた。その中でさらに、どんどん低い次元の世界ができていって、最終的に僕たちが肉体を持つ3次元の物質世界、すなわち縦・横・高さしか空間方向のない世界ができた。
この世界が有限のものに見えたとしても、実は無限なる可能性がある。僕たちは無限の世界の一部だけを見ているのであって、本当は何者にもなり得るし、何でも起こり得る。無限の可能性を持ってそれを表現しているのが、全ての生命。
無限から有限。その有限の中の有限、さらに有限の中の有限という感じで、僕の言葉で言うと、だんだんと次元が降りてくる。
ビッグバンについては、超弦理論という高次元を扱う物理学によれば、高次元から低次元に降りるときに起こる事象として理解することもできる。
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それに対して、はせくらみゆきさんは、十七柱の神様が次元降下されて降りてくる話を対応させている。
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みゆき
この十七柱の神様の働きが、まさしく始原から次元降下させて降り立ってくることの象徴。実はこれは人の「思い」についても同様で、脳内で「まだ言葉にならないけれども生まれてきたもの」という状態を表している。
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ここで周藤氏が25次元と9次元について、超弦理論から説明。
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周藤
十七柱の神々様が立ち現れるに従って、高次元から低次元へ降りていくと考えると、高次元の世界は低次元から見ようとしても、舞台裏のようになっていて見えない。自分たちが存在できているのは、高次元世界において大切な働きがなされているからなのだけれど、それは舞台裏になっていて見えない。その「働き」のことを神と呼ぶ。
我々の肉体がある世界は縦・横・高さの3次元だが、素粒子というのは3次元世界だけに閉じ込められた存在ではない。これは、僕が専門にしている超弦理論という物理学の理論における仮説だが、僕自身が霊的に経験していることとも合致しているのでそう信じている。
超弦理論では、素粒子は「振動する弦や紐のようなもの」として描かれる。そしてそれは空間が9つの方向に広がる、9次元世界を動き回っている。
9次元世界とは、自分と他者の隔絶を超えた、つまり自我を超えたワンネスの世界。また、言葉を紡いで表現できる限界の世界。
スピリチュアルな次元はスピリチュアルな力を使って測った次元ですが、ここでは物理学を使って、「紐が振動できる方向はいくつあるか」という数を次元と定義しています。
ただ、超弦理論の中で次元が高い世界というのは、より細かい波動の世界になります。スピリチュアルで言われる次元も、高次元になるほど波動が細かくなり、大宇宙の根源に近づいていきますよね。そういう意味で、性質としては似ているものだと理解できます。」
言葉で表現できる限界の世界が9次元。
そもそも、言葉というのは、決まった一つの時間方向に並べるから言葉になる。でも、9次元を超えると時間の方向が複数あっても良い世界になるので、言葉では表現できない世界になる。
そういう世界にあるのは、言葉になる以前の、言葉の素となる音だけ。だから9はひ次元を超えた世界は音の世界なのだろうと僕は考えていて、みゆきさんのおっしゃる言霊の世界と一致するように思う。
超弦理論には9次元世界の他に、25次元世界と言う世界も登場する。空間が25方向ある世界。さらに時間も一方向ある。そして弦(紐)があって振動している。実は弦が存在できるのは、9次元と25次元だけ。この2つの世界は特別。
ただ、ここで注意したいのは、25次元世界の弦は物質を表現できない。本当の意味での物質は3次元世界の物質世界にあるものですが、物質には「同じ場所に重なって存在できない」という大切な性質がある。
9次元世界の弦はそういう物質の性質を表現できるが、25次元世界の弦はそれが表現できない。表現できるのは同じ場所に重なって存在できるもの、物質世界における光や原子力のような、力や相互作用だけ。
25次元世界の弦は力や相互作用なら表現できるのだが、実は不安定で、一瞬存在できるのだが、すぐ消えてしまう。
9次元を超える高次元世界は、宗教で言うと神界ですが、超弦理論においては時間の方向が複数あるのが自然な世界。どちらの時間方向にも自由に行けてしまう。それぞれの時間方向にいろんなことが起こる可能性があって、その可能性が自由に選べてしまう。それらの可能性が全部あらわになって見えている世界。
ある意味では、自分が何者かさえ決まっていなくて、何者にでもなれてしまう。そういった世界が神界。
どの時間の方向にでも行ける世界で、一番基本となる存在があるとすると、どの時間にも広がっていない。つまり一瞬で消えてしまう存在。瞬間的、インスタントな存在。「インスタントン」という。
弦が現れて振動するけれど、一瞬で消えてしまう世界。そこが25次元世界。9次元世界では弦がずっと存在して振動し続ける。
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わかったような…わからないような…。とりあえず、そういう高次元を扱った物理学の理論があるのだ…ということを頭に入れておこう。その理論では25次元世界と9次元世界が存在するという。
次に、この25次元から9次元に降りていく働きについて、言霊とそれに対応する神々についてのお2人のやりとり。いや、神々と対応する言霊…か。
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周藤
この25次元世界に降りてくる働きが、最初の言霊である「う」。天之御中主が自覚というものを初めて持つ「う」ではないかと。ただし、無限次元からいきなり25次元に降りてくるわけではなく、その間にものすごく高次元だけれど有限の次元の世界があって、そこから降りてくる。これが「う」と感じる。
みゆき
もっとずっと高いところでは「う」どころか、それより高いところの「ス」も出てこない。
周藤
そうか。最初、本当の無限次元から降りるときはまったくの無音なのですね。
みゆき
無音だからこそ全て。あらゆる可能性そのもの。
そしてそれが「ス」という流れを感じるところまで降りていって、その「ス」が自覚体になろうとする瞬間に無声音から「う」という有声音に買って、「生まれる」が始まっていく。
周藤
そこが25次元だと思う。
そして、25次元世界から9次元世界まで1次元ずつ降りていくとすると、25-9で16段階。「う」に続いて、残り16個の言霊が作用する。全部で17段階変化して、素粒子の世界である9次元世界まで降りてくる。これで数はぴったり合う。
みゆき
すばらしい。
今、閃きがあったのですが、これは天皇家の紋章でもある菊の御紋に見立てられる。菊の御紋が立体的に、まるでらせん階段のようにくるくると16弁の花びらの回廊を降りていくという、そんな感じ方はできないでしょうか?
周藤
すごいですね。まず、真ん中に落ちて来て、25次元から9次元にらせんを描いて降りていくのですね。
花弁が本当はらせんになっているのだけれど、上から見るとよく知っている16菊花紋になっているというわけですね。
みゆき
まず、中心に「う」が降りてきて、それがパラッとらせんを描いて花びらのように広がって、素粒子という物質の素ができる。
くるりと1周描いたあとに、ポンと9次元の真ん中に降りて来て、また次のらせんが描かれていく…。
周藤
さらに下に降りていって、最終的に物質化するというイメージですね。この16菊花紋のらせんの図を、言霊に対応させながら描いてみたいです。すごくパワフルな図になると思うのですよ。
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で、そのらせんが下の図。
ここでいう十七柱とは、天之御中主(上古代4代目)から始まる次の神々なのだそうで…。(漢字と読み方が合ってるか心配…)そして、対応する言霊を上記著書より並べてみた。
天之御中主(あめのみなかぬし) 「う」
高御産巣日神(たかみむすひ) 「あ」
神産巣日神(かみむすひ) 「わ」
宇摩志阿斯訶備比古遅神 「を」
(うましあしかびひこぢのかみ)
天之常立神(あめのとこたちのかみ) 「お」
国之常立神(くにとこたちのかみ) 「え」
豊雲野神(とよくもののかみ) 「ゑ」
宇比地邇神(うひぢにのかみ) 「ち」
妹須比智邇神(いもすひぢにのかみ) 「い」(やいゆえよ)
角杙神(つのぐいのかみ) 「き」
妹活杙神(いもくぐいのかみ) 「み」
意富斗能地神(おほとのぢのかみ) 「し」
妹大斗乃弁神(いもおほとのべのかみ) 「り」
於母陀流神(おもだるのかみ) 「ひ」
妹阿夜訶志古泥神(いもあやかしこねのかみ) 「に」
伊邪那岐神(いざなぎのかみ) 「い」
妹伊邪那美神(いもいざなみのかみ) 「ゐ」
何でこの17音なのか…。この17音にも、きちんと意味があるようで、日本語は本当に奥深い。今日のところは割愛。
言霊とはエネルギーの流れにもメモしたけれど、あらためて、言霊って何だろうと思っちゃう。もう一度、上記記事より、みゆきさんの言葉を再掲。
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まず、言葉というものがありますね。そして、その言葉の持つエネルギーを「霊(たま)」と呼びます。つまり、「ことたま」というのは「言葉の持つエネルギー」という意味になります。
言霊が持つエネルギーの働きとは、実際は、空の世界から流れてきたエネルギーを脳内で受け取り、それを認識して言葉として語り、また脳内に戻ってきて空に戻り…と言う流れを繰り返しています。私たちが「言霊」と呼ぶとき、本当はこの一連の流れそのものを指していたんですね。
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普段、そんなことを考えもせず言葉を発しているけれど、一つ一つの音におそらくエネルギーがある。それは宇宙の叡知から流れてくるものであり、自分の脳内でそれを認識し、言葉として発したものを再び音として聞き、それが脳内で認識され、宇宙に戻っていくのだ。そのエネルギーの流れが言霊。
私達が言葉を使うということは、宇宙から流れてきたエネルギーを人間という場で再生し(表現し)、それを再び宇宙に戻す。私たちは受信機であり、再生機であり、さらに発信機でもあるってことなんだろうか。宇宙から来たエネルギーは、再び宇宙に戻る時、私達人間を介することによって、何か変化したりするのかな。そして、私達の脳っていったい何だろうね…とも思う。
こんなことを考えていると、祝詞なんてものは、それを唱えることで神様とつながれそうな気がしてくる。「ひ~ふ~み~」ってやってみるとするか…。(ひふみ祝詞しか知らない…私)
それにしても…、天皇家の16菊花紋がこの話を由来にしていたとしたら、何だか感動する話。(いや、本当かどうかはわかんないけど…)興味深いなぁ。
以前に、「日本は天皇を中心とする神の国だ」と言って叩かれた首相がいたけれど、こうやって読んでくると、その言葉はあながち嘘ではないなぁと思う。その時は表向き「政教分離や国民主権に反する…」ということで叩かれたことになっていた。でも、今から考えると、「ホントのこと言うな!日本国民が目覚めちゃうじゃないか!」って勢力があったんじゃないかなぁ…なんて思ってしまうのである。
何だかまとまらなくなってきた…。今夜はここいらでup。