#258 [KT-14 ] ユダヤ人そっくりの埴輪があった | コトバあれこれ

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 新年早々、本屋で「ユダヤ人埴輪があった!」東北大学 田中秀道名誉教授著 という日本古代史の常識を覆すような衝撃的で、興味深い本を見つけたので以下に紹介したい。

 


 

 今までも「古代日本にユダヤ人が渡来した」との仮説で日ユ同祖論が語られ、多くの本が出版されてきたが、確たる証拠となる物証が示されないということで俗説として扱われてきた。しかしながら、この本では関東地方の古代遺跡から明らかにユダヤ人の格好をした埴輪が出土したということである。実際に、千葉県の九十九里浜近くの柴山古墳からは、ユダヤ人を模したとしか考えられない埴輪がいくつも見つかっており、出土した埴輪の写真は以下の通りである。

 

 

 

 これらの写真を見たら一目瞭然で、誰が見ても明らかに日本人の風貌には見えない。丸い庇(ひさし)のついた高い帽子、美豆良(みずら、髪を左右に分け,毛先をそれぞれ耳の辺で結び束ねるスタイル)、高い鼻、長い顎髭(あごひげ)。まさにユダヤ人そっくりの容貌である。これらは、当時の日本人が渡来したユダヤ人を見て作ったか、あるいはユダヤ人自らが作った埴輪であろうと推測される。これは古墳時代に日本にユダヤ系の人々がいたことを端的に示すものである。

 

 一方、近年の遺伝子研究でユダヤ人と日本人の間に共通の遺伝子が見つかっているとのことである。日本人男性の40%近くが「YAP」と呼ばれる特殊な遺伝子配列を持っているが、このYAP遺伝子は、中国人にも韓国人にもほとんどみられず、アジアの中でも非常に珍しいものである。ところが、このYAP遺伝子をユダヤ人の20~30%が持つということである。古代日本史においては渡来人と言えば主に中国や朝鮮半島からの人々であるということになっているが、古代にユダヤ人が日本にやってきたと考えれば、この遺伝子上の共通点の説明もつくのである。

 

 日本古代史において、ユダヤ人渡来説は、いままで俗説として扱われてきたが、これらの埴輪やDNA分析結果を見ると、いよいよユダヤ人渡来説を史実として認め、日本古代史の通説として検討せざるを得ない段階に来たように思えるのである。

 

 この本の中で、著者は日本の古代史における日本神話の高天原は関東地方にあったと述べている。当時、ローマ帝国により国を追われ安住の地を求めて、ユーラシア大陸をさまよってきたユダヤ人は自らの太陽信仰に従って日の昇る国を目指し東方へ移動した。そして、最終的にユーラシア大陸から見て最東端にあたり日の登る地である日本の関東地方に到着したのだった。そこで、彼らの能力・技術を活用する場を与えられ、現地に同化したのだった。そして、当時日本に帰化したユダヤ人や多種多様な民族とともに良き国民として同化した結果、香取神宮、鹿島神宮を中心とした祭祀国の日高見国が存在していたとしている。

 

 又、天孫降臨については上記の事柄と関係して、今までの説とは違って別の解釈がなされている。つまり天孫降臨は二度の降臨があったとしている。日本書紀によれば、一度目は日高見国の邇芸速日命(ニギハヤヒノミコト)が天照大神から神宝を授かり大阪府の河内に赴き大和に移ったことであるとされている。そして、その後二度目の降臨として、日高見国の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が東日本から西日本への人口流入と帰化人の流入により西日本の人口が増えたことを憂慮し、鹿島から九州鹿児島へ向かい、西日本を征服し最終的に大和地方までを平定したことであると述べている。従って、天孫降臨とは、従来神が天から降臨したとは違い、東西の移動であると述べている。

 

 その他、ヤマトタケルのことなど、今までの日本史観とは違った多くの興味深い新説が述べられている。今後、これらの説に関して、いろいろな研究が進んでいくと思われるが、興味のある方は是非この本をお読みいただき研究していただければと思う。

 

[K.Takagi記]